コーヒーのロック

いありきうらか

コーヒーのロック

「コーヒーのロックで」

「…はい?」

カウンターに座って早々、男はそう私に言った。

男はキザな白いスーツを身に纏っている。

バーを始めて長らく経つが、見たことがない顔だ。

「コーヒーのロック」

「それは…コーヒーに氷を入れた状態でお渡しすればよろしいでしょうか…?」

「もちろんそうだよね、コーヒーのロックなんだからー」

嫌味な響きを残して男は答えた。

「コーヒーはホットでしょうか、アイスでしょうか」

「そりゃあアイスだよねえ、ホットコーヒーに氷入れたらあっという間に溶けちゃうじゃない」

かぶりを振って、ニヒルな笑顔を私に向けてくる。

「そ…そうですね、失礼いたしました」

「いい雰囲気のバーだね」

「ありがとうございます、コーヒーカップがないので、グラスでも構いませんか?」

「ああ、問題ないよ、しかし、いいよね、バーに佇む寡黙な男ってのは」

寡黙からほど遠い男が何か言っている。

派手なスーツとは打って変わって、男前とも醜い顔とも言い難い中途半端で地味な顔の男だ。

そもそも…バーでコーヒーを飲むのか?


「コーヒーです」

「どうも」

男は足を組み、グラスを傾けて、物思いにふけている。

グラスの中には、グラスに似合わない真っ黒なコーヒーと氷が入っている。

これがウィスキーのロックだったら、もう少し雰囲気が出ていたかもしれない。


今はカウンターにこの男しかいない。時間を繋ぐために男に話しかける。

「お客さん…お酒は飲まれないんですか」

「飲めないんだよねえ、でもさ、酔うのは好きなんだよ、だから少しでもお酒を飲んでいる気分になりたくてさ」

「…お酒飲めないのに、酔うのは好きなんですか」

「お酒じゃなくて…自分に、酔うんだよ」

セリフを言い終えたタイミングで私に目線を向けてきた。私は目線を逸らし、手に持っていたグラスを拭き続けた。

私は思った。苦手なタイプの客だと。

たまに、バーの雰囲気に酔いすぎている客がいる。この男は泥酔している。


「…それでは、ジンジャーエールも良いのではないでしょうか、その方がより飲んでいる気持ちになれるかもしれませんよ」

「いやあー、あいにく炭酸が苦手でね」

「そうでしたか…しかし、仕事でお酒飲めないと大変じゃありませんか、付き合いも多いでしょう」

「確かにそうだね、アルコール度数と飲んだ量で偉そうにする奴ばかりでウンザリしてるんだよ」

「あー、まだいるんですねそういう方」

「未だに飲み会で親交を深める、とか、腹を割って話しする、とか多いからね、特にうちみたいな業界だとさ」

「芸能かIT関係のお仕事されているんですか?」

「いやいやー、自営業だよ」

「は、はあ」

正直に言ってあげたい。

キャラが固まっていないぞと。どの個性を推したいのかわかりにくくなっているぞと。


「お酒飲めないのに、わざわざこのバーに立ち寄ってくださったんですね」

「なんか良さそうな店あるなあって思ったからさー」

「ありがとうございます」

「あと、急にコーヒーが飲みたくなってさ」

「でしたら、向かいのカフェでも良かったのでは」

「いやいやー、あんなお洒落なところ入れないよー、女子いっぱいいたしさ」

良さそうな店、とはなんだったのか。

遠回しに私のバーを攻撃していることには気づいてなさそうだ。


「でもあれだね、バーでもコーヒー置いてくれてるんだね」

「普段はないんですが、今日は色々あってソフトドリンクも置いているんですよ、いつもはソフトドリンク、ジンジャーエールだけなんです」

「へえそうなんだ、こっちからすれば、梅酒も、ウィスキーも、ビールも、ジンジャーエールも、グラスに入っていたら全部同じに見えるよ」

「お酒好きじゃなければそうかもしれませんね」

「だから、こうやって、優雅にコーヒーを飲む、ってわけ」

不必要に身振り手振りをしながら話をしてくる。声、動き、言葉遣い、何か鼻につく。

