第5話 採用
気高きレディ、ミス・ライナに一撃もらった翌朝。
首をかしげ、窓の外をみる。
まだ暗い。
正確な時間はわからない。
だが、ジュラルミンケースに内蔵されている時計を参照すれば、逆算的におおよその時刻は割り出すことができそうだ。
今はだいたい午前5時くらいだろうか。
居間にの薄汚れた小窓から、青白い朝気配が入ってきているのが、私の計算を肯定してくれる。
昨晩はいろいろあったな。
異世界にやってきて、魔術師を探して、魔術師を見つけて、弟子入りを断られて、投げつけるように渡された目の粗いブランケットで寝てーー。
ああ、そうか、弟子入りだ。
昨日は彼女を怒らせてしまったから、今日こそは気に入られて、必ずや弟子にして貰わないといけない。
運良く魔術師に会える機会なんて、あとにも先にも、これが最後かもしれないのだ。
⌛︎⌛︎⌛︎
もぞもぞとうごめく、布の塊。
みすぼらしく、到底ベッドとは呼べない、布の重なった寝床の中から、眠たげな少女が這い出てくる。
「ふわぁ〜、よく寝たぁ〜」
大きなあくびをし、ぐっと伸びをする。
スラムではそこそこ名の知れた少女、特徴的な銀髪と、気の強さを象徴する、鋭い黄金の瞳を見たのなら、
彼女はもれなく不機嫌だ……と、そんな噂がスラム街のそこかしこでたつ、彼女の名はライナ。
師匠をなくしたばかりの見習い魔術師である。
「あれ、ブラシどこ言ったっけ……あった」
寝ぼけまなこを擦り、手探りに、汚部屋のなかから目的のブツを見つけだし、ライナは布の塊のなかへと戻っていく。
しばらく、布がもぞもぞ動いたのち、寝癖のなくなったライナが寝床から出てきた。
放られるブラシ。
枕元に置いてある魔法の杖を手にとると、ライナは居間へと向かうことにしたようだ。
昨晩はブランケットあげたし、出ていってないよね……と、ライナは昨晩出会った彼へ、出ていってしまった可能性を危惧しながら、居間の扉を押しあけた。
「なに、これ……?」
居間に入るやいなや、彼女の目に飛び込んできたのは、整理整頓の行き届いた別世界だった。
机のうえには物ひとつなく、部屋の端に寄せておいた半年来のゴミたちは、どこへいったのか姿が見えない。
棚にはサイズ別にわけられた本たちが、しっかりと納められており、そこには塵ひとつ見あたらない。
一体何が起こったのか、ライナが眉をひそめて訝しんでいると、外から昨晩の少年の声が聞こえてくる。
「あ、ミス・ライナ、お目覚めになりましたか。おはようございます朝食を作ってあります、すぐ持っていきますので、座って待っていてくださいね」
開け放たれた小窓からだ。
「ちょちょちょ、あ、あなた何してんのよ!?」
ライナは、普段見てる窓とは思えないほどに、綺麗になった窓にしがみついた。
窓の外、ジェームズが不思議そうな顔をして、家のなかを覗き込んでくる。
「何って、昨日言ったとおり、ミス・ライナの身の回りを整えさせてもらっています。可愛らしいのですから、残念美少女のままではもったいないですよ」
「っ、だれが残念よ! だれが! ……え、ていうか今、美少女って言った?」
一瞬の激昂をへて、まんざらでもない様子のライナへ、ジェームズはにこりと微笑むと、さっと窓から離れてしまう。
家の中、ライナがひとり頬をあからめ、両手で口元を抑えていると、家の扉が開く音がした。
ライナはその音にハッと我にかえると、窓から離れ、すぐにイスに座って足をくんだ。
自身の髪の毛が乱れてないか、やや心配そう。
だが、もはやチェックしている時間はないと、諦めたようだ。
居間に入ってきたジェームズは、大事そうに抱えた袋を机にどしりと乗せ、台所からフライパンと皿を持ってやってきた。
緑色の野菜と思われるものが盛られた皿へ、フライパンからガラナメーグの卵の目玉焼きが、小分けされて移されていく。
ジェームズは机に置いた袋のなかから、長いパンを取りだすと、半分に手折り、どこから持ちだしたのかわからないナイフで、パンをスライスしていく。
焼き立てパンのいい匂いに、ライナは急速に腹の虫が騒がしくなるのを感じ、たまらずパンに手を伸ばした。
「どうぞ、ミルクです」
ジェームズが、カップに注いだミルクを手渡してくる。
卵も、野菜も、パンも口のなかに頬張り、幸せいっぱいに食事を終えたところへの、完璧なあとだしタイミングだ。
ライナは久しぶりに満たされた、幸福を感じながらミルクを受け取り、ごくごくと飲み干した。
「ぷはぁー、美味しかったわー!」
「美味しそうに食べてくれて、私も嬉しいですよ、こっちも食べますか?」
黙って食事を見守っていたジェームズは、自分のぶんの皿をライナのまえに差し出した。
すっと伸びそうになる手。
しかし、すんでんのところでライナは、その手を引っ込めた。
「い、いいわよ、あなたが食べなさいよ! それとも何、わたしがそんな大食漢にみえるわけ!? あなた馬鹿にしてるでしょ!」
「えぇ……別に怒らなくても……」
ジェームズはやや気後れしたふうに、皿を引っ込め、何言っても怒るライナをいさめながら、パンをかじった。
ライナは頬を朱色に染め、おとなしくパンをもぐもぐするジェームズを眺め……ふと、口を開いた。
「採用」
「はい?」
問いかえす紳士。
「だから採用って言ったのよ。わたしの弟子にしてあげるわ。別にあなた無しでも、部屋を片付けることなんていつでも出来るし、
朝食だって余裕で用意できるし……だから、あなたにお世話してもらわなくて全然平気なんだけど、
わたしの優しさで、あんたを住み込みの内弟子にしてあげるってこと! だから、ほら、感謝しなさい!」
ジェームズは両手を合わせ、キラキラした瞳で少女の手をとった。
「ありがとうございます、ミス・ライ……痛っ!?」
「わ・た・し・は・し・しょ・うっ! これからはライナ師匠と呼びなさい! いいわね、わかった?」
「……はい、師匠、よろしくお願いします!」
ジェームズは頬を押さえながら、そう言うと、ガッツポーズをして、気品高く、輝く笑顔をうかべた。
ライナはそんな彼の笑顔に目を見張り……すぐに視線をそらした。
「ふ、ふふ、そうと決まれば、さっそく買い出しに行くわよ! ジェームズ、いますぐ外出の支度をしなさい!」
張りきるライナは得意げに胸を張り、玄関を指さした。
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