紗代子 焦り

 黙々と明奈が料理を口に運ぶ。その真っ赤な唇が動くたび、この口が男の肌に触れるのかと思うと、母ながら感心とも呆れるとも、どちらとも言えない感情が込み上げてくる。明奈が初めて父以外の男と関係を結んだと子供ながらに感じたのは、いつだったか。もうさだかではない。明奈の行為を責める気はないし、関心もない。むしろ明奈くらいの年齢で年下の男と寝れるなんて、ある意味凄いことだ。

 手にしていたフォークを下ろし、ぼんやりと店内を見渡した。職場の同僚といった感じの男女が数名、他は女性同士のテーブル。ブライダルの雑誌を見てる男女もいるか。

 雑誌のページをめくりながら、女の指が紙の上を走る。結婚でも決まったのだろうか。ドレスを何色にするかとか、髪型をどうするかとか、そんな会話を想像した。

 女に男が微笑みながらうなずいて、なんて幸せそうな光景だろう。しかし、その微笑みがいつわりない信実だと、どうして証明できる。

 

 女が男の手に自分の手を重ねた。ふたりで見つめ合い、微笑みながら絡まる指。この場に居るのは二人だけ、私や明奈、それに他に客など存在してないといいたげだ。

 

 くだらない……。

 愛だの恋だの、そんなものは、まやかし。いつか冷める。相手に求めるのは愛ではなく協力関係。相手が自分に何をしてくれるか。自分が相手に何を与えるかだ。

 和幸の後ろ姿が脳裏を横切った。マンションのベランダから身を投げるんじゃないかと思うくらい、儚げな背中。その背中に抱きつく美月を想像して、胸糞が悪くなった。

 和幸は私を愛してるのだ。美月など、ほんの気まぐれに過ぎない。ただ、根が真面目な男だから寝た女を捨てられず迷ってるだけ。あんな女、私と肩を並べられる立場じゃない。

 

「面白いわね」

 

 頬杖ほおづえをついた明奈が、物珍しそうに私を見ていた。その目の奥には嬉々とした好奇心の色しか見えない。ここで迂闊うかつな事を言えば、ことあるごとに今日の事を引き合いにだされるにきまってる。

 身構える私に明奈の上半身が、前のめりで倒れた。

 

「さっきから紗代子、おかしいのよね。妙にイラついてるというか、落ち着きがないというか」

 

 くすりと笑った明奈の唇が、ゆっくりと動く。

 

貴女あなた、和幸さんをとった、その女に嫉妬してるみたい」

 

 一気に体が熱くなって、明奈から顔をらした。私が美月に嫉妬してるなんて、ありえない。まるで私が和幸を寝取られたのを悔しく思ってるみたい。そんな事はない、ただ、美月みたいな女が私と張り合おうとしてることが腹立たしいだけ。嫉妬ではない。

 

「ほら、それ。その態度が可笑しいって言ってるの」

 

 凝視してくる明奈の笑みが、冷ややかなものに変わった。

 

「ほんと面白いわ。お父さんの言いつけで仕方なく来たけど、今日、紗代子に会って良かったみたい」

 

 明奈がおもむに時刻を確認して立ち上がった。そして私を冷めた目で見下ろす。

 

「遅れて来ておいて悪いけど、これから会わなきゃいけない人がいるの。だから先に席を立つわね。あっ、それから」

 

 明奈が私の肩に手を置いて、耳元で囁いた。

 

「まさかと思うけど、戻って来たいなんて思ってないわよね」

 

 母の顔を見上げた。無表情、感情を私に読み取られたくないようだ。

 戻る? まさか、あの家に? 

 

「何を言ってるんですか。戻る気なんてないです」

 

 籠の鳥みたいな生活から抜け出せたのに、浩介という男もいる。今更、あの家に帰りたいなんて思わない。

 

「そう、それならいいの。ただ、ちょっと心配しただけ、ごめんなさいね」

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