第73話〜異臭と異界

…………。


「…………。」


異臭。


ダンジョンに一歩踏み込んだ瞬間、外の空気とは一変した。


これまでも森の中で嗅いだゾンビたちの腐臭。


それがダンジョン内部には充満していた。


そう、充満だ。


体に染みつきそうなほど濃厚な、肉の腐った臭い。


なるほど、鼻が曲がりそうな、なんてよく言ったものだ。


空気すらねっとりとまとわりつくようだ。


「…………。」


異界。


ダンジョンは一歩踏み込んだ瞬間、外の空間とは異なる。


この中では外の常識は通じなくなると思え。


冒険者たちはみんな口を揃えてそう言っていた。


皆、一様にだ。


ダンジョンの内と外、ほんの一歩の違い。


なるほど、確かに違う、ここはもう迷宮の中だ。


大きな獣の腹の中に入り込んだみたいだ。


外で感じていた気配とは違う。


呼んでいるんじゃない、¨逃がさない¨と…。


…………。


すでに彼女の姿はない。


獣人のヒナにこの臭いはきついだろうなと思った。


「…………。」


さて。


クールになろう。


いつも通り、まずは情報収集だ。


さっきまでの精神と切り替える。


【観察眼】をフルに使い、少しでも違和感があれば【鑑定眼】も使用する。


通路の広さは、大人が3人並んでも十分に歩けるほど。


高さは平均的な成人男性が手を伸ばせば届くくらいか。


横に広い楕円形の通路と表現したら近いかもしれない。


壁や天井は掘り進めた洞窟のように剥き出しで、床は申し訳程度に平らな石が不規則に敷かれている。


光源となるようなものは見当たらないが、なぜか視界に不自由はない。


視界に罠も無さそうだ。


すでに『宵薔薇の乙女』のラナンが通っている以上、魔法的な罠の存在は問題ない。


そしてヒナが進んでいる以上、物理的な罠の危険もない。


あとは討伐漏れのあったゾンビや他のモンスターに気を付けておけば大丈夫か。


¨なんて、考えるようじゃダンジョンでは死ぬ¨。


見落としがあったら?


時間差で現れるトラップだったら?


普通なら無視するような罠が放置されている場合だってある。


俺は冒険者じゃない。


ダンジョンの話を人伝に聞いただけの一般人、いや、記憶もなくした異世界人だ。


この世界じゃ赤子に等しい存在だ。


だから何度も死にかけ


ズキンッ


「……ッ」


とにかく、慎重に慎重を重ねてもまだ足りないくらいに思っていないとダメだ。


石橋は叩いて壊して調べ尽くすくらいがちょうどいい。


よし、クールにいこう。


…………。

…………。

…………。


誰もいなくなったダンジョンの入り口。


そこに、1人の男が現れた。


「やれやれ、とんだ無駄足を踏んだぜ。ここは当りであってくれよ?」

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