となりぼっち。

百谷シカ

1──くしゃみ


 元バスケ部の女子六人でランチを終えて屋上から戻ると、遠野朱々葉とおのすずはがカーディガンを羽織って寝ていた。もう四月も下旬、今日はあったかいくらいなのに。ほとんど挨拶も交わさないとはいえ、少し心配になった。

 朱々葉はあたしと真逆なタイプだ。一年で同じクラスになったものの、その後の高校生活で積極的に関わる予定はなかったし、打ち解けるわけがないと信じていた。なぜなら朱々葉の方が、こんな騒がしい女は御免だという顔をしていたからだ。


 むくり、と起き上がった。

 カーディガンが左肩からずり落ちる。

 朱々葉は赤く潤んだ目で黒板を見あげた。


 なるほど。風邪をひいているらしい。


「──ン、キュン!」


 仔犬のように鳴いて首を竦めた朱々葉を、唖然と見おろす。わかっている。これはクシャミだ。あたしはこの可愛い子ぶったクシャミをする女子が大嫌いだった。

 朱々葉は艶のある豊かな黒髪をおさげにしているし、休み時間ともなれば小説でも参考書でもない分厚い横書きの本を読んでいる。奥二重の目はいつも静かで、大人びているにも程があるし、ハッキリ言っていけ好かないのだ。


 だとしても、洟をすすって重そうな瞬きをしている様子は痛ましい。


「遠野さん、だいじょうぶ?」

「……マスク忘れちゃって」


 それは、悪いけど持ってない。持っているわけがない。

 朱々葉が手で口を覆った。吐くのかと焦ったけれど違った。


「話すとうつる。悪いから、構わないで」


 なんとも可愛げのない気遣いに苛立ち、でも椅子を寄せた。

 

「クシャミしといて。っていうか洟かみなよ。熱は?」

「……ムカイさん、うつる」

「ムカ、エ。むかえだよ」

「ごべんなだい」


 鼻声も甚だしい。

 額に手を伸ばせば避け、カーディガンをかけ直してやれば謝り、なかなか洟をかまないのにまた目をしょぼしょぼさせ始める。今クシャミされたら、あたしが浴びる。カバンからティッシュを出して差し出しても、朱々葉は押し返してくる。


「んっ、キュン!」


 のあとに、洟の音。

 

「洟かみなって」


 朱々葉は首をふる。

 いやいやいや。絶対かんだほうが楽になるし、スッキリする。間違いない。


「かみな」

「やぁ」

「はあっ?」

「人が、いっぱい……」


 ああ、そうか。

 可愛いクシャミをする女子は、人前で洟をかんだりしないわけだ。

 だからといって、午後の授業をずっと隣でぐずぐず言われるのも嫌だし、こんな調子じゃ昼もまともに食べていないかもしれない。


「わかった。保健室いこ」

「……うー」

「うつしたくないんでしょ? いないのが一番」


 どうも頭が回っていないらしい朱々葉を立たせ、時計を見あげた。あと七分。保健室に送り届けて戻って来るには充分だ。

 並んで歩くと朱々葉はあたしの鼻くらいに脳天があった。しかしキレイな髪だと思う。そして量が多い。赤みの強いくせ毛、更に遺伝で薄毛確定のあたしには、絶対に真似できない上品な頭部だ。


「ンッ、キュン!」

「薬もらって寝なよ。ほら、垂れてきたじゃん」


 苦しそうにあえぐ朱々葉に、ティッシュを一枚出して渡した。今度はさすがの朱々葉も受け取って、鼻を押さえる。


「かみなって」

「ナントカ、ナル」

「なってないよー」


 世話の焼けるお嬢様という感じだ。

 可愛い後輩たちを思い出した。朱々葉は、可愛くない。見た目はキレイかもしれないが、性格が可愛くない。


「ありがとう。もう、いいから」


 保健室の手前で追い払う辺りなんか、特に。

 

「じゃ、お大事に」


 呆れ半分、諦め半分。

 こういう人種もいるんだと自分に言い聞かせて教室に戻った。


 それからあたしはバスケ部に入り、朱々葉は美術部に入った。あたしは部活を満喫したが、朱々葉はほとんど幽霊部員という感じで、しかも特別扱いを受けているような雰囲気だった。

 夏休み前、朱々葉の絵が賞を獲得して、ニュースに出た。苦労を知らない努力とは無縁の本ばかり読んでいるお嬢様だと思っていた朱々葉が、毎日コツコツと日本画を描く芸術家だと知った。


 真逆どころではない。

 住む世界の違う人だった。


 ところが不思議なもので、あたしと朱々葉はキスをしたのだ。

 一年目の文化祭、キャンプファイヤーを抜けだして、体育館の脇でよくわからない喧嘩をしたあとの事だった。

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