第4話 ライナの住処

 

 この世界にも月があるらしい、それも3つほど仲良くとなりあってならんでいる、不思議な月が。


 そして、当然のように星も輝いている。


 ともすれば、空の向こう側には宇宙があるはず。


 私が平気で呼吸できていることから、空気中の成分は地球の大気と変わらない、か?

 いいや、そもそも私自身が、異世界の人間らしき生物になってしまっているから、細かいことを気にしても仕方ないのか。


 気高い少女のあとを追いながら、美しい黒き空のなかに世界の類似性を見だす。


 夜空の一部分だけ切り取れば、きっと誰もここが時空を超えたさきの魔法の世界とは気づかないだろう。


「へぇ、あなたも15歳なんだ。実はわたしもよ。同い年なのに今まで会ったことないなんて……スラムの住人じゃないんでしょ? 喋り方とか、いろいろここの人間たちとは違うもの」


「よく分かりましたね。私は……そうですね、違う国から、来たんです。ずっと、遠くのはるか異邦の国ですよ」


「ふーん、なんで言う国なの?」


「イングランドって知ってますか? かつては世界の半分を制覇した誇るべき偉大な祖国です」


「うーん……知らない……。世界の半分を、手に入れた? そんな国があったなんて聞いたこともないわね」


 彼女はイングランドのことを知らないのか。


 まぁ当然といえば、当然なのだが。


 目のまえを率先して歩く、レディの背中をみる。

 美しい銀髪が特徴的な彼女は、噂に聞く魔術師だ。


 だとすれば、もしかしたら私のことを元の世界に返してくれる、魔法とかを使えるかもしれない。


 異世界がどいうものであるか、その性質もなにもかも不明な以上、

 うかつに私の正体は晒したくはないが、リスクを負わずに、何かを成し遂げようとするのは、虫の良すぎる話だ。


 腹をくくる頃合いだ。


「着いたわよ。ここがわたしの家。面白い物はないかもしれないけど、あがっていってちょうだい」


 道端で立ちどまり、ライナは扉を押し開けた。


 真っ暗なその中へ、若干の警戒心をいだきながら、足元に注意してお邪魔する。


 室内へ、続いて入ってくるライナは、「遅いわね、さっさと進みなさいよっ」と背中をぐいぐい押して、狭い通路を進ませてきた。やれ強引な子だ。


 やがて扉に突き当たると、ライナは顎をくいっと動かし言外に「とっとと開けなさい」と伝えてくる。


 扉の先は、暗くて見づらいが、どうやら居間になっているらしい事がわかった。


 ライナは扉付近のランタンを、持ち上げると、機械的な動作音を響かせて、その持ち手に付いたつまみをひねった。


 ポッと現れた頼りあるひかりに部屋がつつまれる。


「くつろいで行きなさい。あなたは一応、わたしを助けてくれたんだしね。もちろん、わたし一人でどうとでもなったんだけど……」


「? なったんだけど?」


 消えいく言葉尻をひろって、問いかえす。


「っ、もう! そこに座ってなさい! いまお茶淹れてあげるから!」


 ーーぺチッ


 思春期のレディの心は秋の空だ。


 その気持ちを把握することなど、私には出来ない。


「やれやれ、回収するべきじゃなかったか……」


 ヒリヒリ痛む頬を押さえながら、強力な光源と化したランタンが照らすイスに腰掛ける。


 おもむろに近くの棚にあった本を手にとる。


 文字は読めない。


 だが、不思議とそれらの文字の配列を見てみると、自身の記憶の内側から、それぞれの単語の意味などが直感的に滲み出てくるようなできる気がした。


 この記憶は、この体の本来の持ち主である者が、15年かけて作りあげた常識だろう。


 彼女に感謝しながら、本の背表紙をなぞる。


「火属性魔術……入門[


 間違いない、これは魔導書グリモワールだ。


 興味津々にペラペラとページをめくってみる。


 教養として大英博物館で、何点か本物の魔導書を見たことがあるが、

 それら、いわゆるオカルト本とは違って、この本には具体的な科学的理論に基づいた、魔法の発動原理がことこまかに記されている。


「魔力とは、全存在を形づくる万能の素であり、物質、概念、魂にいたるまで、その法則から逃れることは叶わず……」


 ふむ、魔法とやらを理解するには、高度な計算を要求されそうだ。


 特務機関にいたとき勉強させられた、科学技術系の知識が、役に立つときがついに来たのか。


「あー! 勝手に魔術教本見てる!? ちょっと、あなた何様のつもりよ! いきなり図々しいにも程があるわよ!」


 カップを両手に、ライナはヒステリックな叫び声をあげて走り寄ってくると、叩きつけるように茶を机において、私の手から魔導書を奪い去った。