だから、とはなんだ。どこが優雅なんだ。そもそもなぜコーヒーなんだ。

…しかし、これだけ鈍感であれば人生は楽しいのではないだろうか。


「今日はお一人ですけど、女性と一緒ではないんですか」

私はあえて意地悪な質問を選んだ。

「ハハハハ」

手を叩いて男は笑った。

そこまで面白いことは言っていないのだが。

「いやいや、マスター、僕が…女性に好かれそうに見えるかい?」

グラスを拭く私の手が止まってしまった。

「…え?」

「顔は中途半端で、身振り手振りが気持ち悪い、無自覚に皮肉を言ってしまう性格、モテると思うかい?」

「…あ、自覚あるんですか」

…しまった。つい口が滑った。

「もーちろんさ」

男は笑って答えた。親指を立ててウィンクしてくる。

さっきからこの男は全て間違えている。


「僕は………モテない」

随分と言葉を溜めて、グラスを回しながら、口元を緩めて男は言った。

そしてグラスに入ったコーヒーを口元に運んでいった。

この人…、一体どんな気持ちで話しているんだろう。

しかし、不思議とこの男に寂しさは見えない、悟っているようにも見える。

そこまで自覚しているのであれば、なぜ直さないのだろうか。


本心をこぼしてしまった罪悪感もあり、フォローの言葉をかける。

「お客さん…そこまで悪い男じゃないでしょう」

「そんな、気を遣うのはよしてくれよ、マスターだって中途半端だって思ってたんだろう」

「いや…それは…」

「毎日鏡を見る度に思うんだよー、あーあ、散らかってるなあー、って、ハハハ」

そこまでは思っていない。この男、この出で立ち、この振る舞いでまさかの卑屈だ。

「そんな卑屈な、その割にはずいぶん派手な服着てるじゃないですか」

「白い服着るくらいいいじゃなーい、顔がアレなんだから服装だけでも整えようと思うじゃなーい」

こんな自虐的な正論はあるのか。ここにきて新たなタイプの接客を強いられている。


「でもさ、卑屈になってもしょうがないじゃない、見た目とか行動から変えていこうと僕は思ったんだよ」

「…」

いい心掛けではある。しかし、アプローチを間違えている気がする。

「外面からモテる男の雰囲気を醸し出したら、いずれ中身もそれに近づくんじゃないか、ってね」

「…は、はあ」

「モテる男といえば、派手なファッション、ナルシシズム、そして…バーだ」

「…」

この男のモテる男像はやや古い。

「あと、コーヒーね、もちろんブラックでさ、クールに見せたいからね」

思春期か。

「でもね、こんな感じでかれこれ2年くらいやってるけども、全然上手くいってないよ、ハハハハ」

「…」

「こないだね、バーで一人で飲んでいた女性に話しかけたんだよ」

「…どうだったんですか」

「ウーロン茶をかけられたよ」

何があったんだ。

「いやー、シミ取るの大変だったよー」

よく見ると、男の目は笑っていない。

…なぜか私の方が寂しい気持ちになってきた。

好きではない男だが、なんとかしてあげたい気持ちになった。


私は、さっきまでいたお客さんがお土産で持ってきてくれたグレープジュースを取り出した。

そして、ワイングラスにグレープジュースを注いで男に出した。

「…これは?」

「サービスです…、バーで女性を連れてくるようなお洒落な方は…よくワインを飲んでらっしゃいますよ」

男は少し目を見開いて私の方を見ていた。

私は、男に向かってほほ笑んだ。

男も私に微笑み返した。


「…マスター」

「はい」

「あいにく、甘いのがダメなんだ」


グラスの中身を男の顔面にかけてやりたくなった。

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コーヒーのロック いありきうらか @iarikiuraka

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