3-15
「――っ、なんだよ」
噛み付くような反応だが、俺の呼びかけの質が変わったことには気付いたらしい。ほんとこいつ、自分に向けられる感情には敏感だな。
「お前が道を違えたのは俺のせいだって、言ってたよな?」
「当たり前だ! お前があの時俺に縋るような真似をしなけりゃ、俺は悪人じゃなく被害者でいられた! 犬どもが逃げ出した時点で俺にはああするしか無かったって言い訳できたんだ」
「……本当に、そう思うか?」
「っ、当たり前だ!」
ほとんど躊躇わずそう答えられるのは見事だが、それでもわずかに口の端が震えたのを俺は見逃さなかった。やっぱりこいつは馬鹿じゃない。最低で下劣で品性の欠片も無い男だが、それでも自分の内側を見誤るほど愚かではないんだ。
実際、あの場に俺がいなかったところであれだけ野次馬の集まる現場で無様を曝したワイルドガウンにヒーローとしての信頼は続かなかっただろう。縋り付いた俺を蹴り飛ばしたことは悪評を強く後押ししたかもしれないが、決定打ではない。逆恨みと切り捨てるには関わり過ぎていて、けれど復讐するには的外れに過ぎている。
「俺がいなければ、あの後の結果が変わっていたと思うのか?」
「……今さらだろーがっ! 言いたいことがあるなら遠回しなのはやめろよ」
「俺はお前がいなければ、奏先輩は死ななかったと思う」
「あぁ?」
「けどそれは、お前が原因だってこととイコールじゃない」
バルクガールが足を止めていることもあってだいぶ落ち着きを取り戻したのか、ワイルドガウンは座り込んだままではあるものの体勢を変えてフードの覗き穴から怪訝そうな視線を向けてくる。そのフードよく見ると目元丸見えなんですね。
「奏先輩が死んだのは、俺やバルクガールが同行しなかったからだ」
「……そりゃ一人のときを狙うのは当然だろうが」
「そうだ。そしてたとえお前がいなくても殺人鬼なんていくらでもいる。そのことを知っていながら先輩を夜道で一人にした俺たちが原因なんだ」
西野が同行していれば守ってやれただろうし、俺が一緒ならワイルドガウンの矛先は俺に向けられただろう。あるいは他の殺人鬼が相手でも、先輩が逃げられる確率は上がったはずだ。
「はっ、そうかよ。で? それがなんだって言うんだ。俺のことを見逃してくれるってのか」
「結局さ、何かを失くす原因って自分なんだよ」
「…………」
「悪いのは別のヤツかもしれない。きっかけは違うところにあるのかもしれない。けど、それを手放したくなかったらキチンと掴んでなきゃいけなかったんだ。手を離したのは、油断したのは確かに自分なんだよ」
「自業自得か? その言葉は聞き飽きた。俺がどれだけその言葉で罵られてきたか、他ならぬテメェが知らねェわけじゃねんだろ」
「言ったろ、悪いのは別のヤツかもしれないって。失敗と原因、悪意と過失、そういうのが全部同じってワケじゃないんだ。仮に誰かに陥れられたんだとしても、原因は自分にも必ずある」
「だから何なんだよ! うだうだ小難しいこと言ってねぇで、何がしたいかハッキリしやがれってんだ」
「俺がいなくても、お前は失敗したってことだよ」
「っ」
ガリ、とワイルドガウンが奥歯をこする。もはや目の前のバルクガールも目に入らないのか、勢いよく立ち上がると、まっすぐに俺を睨みつけた。
「……うるせェ」
絞り出すような声。
「うるせェ!」
次いで、怒声。
「テメェに言われなくたってなァ、んなこと俺が一番わかってる! あんな方法で真っ当にヒーローなんか出来るわけねぇ、いつかボロが出る、そんなのヒーローなんてもんになった時からずっとわかってたよ! けど、だったらどうすりゃ良かったんだ!」
犬歯を剥き出した、威圧的な、とても攻撃的な、それは悲鳴だった。痛くて苦しくてどうしようもなくなった人間が、自分のもっとも深いところを軋ませた時に出る悲鳴だ。
「もっとデカいことがやりたくて、俺にできないことまで俺がやったことにした。気付けば俺の知らねェ偉業までくっついてきた。他人の手柄を奪わなきゃ応えられないくらい、俺にかかる期待はデカくなってやがった! いつか破滅するとわかってても、そうする以外に無かった! 間違いだったってんならどうするべきだったんだ! 顔も知らねェ誰かの期待に潰されないために、俺は他にどうすりゃ良かったんだ!」
それは、ハイエナの真実。