 目をカッと見開き、大事そうに魔導書を胸に抱えるライナに、呆気にとられる。


「……ぁ、申し訳ありません。くつろいで、と言われたので、非礼を。大切なものだったのですね」


 レディを怒らせてしまうとは、紳士として失格だ。


 こういう時、誠意をこめて謝れるか、どうかでも紳士としての度量は、はかられるものだ。


「あなた、何も知らないのね! 魔法に関する知識が載った本は、高価な財産なんだから、勝手に見たりしたらいけないのよ!」


 魔法の本とは、そこまで気を使わないといけない代物だったのか。


「あなた、本当に仕方のないやつね」


 ペコペコと謝るわたしを、ライナは渋々といった様子で許してくれる。


「それで、あなた、こんな掃き溜めの街に何しにきたのよ。ここはね、あなたみたいな育ちのいいお坊ちゃんが、面白半分でくる場所じゃないんだからね?」


 温かいティーをひと口、私はカップのなかの紅茶的な飲み物に視線をおとし、真実を語ることにした。


「実は、私はこの世界の住人じゃないんです。何かの手違いでこの世界にやってきてしまいまして……気がついたらこのスラム街の近くにいたんです」


 イス脇においたジュラルミンケースを撫で、数時間まえの突飛な出来事を回想する。


「そんなことが……あの不思議な糸を使った技も、別の世界のものってことなの?」


「そうですね、そうなります」


 俺の返答にライナは「ふーん」と、納得したようにその小顔で、うんうん、とうなづいた。


「それで、元の世界に帰るためのアテを探しているんですけど……ライナは私のことを、元の世界に戻せたりしませんか?」


「え? どうしてわたしなんかに、そんな凄いこと、出来ると思ったわけ?」


「魔術師だとおっしゃられてたので。やっぱり、それなりの対価がないと難しいでしょうか」


「いや、あなたね! 魔術師だからって何でもかんでもできると思ったら、大間違いなんたから! 出来るわけないじゃない」


 ライナは脱力しておおきなため息をつく。


 ああ、この反応は望みが薄そうだな。


 魔術師でも私のことを救ってくれないとなると、はたして次はどんな人物をたずねればいいのだろうか。


 はぁ‥‥。


「ぅ、そんな残念そうな顔しないでよ……っ! わたしもがんばってみるわよ、一応あなたは、命の恩人……じゃなくて、余計なお節介かけられた仲なんだから!」


「っ、本当ですか! ありがとうございます、ライナ!」


 少女は銀髪をわしゃわしゃとかき乱し、ティーを一気に飲み干すと、勢いよく立ちあがった。


「だ、だって、もし、仮に人間を別の世界におくる、なんて、並外れた芸当ができる存在がいたとしたら、それは気まぐれの神秘か、あるいは魔術師だけよ。

 魔術師とは、この世の全法則を暴き、使役する者。どんな事象だって、不可能と否定するほうが難しいんだから!」


「おおー……っ」


 なんて頼りになる子なんだ。


 しっかりしていて、義理堅い、こんな彼女を信用せずして、いったい誰を信用しろというのか。


「は……!」


 そんな時、私にひとつのアイディアが浮かんだ。


 私自身も魔法を研究して、元の世界へ至る方法を模索すれば効率的なのではないか、と。


「ミス・ライナ、あなたにお願いがあります」


「ん? なによ、まだあるわけ。本当に図々しい男ね。ぁ、ちょっと、その残念そうな顔やめなさいよ……とりあえず、まずは言うだけ言ってみなさい」


 先払いひとつ、ライナに真剣な私の顔をよく見えるにフードを外す。


「私をあなたの弟子してはくれませんか?」


「っ、わたしのもとで、魔法を習いたいってこと?」


「そのとおりです」


 散らかった居間を、右から左へ指ししめす。


「見た感じ、ミス・ライナは生活力が低そうなので、私は対価として労働力を提供します、どうですか? ミス・ライナが勉強を、私は家事を。よい共存関係をきずけると思いますよ」


「どうですか……じゃないわよ! 生活力が低い? 余計なお世話よ! ぐぬぬ、わたしの事、馬鹿にして……っ!」


「え、あれ、あぁ! ミス・ライナ!? ミス・ライナーッ!?」


 散らかった居間を、勢いよくかき分け、部屋を出ていくライナのあとを追う。


「付いて来ないで!」

「痛ぁっ!」


 去り際の平手の威力に尻餅ついて、驚愕と共にダウン。


 幼くも気高きレディは、鼻を鳴らし、扉をピシャリと勢いよく閉めると、どこかへ行ってしまった。

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