(7)

 山下さんはきらきらとしていた。いや、わたしにはそう見えた、と言うほうが正しいだろう。


 どうにかこうにかフィルターを外してみても、山下さんはいわゆるイケメンだった。


 アルファなのだろうから、イケメンなのは必定と言えるかもしれない。


 髪は染めていない黒。肌はどちらかと言うと色白。ヘタをすればわたしより肌がキレイかもしれない。


 けれども、なんとなく笑顔がうさんくさい。それは声から感じた軽薄な印象を、わたしが引きずっているからかもしれないが。


「ど、どうもこんにちは……」

「こんにちは。どうぞ座ってください」

「は、はい」


 日曜日。とある駅の近くにあるカフェテリア。山下さんはそのテラス席に座っていた。


 イケメンなので、とっても目立っていた。


 そんなところに突撃しなければならなかったわたしの心中はお察しの通りである。


 きゃいきゃいと騒いでいた他の席の女性方は、突然現れたパッとしない小娘を見て、「えーっ」という視線を送ってくる。


 くそ、暇人どもめ。


 そんな風に心中で毒づきつつ、わたしは山下さんの向かいの席に腰を下ろした。


 改めて、山下さんを見る。


 きらきらしている。


 まぶしい。


 それでも、目がそらせない。


 このひとが黒と言えば、白も黒になる。


 ……なんだか、そんなふわふわとした心許ない気分になった。


 いけない。しっかりと気を持て!


 心の中で己に喝を入れるものの、あまり効果はなかった。


 自然とわたしの視線は山下さんへと吸い込まれて、脳の奥のほうからじんわりとなにかが分泌されているような気になった。


 たぶん、今わたしの体は内側から女性ホルモンとか、脳内麻薬とかを出している。


 そういう風に冷静な分析ができるていどには、わたしには理性が残っていたが、それも風前のともしびと言えた。


 ごめんなさい。「運命」、ナメてました。


 心の中では威勢のいいことばっかり言ってたけど、ヤバイ。


 これはすごい。電撃的に恋しちゃったり、なんならすぐさまラブホにインしてギシアンしてもおかしくない。そんなパワーを肌でひしひしと感じる。


 もしも、もしもわたしに京吾という存在がいなかったら、きっと身も世もなく山下さんに取りすがって、媚を売っていたに違いない。


 それだけの破壊力が、「運命」にはあった。


 しかし! しかしである。


 わたしには京吾というマイスイートラブがいる。


 地球を一〇周しても足りないくらい大好きな京吾がいるのだ。


 ここで降ってわいた「運命」なんかに屈するわけにはいかない。


 わたしは姿勢を正して、山下さんをまっすぐと見た。


 今の山下さんの姿そのものが、わたしにとっては毒に等しかった。


 けれども、今から話すことはきちんと相手の目を見て言いたかった。


「山下さん、お話があります」


 急に真剣な目つきになったわたしを見て、山下さんは怪訝そうに片眉を動かした。


 そんなちょっとキザな所作が似合ってしまうくらい、山下さんはイケメンだった。


 わたしの本能の部分が山下さんに惹かれているのがわかる。求めているのがわかる。


 けれどもそんな本能が前に出てきたことで、わたしの中では自然と京吾の存在が浮き彫りになった。


 京吾が好きだ。


 京吾と幸せになりたい。


 つがいになって、ずっといっしょにいたい。


 不思議と、山下さんに惹かれる自分を俯瞰して見れば見るほど、わたしの中ではそんな思いが強くなって行った。


「記憶喪失……ですか」


 にわかには信じがたい、といった口調で山下さんはわたしの言葉を反芻する。


「信じがたいのも無理はありませんが……」

「なにかきっかけが?」

「えっ……と、あ、頭をちょっと、ぶつけまして……」

「病院へは?」

「定期健診の際に言おうと思っていたんですが、ちょうど発情期がきてしまって、来週に持ち越しになったので、まだ……」


 しどろもどろになりながらもわたしがそう言うと、山下さんはちょっとだけ眉間にしわを寄せた。


「すぐにでも病院に行かれたほうがいいかと……」

「はい……ソウデスネ」


 正論だ。ド正論だ。


 なんですぐに病院にかからなかったのかと言えば、来週にまた健診を受けるのであれば、そのときに言えばイイヤーという気持ちでいたからだ。


 要はめんどうだったのである。わざわざ病院に足を運ぶのが。


 ちなみに京吾にも散々言われたが、特に差し迫って困るようなこともなかったため、流していた。


 京吾はめちゃくちゃ不本意そうな顔をしていたが……。


「ま、まあ、そういうわけで、実は山下さんとお会いした記憶がすっぽ抜けてまして。差し支えなければ出会ったときの状況とか、わたしたちの今の状況とかを教えてくださればなーと思って……」