誰かが残した死肉を漁って自分のものとしなければ、生き残ることが出来ない、出来損ないのハンター。悪意があってそうするのではない。ただそうしなければいけないだけの重さを、ハイエナは思い知っている。
初めは小さな出来心だったのかもしれない。あるいは偶然自分の手柄と勘違いされたのかもしれない。運良く拾い上げた手柄に、それ以上の期待が積み重なり、自分ではどうしようもなくなっていく。期待に応えられないヒーローの居場所など、社会のどこにも無かったから。だから自分の中のプライドから顔を背けて、誤ったという事実から目を逸らして、ただ過ちだけを繰り返していく。
それが、ヒーローだった男の本当の姿だ。
昔の俺なら理解できなかった。まともな感情を持つ人間では本当のヒーローになれないと言っていた、ついこの前までの俺ではわからなかった。だって俺が信じた本当のヒーローはまさに、常に期待に応えてこそヒーローだったのだから。
だが、バルクガールがヒーローとして未熟であることを知り、俺自身が奏先輩を失い、ワイルドガウンが俺と同じ喪失を抱える人間だと知った今の俺は、ほんの少しだけ理解できる。理解した気になれてしまう。
「お前がどうすれば良かったかなんて俺にもわからない。あれだけお前が有名になってしまえば、あとから自白したって風当たりの強さは変わらなかったかもしれない。けど、一つだけ俺でもわかることがある」
だから俺は、突き付ける。
残酷かもしれない真実を。
それが痛みを伴ってでも、目の前の、自分と似た痛みを背負う男の暴走を止めることに繋がると信じて。
「お前は初めから――――ヒーローなんかじゃなかったんだ」
「……っ、く、くひ、ひひ」
噛み締めた歯の間から、堪えきれないと言いたげな笑いが漏れる。
鬱陶しくなったのか、ワイルドガウンは獣王のフードを引きはがし、右手で目元を覆った。
「ひひゃ、けひゃっ、かはっ、ははははは!」
ワイルドガウンは笑っていた。少なくとも俺には、いつもの尊大で相手を見下した笑いではなく、それは心の底からの声に聞こえた。どことなく卑屈な、それでいてやたらと甲高いその笑いが、どんな感情によるものかまではわからなかったが。
「そうか、そうか。そうかそうかそうだったか! くふっ、きひっ、けひゃははははっ! その通りだよ! 俺はヒーローなんかじゃなかったんだ……ヒーローになんて、なれなかったんだよ」
ワイルドガウンはヒーローじゃない。ヒーローに憧れた、ただの人間。
「お前はただの人間だよ。俺と、同じだ」
「そうだな。くひ、ひひ、そうだよな。そうだとも。お前と同じだ。ヒーローになろうと思った時に、ヒーローで居続けようと思った時に、もう俺はヒーローじゃなかったってわけだ」
そう。だって本当のヒーローならヒーローになろうなんて思わない。そう思うより先に、身体が動くはずなのだから。
ワイルドガウンが必死に積み重ねて、守ろうとしたもの。失ってからも、俺への復讐という形で縋ろうとしたもの。ヒーローとして築き上げた信頼と地位。それを根底から覆す。
全ての始まりから間違っていたのだと、そう目の前に突き付けて、復讐の意欲を完全に奪い去る。それが俺がバルクガールに同行してこの場で担当する役割だった。
もっとも、当初の予定ではワイルドガウンの悪行、ハイエナの所行を並べ立ててその地位の正当性を否定してやる予定だったのだが。
まぁ、結果オーライというヤツだ。やり方は少々、いやだいぶ変わってしまったが、フードを脱いでバカ笑いするワイルドガウンはどこか憑き物が落ちたようであり、もう自分の過去や俺への復讐に執着しているようには見えなかった。
「負けたよ。俺の完敗だ。警察でもどこでも、連れて行きやがれ」
そう言うと、ワイルドガウンはその場に仰向けにぶっ倒れた。そのままケタケタと笑い続けて、それ以上何かを語る気はないようだった。
「お見事です」
いつの間にか俺の傍に立っていたバルクガールが、ほとんど囁くような声でそう言った。
見事なんて、そんなものじゃない。ただ俺は見ていられなかっただけだ。どんなに愚かしくとも自分と似たものを抱えた人間が堕ちていく姿を。
あれだけ奏先輩の復讐とか言っておきながら、この結末はお粗末だ。奏先輩に顔向けできないし、俺の怒りを嬉しいと言ってくれたスミカ先輩にも申し訳ない。
何が一番マズいって、それでも同類を理解した気になれたこの結末に、悪い気がしないってところだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます