紗代子 凪

「あっ、佐久間さん。お出かけですかぁ」

 

 ほんの少し動くだけで、上下に揺れる美希の胸。脇腹についている贅肉ぜいにくは黒のTシャツの上からでも、はっきり見て取れる。つんと鼻を高くし、作り笑いを浮かべる美希の脇の下に、うっすらと浮き出ているシミ、むっちりとした二の腕には思わず目を背けたくなった。

 いつも思うことだが、美希には季節にあったよそおいという概念がいねんがないのか。冬物のトレーナーか上下のスエットを着てたかと思えば、今着ているようなTシャツとワイドパンツ。春と秋が、すっぽり抜けていて、季節の変わり目が分からなくなる。それに真樹でさえ隠れてしまう美希の体躯たいく。何をどうしたら、そうなってしまうのか。

 

 國木田真樹が美希の陰から顔をのぞかせた。

 おどおどしながら、チラ見する。私を見てるようだが、視線が合わない。私の背後に何かあるとかと振り返ってみたが、固く扉が閉まったエレベーターがあるだけで誰も居やしない。しかし真樹の目は何かを見ていた。いや、探してるといったふうだ。

 何を探してる。それとも誰か来るのを待っているのか。

 不審ふしんがる私に気付いた真樹が、慌てて目をそむけた。

 

「行ってらっしゃい」

 

 美希が、さっさと行けばと手を振る。

 いつも私にストーカーまがいのことをしてるくせに、今は私に関心がないみたい。どういう風の吹き回しか。

 まあ、いい。行けと言うなら、こんなに有り難いことはない。美希に、よけいな詮索される前に、この場を離れよう。

 

 マンションの、それほど広くない入り口を塞ぐ車。運転席と助手席以外、後部座席のガラスにはスモークフィルムが貼られてあり車内の様子は見えないが、よく見ると、あちらこちらにキズがある。助手席の少し開け放たれた窓からは、煙草の香りに混じって甘い香水の香り。ルームミラーには若い女の子が好みそうな、マスコットがぶら下がっていた。

 

 今しがた、すれ違った男の車だろうか。

 

 車の横を素通りしようとした時、その車を勢いよく足で蹴った女がいた。後ろで縛った髪がほどけかけてる。ほつれた髪が横顔を隠し顔はよく見えないが、間違いなく渡会佳津羽だった。

 

「人を馬鹿にして・・・」

 

 恨みのこもった押し殺した声。車内をのぞむと、後部座席のドアのハンドルに手を掛けた。しかしロックが掛かっていたのだろう、開かないドアに舌打ちすると、今度は助手席のドアを開け車内に乗り込んでいった。

 一連の出来事に言葉が出ない。あまりにも唐突とうとつで、突然すぎて。

 佳津羽は車など持っていなかった。勿論、佳津羽の夫もだ。私と同じく子供のいない佳津羽は、夫婦で遊びに行くのにも他の移動手段をとっていたはず。佳津羽の雰囲気からは真面目という言葉から遠いイメージだが、あれで結構、頭が固いところがある。だから他人の車へ堂々と乗り込んでいく佳津羽の行動には驚きを隠せない。

 赤い顔をした真樹は固唾を呑んで見守っているし、美希など、興味津々で口元に薄っすらと笑みさえ浮かべてる。

 私の目の前で後部座席のドアが開き、顔を出した佳津羽を見て、美希が私に関心がなかった理由がわかった気がした。

 

 佳津羽が車に積んであった段ボールを外へ放った。やはり戸惑いもあったのだろう。息を荒げ思い切って投げた段ボール。一箱放り投げると迷いもぬぐえたのか、あとは気持ちのまま無我夢中で、マンションの入り口へと次から次へと投げ始めた。

 半分泣きながら、そして悔しそうに。自分の醜態しゅうたいを私や美希達に見られてるのに、それも構わないといった感じに。もしかしたら、私達が目に入ってないのかもしれない。そして車内で、何かを見つけた。

 唇を噛み締めながら佳津羽が両手に持ったもの、それは新生児用の紙おむつだった。

 

「佳津羽っ!」

 

 エレベーターですれ違った男が、マンションから出てきた。

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