3-9
カラスを追って辿り着いたのは、近所の公園だった。また公園かよ。
まぁ、公園って一定区画ごとの設置が義務化されているらしいし、確かにこういう時には便利だよな。どこにでもあってそこそこの広さがある。決闘にしろデートにしろ、待ち合わせにはとりあえず公園って言っておけば問題ない。
そして公園に、そいつはいた。
「よぉ、久しぶりだなぁクソガキ」
獣王のガウンとフードで顔を隠した、大柄な男。直接目にしたのがただ一度であっても、絶対に忘れられない男がいた。
十年近い時間が経っているはずだが、その肉体に衰えは見えない。フードの下の口元に見える無精髭にはわずかに白いものが混じっていたが、ニタリとつり上がったっ口元からのぞく犬歯の鋭さは相変わらずで、年を重ねたことが彼を弱らせたとは思えない。
むしろその立ち姿からは、幼い日に見た、銃口を前に怯えていた男には無かったものが感じられる。
自信。二頭の大型犬を左右に従えたワイルドガウンからは、あの頃には見られなかった自分自身への信頼とも言うべきものが見て取れた。
不利なのは明らかに俺の方だろう。だが、俺だってあの頃とは違う。ワイルドガウンが自信を身につけたのに比べれば小さな変化かもしれない。それでも、俺にだって箒を持ってこの場に立つだけの勇気が、ただ目の前の現実に怯えて助けを期待するだけじゃなくなった自分がいるのだ。
だから、言い返せる。
「会いたかったぞ、ハイエナ」
「俺をそんな風に呼ぶな!」
ワイルドガウンが吠える。沸点の低さは相変わらずのようでなによりだ。
「他にどう呼べばいい? 十年以上時間はあった。俺はお前が誰のどの事件の手柄を掠め取ったか全部知ってるぞ」
「っ、生意気なのは変わってねぇみたいで安心したぜ」
「おかげさまですっかり捻くれ者に育ったんでね」
お互いにフフンと鼻を鳴らして笑うが、余裕が無いのも互いによくわかっていた。俺の方はどうにかして大型犬二匹と自分に体格で勝る男を相手しなければならない。一方のワイルドガウンは立場は圧倒的有利だが、沸点の低さ故かすぐにでも俺に飛びかかりたいという様子で言葉の端々に焦りとも取れるものが滲んでいた。
「確認するが、奏先輩を殺したのはお前なんだな?」
「気の利いたプレゼントだったろ?」
「ああ最高だ。お陰でお前をぶっ殺すのを躊躇わずに済む」
「そりゃ驚いたな、この状況で勝てるつもりか? 言っとくがハッタリは通じねぇぜ、俺の可愛い動物達がずっとてめぇを見張ってたんだ。仕込みがねぇのも、バルクガールと仲違いしてんのも分かってんだぞ」
「当たり前だろ、俺はお前と違ってペット任せにはしたくないんだよ」
「ふん、頼るアテがないだけのくせに粋がるなよガキが」
ワイルドガウンの両脇に控えていた犬達がのそのそと進み出てくる。俺も箒を両手で握って身構えた。リーチはあるが、二対一は正直厳しいだろう。けどやるしかない。
「……一つ訊いてもいいか?」
俺がそう言うと、犬達が立ち止まる。
「なんだ」
「お前の目的は何だ? ヒーローをやめて久しいお前が、なぜ今になって戻ってきて、奏先輩や俺を狙うんだ」
「何かと思えばそんなことか。答えは簡単だ、お前に復讐するためだよ」
……なんだって?
予想外の言葉に一瞬状況も忘れて箒を下ろしそうになる。慌てて構え直しながら、ワイルドガウンの様子を窺うが、どうも嘘というわけではないらしい。
「てめぇも覚えてるだろ、あの強盗事件を。あの一件のせいで俺が築いてきたもんは全部ぶち壊された。地位も、名誉も、信用も、全てが地に墜ちた。あの時お前がまとわりついて来なけりゃ、俺はまだ返り咲けたかもしれねぇってのに。だからこその復讐だ。俺の人生をぶち壊したお前に復讐すると誓ったんだよ」
「……くっだらねぇ」
「なんだと?」
「くだらねぇって言ったんだよ! そんなことのために、お前は奏先輩を殺したのか!」
「ああそうともさ。あの女を殺せば、お前がその気になって自分からやってくるって聞いたんでなァ」
聞いた、だって?
「聞いたって、誰にだ。誰がそんなことを……」
「高ぇ金払って正解だったぜ。情報屋ってのはいいもんだ、金さえ払えば信用なんて無くたって必要なことは全部教えてくれる」
情報屋。その言葉があの人物を想起させる。そんな、まさか、だってあの人は、俺に協力してくれて、真実を教えてくれて、チャンスを作ってくれた。
――――チャンス?
頭の中で警鐘が鳴った。久しぶりの感覚だ。耳鳴りのような、意識が耳から圧力をかけられて押し込まれていく感覚。鳴り響く警鐘が脳味噌を揺らすたびに目の前の現実がクリアになっていく。
確かにこの状況は復讐のチャンスだ。だがそれは、俺にとってではない。
ワイルドガウンにとって圧倒的に有利な待ち伏せという状況。それは、神酒洲が提供した情報によって俺がワイルドガウンという犯人に気付いたから出来上がったものだ。そうでなければ俺は一羽のカラスに注意を払わなかったし、奏先輩の死という事情が無ければ焦ってさしたる用意も無くワイルドガウンに会いに行く愚は犯さなかった。
それに神酒洲はワイルドガウンが街にいることを「確かな情報」だと言った。そこまで話しておきながら、その情報の出所については何も口にしていない。それは、ワイルドガウン本人と接触して、奏先輩を殺すよう勧めたということではないのか?
「神酒洲、か?」
「なんだお前も知ってたのか。まぁ、あれはあれで有名人だしな」
間違いであってくれと思っていたそれはあっさりと肯定される。じゃあ本当に、神酒洲灘女が目の前の男と共謀して俺をおびき出したのか。
いつか奏先輩から聞いた言葉を思い出す。そうだ、言っていたじゃないか。神酒洲という情報屋について「情報の中身は信頼しても、味方だとは思うな」と忠告されていた。それを忘れて、陥れられるなんて考えもしなかった俺の、落ち度だ。
「話は終わりか? だったらもういいだろ、こいつらも腹ぁ空かしてんだ。あんまりお預けじゃ可哀想だと思わねぇか」
立ち止まっていた二匹の犬の口から、ぐるる、ぐるる、と低い唸り声が漏れる。ワイルドガウンにもこの犬達にも、体格と力で劣る俺では勝ち目なんて無いかもしれない。
神酒洲の言葉の意味を考えなかった時点で。復讐に目がくらんで、助けてくれるかもしれない人たちから目を逸らした時点で。俺のこの窮状は決まっていたようなものだった。
だが、それがどうしたというのだろう。
目の前に復讐の相手がいる。俺の理想を裏切り、奏先輩をあんな風に無惨に殺した男は目の前にいるのだ。その事実さえあるなら、何の問題も無い。
構えていた箒を足下に放り出す。こんなもの、邪魔なだけだ。
「おいおい何だよ、諦めちまったのか? せっかくのお膳立てが無駄になっちまうじゃ――」
「ああああああああああああああああああ!」
ワイルドガウンの言葉が終わる前に、俺は飛び出していた。
「っ、あ、行けお前ら! 喰らいつけ!」
一瞬面食らった様子で指示が遅れたが、それでも俺がワイルドガウンに迫るより間にいた犬達が俺に喰らいつく方が早い。
まず右のふくらはぎ。
次いで左の太もも。
ずぶずぶと音を立てて牙が食い込む。牙はいとも簡単に皮膚を突き破り、牙と傷口のわずかな隙間からじくじくと痛みとともに血が染み出す。普段着のジーンズが黒く染まり、両足に激痛と犬二頭分の重りをつけられた俺は勢いのまま顔面から地面に突っ込んだ。
痛ぇ。顔も痛いけど足がヤバい。痛い、痛すぎる。二頭が噛み付いたままぐるぐると唸る度に、牙が震えて傷口の神経を削り取っていく。肉が骨から引きはがされようとする感覚はあまりに熱くて、傷口だけじゃなく全身が沸騰するような熱さに包まれる。
口の中に血の味が広がる。口の中を切ったのか、それとも地面に叩き付けた鼻っ柱がへし折れたか、みるみるうちに口内を満たしていく血は吐き出しても吐き出しても止まらない。ついでに両足の血も止まる気配がない。
「いッ、ぎ、があああ、いいいいでぇ、ぇぇぇええああああおおおお!」
突き立てられたままの牙を押し返すようにごぼごぼと音を立てて溢れる血を、二頭が美味そうに啜っている。何してんだこいつら。マズいだろそんなもん。吐き出しゃいいのに。
「もうお終いか。呆気ないもんだな」
せせら笑うワイルドガウンの声が聞こえる。その間も両足にねじ込まれた牙がぐりぐりと傷口を広げようとするように動き回る。それがどうした。だからどうした。痛い。熱い。全部全部痛くて熱い。でも、それだけだ。
いつかのコンプレスとの対面を思い出す。同じだ。腕は動く。這ってでも前に進める。前にはワイルドガウンがいる。だから前進する。おっけー、問題無し、なんの破綻もない。
「ぎ、いいいい、が、おおおお」
足を見捨てる。喰らいついてくる牙のことなんて知らない。痛いけど痛くない。熱いけど熱くない。全神経を両腕に集中させろ。伸ばした右腕で身体を前に引っ張る。押し出した左腕で身体を前に送り出す。そうやって、進む。進める。進めるなら、辿り着ける。届く。
「な、何だよ、そんなになってまでどうしようってんだ」
「まぁああああでぇ!」
「ひっ、く、来んなよ! 来るな!」
「逃がざ、ねぇ、ええええああああああ!」
絶え間なく全身を軋ませる痛みを喉を震わすことで誤摩化して、両腕に込める力を強める。犬達は喰らいつくだけで、俺を引き戻そうとはしない。
「待ぢ、やがれ、ぇぇええぇええ、ッ、ぅえべへっ、げほッ」
喉が熱い。足と一緒だ。一緒だから大丈夫。何が大丈夫? 知らん。
ずり、ずり、ずり。
身体を引きずって、牙が食い込んだ足を、トカゲの尻尾みたいに、自分から引き千切るみたいに、少しだって顧みずに、前に、進む。
牙がまだ体内に残っている。肉が持ってかれる。肉が持っていかれた分だけ、俺はあいつに近づける。だったら問題ない。むしろそれで大正解。どんどん持ってけ。肉で足りなきゃ骨まで持ってけ。その分俺を、ヤツに近づけろ。
「なんだよ、なんなんだお前ぇぇぇぇッ!」
「あがっ!」
涙と血でぐしゃぐしゃに滲んだ視界に何か黒いのが飛び込んできて、そいつが目の前で火花を散らして視界が瞬く。
折れたかもと思っていた鼻っ柱だが、今度こそへし折れたと思う。だいぶ遅れて、俺はワイルドガウンに足蹴にされたのだと気付く。蹴られた。蹴られた? また、蹴られた? あの時と、同じに。
「ぅがぁぁあああああああああ!」
「ひぃっ!」
許さない。絶対許さない。俺を足蹴にして、奏先輩を殺して、また俺を足蹴にして、嫌なことばっかだ。思い出させやがって。後悔させてやらなきゃ、気が済まない。
既に焼けたように熱い喉をそれでもがらがらと震えさせて、気を抜けばすぐにでも全身の力が抜けてしまいそうなのを抑え込む。
伸ばせ、腕を。蹴られたんだ、近くにいる。届くはずだ。
けれど振り回した両手は空を切る。ただでさえいろんな液体で滲んでいた視界が、頭を思い切り蹴り飛ばされた衝撃をまだ引きずってぐらぐらと揺れ、ぼんやりと輪郭だけは見えているはずの憎たらしい男との距離が掴めない。
もっと前に、進まなきゃ。
そうしなきゃいけない、そうするべきだと思うのに、思う端から力が抜けていく。熱かった足が何だか冷たく感じる。ごぷごぷという血が吹きこぼれる音も遠ざかり、耳鳴りのような甲高いノイズが頭を揺らす。
ああ、血が足りないのかね。
タイムアップなのか、これで。時間制限については考えてなかった。もう少しだけ、急ぐべきだった、のか。
目の前が暗くなる。それは意識が遠のいたせいだったのか、瞼が重くなったあたりで飛び込んできた大きな影が原因だったか。薄れゆく意識はすっかり熱も痛みも手放して、最後にわずかに残った視界が思考と感覚を占有する。
誰だか知らんが背ぇ高いなぁ、こいつ。目の前に現れた大きな影に、なんだか似つかわしくない中学生の顔が頭をよぎった。
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