第3話 自由のない天使

「可哀想……」


 わたしを見てそう言ってくれたのは、巻き毛のビスクドールだった。


「可哀想な天使さん。翼も瞳も失くしてしまったのね。空ももう飛べないし、なんにも見えないのね」

「あなたは?」

「わたし? わたしはただの人形。そうね、昔はヴィクトリアと呼ばれていたわね。もう、ほんとに昔の話だわ」


少し哀しそうにそう言った彼女をそっと抱き上げると、手の平を伝わって彼女の姿が伝わってきた。

金色だという巻き毛は指どおりが悪い。服もぼろぼろのような感触。そっとなでた彼女の頬は随分ざらざらしていた。


「あなた……こんなところでなにをしているの?」


周りは多分、なんにもないはずだった。わたしの目は見えないけれど、それくらいはわかる。人の気配は微塵もない。多分、話しかけられなかったら、わたしはヴィクトリアにも気がつけなかっただろう。


「待っているの」


 彼女は小さく答えた。


「あなたには見えないだろうけど、ここ、昔の屋敷の跡よ。もう、崩れちゃってなんにもないけど、わたし、ここで暮らしていたのよ」

「ここで?」

「そう。とっても優しい女の子と一緒に。リースという名前だったわ。でもね、ある日わたしにさよならを言って、そのままどこかへ行ってしまったの。帰らないのよ」


それも、もう随分昔の話なのだと彼女は言った。


「でもね、でも、待っているの。だって、わたしにはリースの歌が聴こえるの。気のせいじゃないわ。聴こえるのよ。だから待っているの、帰ってくるのを。だって、わたしは動けないから」


遠くから聞こえる歌声。それは、優しくて穏やかな歌。そう、わたしの耳にもずっと聞こえている歌。


「でも、正直もう、疲れたわ」


自分を可愛がってくれた女の子を待っていたい気持ち。でも、その月日が長すぎて、疲れてしまう気持ち。その両方が、きっと彼女を責めている。

わたしにできることがあったらいいのに。わたしにあげられるものが……。


「わたしにはもう翼がないの。だけど、自由ならまだ失ってないわ。だから、あなたにわたしの自由をあげる」


そう、それだったらあげられる。まだ、失ってないもの。


「だから、行って。彼女のところへ。もう、待たなくていいから」


彼女がリースに会えることを、わたしは願う。わたしは自由を失うけれど、それでもいい。馬鹿だと言われるかもしれないけれど、どうしてか、わたしは自分を差し出さずにはいられない。

どうしてなのか、自分でもわからない。わからないけれど、そうしてしまう。自分のことなんてどうでもいい。どうでも良く思える。

わたしのことより、この小さくて愛しいビスクドールが幸せになってくれればと思う。そう、祈らずにはいられない。


「あなたの自由を? そんな大切なもの、もらっていいの?」

「いいのよ。だから、行って。そうして、幸せになって」


わたしは天使。幸せを祈る天の御遣い。


「可哀想な天使さん。自由も失うのね。わたしが、奪うのね。でも、ありがとう。わたし、リースに会いたい。だから行くわ」


自由を得たビスクドールは、そう言ってわたしの頬をなでてくれた。あたたかい手のひらだった。


「可哀想な天使さん。いつかきっと、あなたに幸せがありますように。それを願って、わたしは歌うわ。聴覚まで失くさないでいてね」

「ありがとう。わたしも歌うわ、世界の幸せを願って。ここで、ずっと」

「ええ。あなたの歌をずっと、聴いて行くわ。ありがとう、天使さん」


そう言って、小さなビスクドールはわたしの前から去って行った。自由を失い、片足を地面に繋がれたわたしを残して。

でも、大丈夫。彼女の歌う歌が聴こえる。わたしのために歌ってくれる、優しい歌が。ずっと。

だから、自由を失っても大丈夫。わたしのかわりに、あのビスクドールが世界を渡って行ってくれる。だからいい。

優しい歌。世界を包む歌。幸せを願う歌。

どうか、どうかたくさんの人々に届きますように。

どうか……。


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