3-11
「それでこの荷物か」
俺の抱えているコンビニ袋をチラリと横目で見ながら、運転席のマザーさんが苦笑する。中身は道すがら立ち寄ったコンビニで購入した菓子や弁当類だ。大きめの袋だが結構ぎっしりである。
「すみません、手伝わせてしまって」
「ま、買い出しくらいなら構わんさ。いつもいつもでは困るがね」
奏先輩(仮)との電話を終えたあと、俺はマザーさんに頼んですぐに車を出してもらっていた。先輩は俺のお願いを聞く代わりに買い出しを依頼してきたので、コンビニにも寄らせてもらった次第である。
ちなみに、西野の爺さんがどこからか松葉杖を持ってきてくれたので、多少であれば自分でも移動は出来るのだが、店内を回って物色し、カゴを持ってレジへ行って財布を取り出しうんぬんという買い物の行程は両手が塞がっているとなかなか難しい。結局俺は慣れない松葉杖でふらふらしていただけで、買い物はマザーさんに財布を渡してお願いする形になってしまった。
「着いたぞ、ここでいいんだな?」
「ありがとうございます」
大学前のロータリーに停車した車から、どうにか杖を頼りにして降り立つ。荷物も無理矢理杖と一緒に握った。
「……大丈夫かね? もの凄く安定感に欠けているように見えるが」
「ま、まぁそうなんですけど」
超フラフラする! 松葉杖って両足使えない人向けには出来てないよね? 段差とかあるから車椅子というわけにもいかなかったのだが、荷物をぶら下げて足に力が入らない状態で松葉杖を頼りに歩くのは予想以上に不安定だった。
「でも、ここまで連れてきて貰って、これ以上頼るワケにはいきませんから」
「そうか。ま、頑張りたまえ。詳しい話は全てが片付いたらじっくり聞かせてもらうとしよう」
「お手柔らかにお願いします」
俺の返事にニヤリと笑みで応えると、マザーさんはそのまま車でロータリーを出て行った。いやほんと、あの人には世話になりっぱなしだな。犯罪者だってことを忘れそうになる。そうかあの人結構な重罪人だったな。人は見かけによらないな。良くも悪くも。
「……さて、行くか」
足が動かないわけではないが、力を入れると激痛が走るのでほとんど跳ねるようにして大学前の短い坂道を上っていく。一歩進むたびに荷物の袋がばすんばすん音を立ててぶつかってきて危なっかしいが、歩みを止める理由にはならない。
もう会えないと思っていた人に、また会える。それだけで、無様なぴょんぴょん道中も苦にならないものだ。なんだぴょんぴょん道中って。死んだと思ってた知人に会えるというなかなかレアな体験を目前にして俺も何やら変なテンションになっているらしい。
それでも、構内に入ればあとはエレベーターで運んでもらえば目的の部屋はすぐだ。外の坂をえっちらおっちら通過してから数分と経たないうちに、俺は見慣れた、二度と立ち寄らないと思っていた部屋の前に立っていた。
「……明かりがついてる、な」
磨りガラス越しで部屋の中の様子までは窺えないが、大学内では俺と先輩くらいしか近寄らなかったはずの謎ルームからは明かりが漏れている。
喉を鳴らして唾を飲み下し、俺は思い切ってドアノブをひねった。
『おー、やっと来よったな。待っとったでー』
緊張感の無い声はなぜか機械を通したような独特のくぐもった響きを伴って耳に届いた。
「せん、ぱい?」
『何や顔出すなりアホ面して。しばらくぶりに会うんやから、もうちょっとシャキッとしてくれへんと』
確かに先輩は部屋にいた。いやしかしこれは、ここにいると言っていいものなのか……?
「いや、え、先輩、何で画面の中に……?」
『なに言うとんねん。死人が肉体持って現世に留まるとかエグ過ぎるやろ』
そういう問題?
『まーまー、話は後や後。お使い行ってきてくれたんやろ?』
「は、はい。これですけど……だって先輩その状態でどうやって食べるんですかこれ」
『あー、お腹空かしとんのはウチやあらへんよ、そっちそっち』
モニターの中の先輩が俺が開けた内開きの扉で遮られている部屋の一角を指さした。扉を回り込むようにしてそちらを覗き込む、と。
「に、西野……?」
そこには先輩が仮眠用に使っていた毛布にくるまり、長椅子の上で静かな寝息を立てる西野朝霞がいた。
ガチャン、と俺が手を離したことで扉が音を立てて閉まる。その音に「んっ」と反応して西野がもぞもぞ毛布の中で動いた。何度か寝返りを打つようにして身をよじっていたが、やがてぼーっとした様子ながらうっすらと目を開けた。
「…………おにい、ちゃん」
「お、おう」
頭の中が目覚めきっていないのか、まだぼんやりとした表情の西野が俺の顔を見て起き上がる。毛布が落ちると、その下はいつものセーラー服だった。家に戻ってないって言ってたし、そのせいだろうか。
「お久しぶり、です」
「……そうだな」
「お怪我は、大丈夫ですか?」
「ああ、まぁなんとか」
「そうですか」
「おう」
「…………」
「…………」
えっ、気まずい。
そりゃ俺だってこいつと顔合わせたらまず何を言おうとかいろいろ考えてはいたよ? けど先輩に西野との仲を仲裁してもらおうとかこの期に及んでへたれてたんだぞ。こんな風に予想外に顔を合わせちまって覚悟も準備もなにもできてないんですけど。
ど、どうする、何を言えばいいんだ? 横目でチラリとモニターを窺うと先輩はニヤニヤしながら俺と西野の様子を眺めている。どう見ても助けてくれなそうっていうか面白がっている。
いや、あんな風に一方的に拒絶したにも関わらず「やっぱ惜しくなったから仲直りしてください」って図々しいにもほどがあるよな。どう切り出せばいいのかわからん。真っ先に謝るべきだったのかもしれんが呆気にとられている間にタイミングを逸した感がある。しかもなんだか西野寝ぼけてるし、あんまり真面目な話をする空気じゃない。
「えー……と」
ぐぎゅるっ。
「ん?」
ぐぎゅるるるるるるるぅぅるるぅ。
「…………」
「…………」
『……シシッ』
いやいや先輩、いま笑い事じゃないくらいの音でしたよ?
「腹、減ってんのか?」
「……はい。ぺこぺこです」
「あー、コンビニ飯でよければ、食うか?」
「いただきます」
差し出したコンビにのビニール袋を素直に受け取る西野。がさごそと中に手を突っ込み、おにぎりを一つ取り出した。
「これ、いただいてもよろしいですか?」
「好きなだけ食ってくれ。それ全部お前用だ」
俺がそう言うと西野はぺこりと頭を下げて、おにぎりをモクモクと静かに食べ始めた。
『いやー、変身状態でどうにか誤摩化してたとはいえ、さすがのバルクガールも四日間の飲まず食わずは堪えたみたいやねー』
「飲ま……って、ちょっと待ってください! どういうことですかそれ!」
西野の食事が終わるまでゆっくりするかと腰を下ろしかけたところでさらっと先輩がこぼした発言に反応してしまう。
『どーもこーもあらへんよ、そのまんまや。あんたが朝霞ちゃんを虐めるから、あの子ずーっとこの部屋におったんやで?』
「ずっとって……どうしてここに、家に帰らなくたってどこかで食事くらい」
『自分で言うたことも忘れたんか? 酷いやっちゃなぁ』
「自分で? 俺は西野にここに残るようになんて言ってませんよ?」
「……お兄ちゃんが」
一つ目のおにぎりを食べ終えたらしい西野が口を開いた。
「お兄ちゃんが「この部屋を出たら、俺とお前は見ず知らずの他人に戻る」と仰っていましたので、部屋に残っていました。だから、わたしとお兄ちゃんはまだ、他人ではないはずです」
「……え?」
「わたしとお兄ちゃんは、他人ではないです。だからまた、教えてください。お兄ちゃんの正義を。導いてください、わたしを」
西野の言葉は淡々としていて、俺の無茶苦茶な言い分に対する怒りなど微塵も感じられない。ただただじっと、その静かな瞳に信頼を乗せて、俺を正面から見据えていた。
