『ペーパー・ムーン』のように

紫 李鳥

第1話

 



 帰ると、カレーの匂いがしていた。


「お父さん、おかえり」


 別れた女房が置いていった、赤いバラの刺繍がある白いエプロンをした友季子ゆきこが、鍋をかき混ぜながら振り向いた。


「ああ、ただいま。カレーか?」


 一張羅いっちょうらの背広を椅子に掛けると、Yシャツの袖を捲った。


「うん。でも、豚だけどね」


「父さんは、豚肉のカレーのほうが好きだけどね」


 テーブルに着くと、たばこを出した。


「いまのは嫌味で言ったの。お父さんが安月給だから。……で、きょうは売れた?」


 顔だけを向けて、手厳しい物の言い方をした。


「……だめ」


 面目ない顔でストライプのネクタイを外した。


「もー。冬休み、旅行できると思って、楽しみにしてたのに」


「……すまん」


 目を逸らすと、たばこをくわえた。


「お父さん、いまの仕事向いてないんじゃないの?」


 友季子がさげすむように視た。


「……かもな」


 落ち込んだ顔でうつ向いた隆雄を見て、友季子は言い過ぎたのを後悔した。


 友季子は自分の皿にご飯をよそうと、


「ビール飲むんでしょ?」


 と、気分直しでもさせるかのように、冷蔵庫を開けた。


「……あ」


 遠慮がちだった。


「なんか、日払いの仕事にすれば? そしたら、そのお金で旅行できるじゃん」


 缶ビールとグラスを置いた。


「……そういう仕事があればな」


 友季子に一瞥してビールを注いだ。


「バイトの仕事とか募集してるよ」


 友季子がシーチキンサラダを置くと、


「……だな」


 生返事で、それをつまんだ。


 ったく、働く気ゼロ。と友季子は思いながら呆れ顔をした。


「ご飯はまだいい?」


「いや、食べる」


 サラダだけじゃ物足りないのか、カレーをビールのつまみにするつもりらしい。


 賃貸の一戸建てに住んでいる脱サラの隆雄は、健康寝具を売って生計を立てる予定でいた。仕事というのは、高級羽毛布団や磁気枕などの訪問販売だった。


 儲かるからと、知人に勧められて始めたものの、マニュアル通りにセールストークをしても買ってくれる客はなかった。


 捕らぬ狸のなんとかを見越して、この仕事のために買った中古の軽バンも大きな出費だった。


「……何かないかな。日払いの仕事」


 友季子は独り言のように呟きながら、カレーを口に運んでいた。


「……ん?」


 隆雄は、まるで他人事のように上の空だった。


「……あっ! そうだ。お父さんいつか話したことあるじゃない、映画の話」


 友季子にグッドアイデアが閃いた。


「……ん?」


 隆雄には意味が通じていないようだ。


「……んと、なんだっけ。……子供がお金を嘘つくやつ。小さいお金で大きいお金をもらっちゃうやつ」


 友季子は必死だった。


「……ああ。『ペーパー・ムーン』な。ライアン・オニールとテータム・オニールの実の親子共演の、詐欺する映画な」


 やっと自分の出番と言わんばかりに、隆雄は饒舌じょうぜつだった。


「そうそう、それそれ。それやって旅行しようよ。中古のバンもあるし」


「ばか、あれは犯罪だぞ」

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