「……ああ、それで電話を」

「ええ、まあ……」


 気まずい。


 すっごく気まずいぞコレ。


 山下さんも「えーっ」って言いたげな顔してるし。


 いや、まあ、「えーっ」って言いたい気持ちはわかる。わたしだってこの状況に文句を言いたいし。


「状況……とは言っても、まあ、俺たちはほとんど初対面に近いので」

「そうなんですか?」

「ええ。とりあえずひと目見て『運命』なんだなーというのはお互いに理解できたので、取り急ぎ連絡先だけ交換した感じですね」

「へえ……」


 じゃあわたしは山下さんのことはハナからくわしくは知らなかったのか。


 もとより、失う前から記憶が少なかったようだ。


 しかしなんで山下さんの名前なんかはだれにも漏らさなかったんだろう……?


 存在を隠していたわけでもないのに、個人が特定されるような情報を出すのを避けていた理由はなんなんだ?


 疑問は浮かぶが、これはわたしの問題であるので、山下さんに聞くわけにもいかない。


 聞かれたって山下さんは困ってしまうだろう。


 というわけでこのことについてはひとまず置いておこう。


「それと『つがい』についてですけど」

「は、はい」


 ハイキター!


 今回のメインイベントと言っても過言ではない、「つがい」について!


 わたしはひとりドキドキと心臓を跳ねさせる。


 ここで山下さんが「前向きに検討したい」とか言い出したらどうしよう、などと妄想する。


 ……しかし妄想は妄想に過ぎず、アホみたいなそれはすぐに打ち砕かれた。


「俺、すでにつがいがいるんですよね」

「……ほ、ほう!」

「まあそういうわけで俺たちは『運命』だけど、今回はご縁がなかったということで」


 山下さんはまぶしいほどの笑顔でそう言いきった。


 これ、知ってる。「今後のご活躍をお祈りします~」ってやつでしょ。


 わたしは心の中でそんなことを言いながら、粉々にされた妄想をいっしょくたにしてゴミ箱に捨てた。


「お、お幸せに……?」


 わたしは勝手な妄想を繰り広げた気恥ずかしさから、そんなことを言いつつ、今すぐこの場から離脱したい思いに駆られる。


 あー! 京吾に会いてえなー!


 会ってわたしのアホな妄想を笑い飛ばして欲しいなー!


 そんなことを胸中で叫びつつ、わたしはストローでアイスティーを吸い上げた。


「まあ仮に今フリーだったとしても、高上さんを相手にするのはちょっとね……淫行警官なんて呼ばれたくないし」


 (笑)。


 確実に、語尾に(笑)がついているぞ、コレは。


 ……っていうか、山下さん警察官なのか!?


 あーわかりました。


 完全に理解しました。


 なんでわたしが山下さんの個人を特定できるような情報を言わなかったのか。


 なんで山下さんについて聞かれてあせっていたのか。


 山下さんが、警察官だからだ。


 警察官。法を守るお仕事。そんなおカタイ職業の人間が、女子高生とイカガワシイ関係などと邪推されたらこまりますよね。


 わたしは恐らくアホなりに山下さんの立場を考えて、彼のことをだれにも言わなかったのだ。


 そうとしか考えられない。


 いや、わたしがそうと考えているのだから、恐らくこれが真実なのだろう。


 ……それにしても、こんなショボ……みみっちい……なんというかかんというか、が真実とは。まさか、まさか……。


 わたしは思いがけず明かされたショボすぎる真実に動揺し、冷静になるためにまたアイスティーを吸い上げた。


 そしてその動揺があとを引いていたのだろう。


 わたしはこのあと、失態を犯すことになる。


 山下さんはこのあとも、「俺にも出世とか閨閥とかあるしね(笑)」とか聞いてもいないのに話してくれた。


 もしや、山下さんはエリートか? キャリア組ってやつか?


 わたしはつたない知識を引き出してそんなことを考えたものの、「ソウナンデスネー」としか答えられなかった。


 そしてもうしゃべることはないということで、自然とお開きの空気になって行った。


「じゃあもうこの先会うことはないだろうし、ここは俺が払っておくよ」


 スマートな所作で山下さんは会計票を手に取って立ち上がった。


「え、いや……」


 わたしはそれにあわてて立ち上がった。


 あわてていたのがいけなかった。今振り返って切にそう思う。


 どんくさいわたしはうしろへ引いたイスに脚を引っかけて――転んだ。


 それはもう、盛大に転んだ。


 おどろいた店員さんがすっ飛んでくるくらい、盛大に転んだ。


 そして、後頭部を強打した。


 ――か。


 自然とそう思った自分に気づいて、わたしはどこかへ飛んで行っていた記憶が戻ったことを、知った。

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