第4話 学生と生きること

自分は生きることは無意味だと考えている。

というより、そうでもしないと生きていけない。


生きることに意味はあるのか?なんて学生(ここでは中高生を指す)で考える人は非常に少ない。

倫理の授業で問われたことが過去にあったのだ。

「生きることに意味はある?」

意見提出強制では無かったがクラスの三分の一が提出していた。

多くの意見が提出され、授業内で教員が紹介していた。

「いい大学に行くために生きているから意味はある」

「自担、推しを見届けるために生きているから意味はある」

「いい就職先に就いて、いい人生を送りたいから生きているので意味はある」

「彼氏がいるから生きている意味はある」

様々な意見が寄せられていた。生きることに快活な意見ばかりで、正直羨ましかった。

それもそのはず、自分が書いたのは以下の通りである。

「生きることに意味はない。意味を見出だし始めたら、生きられなくなってしまう」


矛盾ではあるが、自分にとって他の皆が言う「意味」は確かに存在している。

ドラマの続きを見たい。推しの成長を見届けたい。自分の将来がどうなるか気になる。


これらは果たして本当に意味なのだろうか。

そもそもこれらは「意味」では無く、生きる「支え」なのではないか。


私は考えた。

生憎、自分は欲の塊でしかないようで

人に認めてもらいたい。社会の一員になっていたい。

そんな漠然とした欲が自分の生きる「意味」だった。

しかし、それらを叶えようとすればするほど息苦しくなる。「意味」を追求すればするほど自身の体は破滅に追い込まれてしまうのだ。

それでも、自分の体は心臓、血液、脳すべては動き続けている。

自分が求めた「意味」を置き去りにして生きるのだ。


あぁ、そうだとも。生きている。何をせずとも生命活動的な生きることは行われている。

精神的な生きるための何かが、生きる意味と支えだとするならば。

自分は意味は何もないと考える。


意味を追求すれば自分の心身は滅せられる。それこそ生命活動的な生きるに影響を及ぼす。

しかし、何か生きる支えがないと生きていられない。

それが皆があの授業で出した意見である「意味」の部分だ。

重複するがあれは意味ではなく、支えなのだ。


やはり、生きることに意味を問えば

自身を滅ぼす。

だが支えがなければ精神的に生きていけない。


そんな矛盾を抱えて、今日も一人ベッドで眠る。






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