和幸 慟哭

「今晩は、はじめまして。佐久間紗代子です」

 

 紗代子が、やんわりと美月に微笑んでいる。

 何食わぬ顔で笑みをたたえてはいるが、眼は笑っていない。目の前にいる美月を明らかに敵と認識した紗代子が、そこにいた。

 

 凛と胸を張り何事にも動じない。まるで気高く気位の高い女王のようだ。その女王が自分のものと言わんばかりに、身をすり寄せ美月を見下している。

 

「可愛い方ね。同じ職場の方?」

 

 振り向いた紗代子の瞳に自分が映っていた。明らかに自分への侮蔑の色が見える瞳が、何か言いなさいよと、そう圧力を掛けてくる。

  

「ねえ」

 

 腕に絡んだ紗代子の指先に力がこもった。その手を、ゆっくりと払い静かに頷いた。

 

「ああ、そうだ」

「ふうん、そう」

 

 紗代子が目を細め、冷ややかに笑う。

 

 嫌な予感がした。

 なぜ紗代子が此処にいるのか。いや、別におかしい事ではない。奔放な彼女だ。今までも、この時間、家にいたことなど数かぞえる程度しかなかったじゃないか。

 

 違う、そういうことじゃない。どういう理由で外に出てるかだ。

 今夜、此処にいるのは、自分の帰りが遅いとわかっていたから。男と、浮気相手の男に会うためじゃないのか。

 

 紗代子が一歩、前に歩み出た。矛先を美月にかえた彼女の背中は、今まで見たことないくらい冷酷な空気をかもしだしてる。

 

「ねえ、貴女。お名前は?」


 美月の容姿を見て、くすりと笑った紗代子に美月が淡々と応えた。

 

「井之上美月です」

「いのうえ・・・みつきさん。そう、美月さんって言うの。ねえ、貴方」

 

 紗代子が振り返った。

 

「可愛い方ね」


 何を勘繰かんぐっているのだろう。美月とできているとでも言いたいのか。

 貴方もやる時はやるんじゃない。そう言いたげな含み笑いに、強引にでも腕を取って家に連れて帰りたくなる。しかし。



 美月が見ている。ここは紗代子が、これ以上余計な事を言わないうちに家に帰さなければいけない。

 

「ところで今夜は、たしか送別会があるって言ってたけど。ねえ、帰りか遅くなるって、こういうことだったの?」

「違う、何を言ってるんだ」

 

 紗代子が美月のコートの襟を直した。

 

「ねえ和幸このひと、優しくしてくれる?」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る