「――――すまん。俺が悪かった」
自然と、俺の口からは謝罪の言葉が出ていた。
「いえ、お兄ちゃんは悪くありません。私がヒーローとして未熟だった故のことで」
「いや俺が悪い!」
迷い無く俺を肯定しようとする西野の言葉を遮るように声を荒げる。それ以上言わせてはいけない。西野は多分、本気で自分の過ちだと思っている。それを認めるような言葉をこれ以上口にさせてはいけない。
悪いのは、俺だ。
「すまなかった。先輩のことは、お前のせいじゃない。先輩が死んだのは――いや、なんかそこの画面にいるから事情はわからないんだが、とにかくあの事件はむしろ俺のせいだった。それに仮に原因が俺にあってもそうでなくても、お前を責めるのは筋違いだった」
「あ、頭を上げてください! わたしがお兄ちゃんに頭を下げていただくようなことは何もありませんから」
「いや、したんだよ西野。俺は責められて当然のことをした。お前を理不尽に罵倒した。それは間違いだったんだ。だからお前は俺を責めていいし、罵って構わない。俺に対してお前が怒るのは正しいことなんだ」
「正しい、こと」
「そうだ」
「……わかりました。では、お兄ちゃん。わたしの前まで来てください」
西野の言葉に従って、彼女の正面に立つ。
「お兄ちゃん、わたしはいま、怒っています。これは正当な怒りです」
怒っているとは思えない落ち着いた口ぶりだが、西野はそうハッキリと口にする。あるいは本当に怒っていないのかもしれない。あれだけ俺に好き放題言われたのに、四日ぶりに顔を合わせたら謝って来るくらいだ。
「歯を、食いしばってください」
「っ」
パァン、といっそ小気味よいくらいの音が部屋に響いた。
右の頬が鈍く痛み、熱を帯びる。左の頬を差し出す、のはこの場ではやり過ぎか。
「これが、わたしを怒らせた分の罰です」
俺の右頬をはたいた手を下ろしながら、西野がうっすらと微笑む。
「……すまない」
「もう謝らなくていいんです。お兄ちゃんはわたしから罰を受けたのですから、もうわたしは怒っていません」
俺も大概だが、西野も結構とんでもないことを言っている。相手を許すことと怒りがとけることというのは全く別の問題だろう。だが西野の中でいまその二つは結びついている。
謝られたから許す。許したからには、もう怒っていない。
それはひどく強引で、とても優しい理屈だ。
西野は、彼女が俺を許すという形であの一件を水に流したのだ。謝ることしか出来ない俺が、きちんと「許された」と思えるように、怒っているフリをして、その罰として頬を張るという手順を踏んだのだ。
「ありがとな、西野」
「お礼を言われるようなことは何もしていません」
あくまで淡白に、西野はそう断言する。これ以上の謝罪も礼も、西野にとっては煙たいだけだろう。なら、これ以上この件について食い下がるのは無粋というものだ。
「……これが俺を呼んだ目的ですか、先輩」
『んー、ま目的の一つではあったかな。円満解決、なによりやないか』
「はぁ、ほんと先輩はお節介ですね」
『シシシ、面倒な性格の後輩の面倒を見るのも先輩の務めやからね』
まったく。この人には敵わないな。
『ほんで仲直りしたところで、次はどーするつもりなんや?』
画面の中で、先輩がニヤニヤしながらそう問いかけてくる。
もちろんワイルドガウンに対処するのが次の目的だ。俺がそれを目指していることは奏先輩も分かっていて聞いているのだと思う。だが、ワイルドガウンの問題そのものに踏み込む前に確認しておかなければならないことがある。
「まずは全部説明してください。あの事件の詳細、どうして死んだはずの先輩がこうして俺と喋っているのか、その他もろもろ」
『あいあいよー。ほんじゃまずウチのことからかねー』
先輩は淀みなく言葉を続ける。考えるまでも無く答えが決まっているかのように、その言葉は滑らかに続く。
『人工知能て、どう思う?』
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