紗代子 凪
和幸が足をグラスの破片で怪我をした、あの日から、二週間が過ぎた。つまり浩介からの誘いを断ってから、同じ時が過ぎたことになる。あれからメールは一度もなかったのだが、二日前に会おうと、突然連絡が入った。
【今夜、いつもの場所で。ロビーじゃなく部屋で待っててよ。ホテルへは俺の名前で予約しておくから】
鏡の前に座って髪に櫛を通す。お気に入りの香水を手首と耳の後ろにつけながら、浩介に返信のメールを打った。梅雨入り前から
和幸と美月の関係を知ってしまった、あの晩。浩介にもすっぽかされ、他の男と寝たホテルなんて後味が悪くて、二度と泊まりたくない。
【あのホテルは、もう使いたくない。他のホテルがいい】
メールを読んで、どう
椅子から立って、鏡で全身を見てみる。ネイビーのニットに、白地の花柄のフレアスカートを合わせてみた。本当は、もう少し肌を見せたいところだが浩介と会う前に、母の
結婚して家を出た娘の様子を見に、たまに明奈は連絡をよこす。おそらく母の意思ではなく父の指示だろうが。あの母が私の心配などするはずがないのだから。
くるりと回ってメイクの出来も確かめる。大丈夫、おかしくはない。
ふと目に
和幸が怪我をした、あの日から私の中で何かが変わった。和幸に抱く感情は以前と比べると、まったく違うものだ。この気持ちが何なのか。私自身はっきりと
寝室を出ると柔軟剤の甘い香りが鼻をかすめた。出勤時間が遅い和幸が、さっきまで回していた乾燥機の音が止んでいる。揺れるレースのカーテンに意識が向くと、開け放たれた窓から入る風が、深緑の夏の匂いを運んできた。
ベランダにひとり立つ、後ろ姿の和幸の白いシャツの
その横顔。ぼんやりと
和幸が手すりに手をかける。一気に身を乗り出した和幸のシャツが一層強く風にはためき、その瞬間、この場に彼の姿はなく、ただ青空が目の前にあるだけ。
そんな妄想を頭の中で思い浮かべてしまい、目が離せなくなる。
「何してるの?」
和幸が振り返り目を細めた。太陽の光よりも
「公園の木々を見てた」
ベランダに出て和幸の隣に立った。
もう、そこまで夏が来てると実感する。
「
和幸が私の服を見て首を
感情が大きく波打ってる。こうして捕まえていないと、本当に空へ
「母と会って来る。夕飯も、いらないから」
和幸の体が、私の一言に
でも、これは事実だ。嘘はついてない。
「親と会うだけなのよ。そんな顔しないでよ。それとも、私を信じられない?」
心なしか切なそうな和幸が口をつぐむ。言いたいのに言えない。そんな和幸が何とも言えなくて、そっと胸に顔を
この身体に美月は抱かれているのだ。どう? あの女の体はどうなの。抱き心地は良いの。
和幸が私を見てる。
なんて可哀想なひと。今まで生きてきて二人の女に悩むなんて、なかっただろうし。さっさと美月を捨てれば、こんなに苦しむ必要などなかったのに。でも、それは和幸の性格上、出来なかった。
いいの。もう、わかったから。
美月に多少なり気持ちが傾いたとしても、愛してるのは私ひとりなんでしょ。なぜなら私と肌を重ねている時の和幸の熱さ、まるで出会った頃に戻ったみたい。
ほんと、
和幸の頬に手を添えると、目を閉じ
この人は気付いていない。あの日、怪我をした和幸の為に買い物を済ませ、戻って来た私が見た光景——。
静まり返ったリビングで、この人は携帯電話で誰かと話をしていた。言葉少なで、会話の内容まで
そう、それは間違いなく美月だ。
ゆっくりと和幸から離れた。時間を見れば母、明奈との約束まで時間がない。今から出て間に合うかと言ったところか。
「そろそろ、行かなきゃ」
和幸の手のひらが、私を放したくなさそうに宙に
「それじゃ、行ってきます」
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