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宮上 想史

第一部





























            宮上 想史










 

 韓(から)紅(くれない)が舞う。

パチリ、パチリと音がする。

「若様お急ぎを!」

 爺やに手を引かれて訳もわからず急いでいた。

「なにがあったの?」

「謀反でございます」

 妹のことが心配になった。

「綾子は?」

 爺やは何も言わず、眉根をよせている。

廻りは炎。

 長い廊下が階段が柱が梁が天井が燃えている。

 煙で前が見えない。眸(め)が痛む。 鼻が曲がりそうだった。

 総一は咳き込む。

「袖を口と鼻に当ててください。城を出まするぞ」

 なんでこんなことになってしまったんだろう。

いつもの見慣れている場所のはずなのに、今は朱い焰と黒い煙でまるで別の所だ。

 一度説明されたきりの使ったこともない隠し通路を通って外に向かう。

バタンッと勢いよく開けた扉から煙と一緒に二人はでて新鮮な空気を吸い込む。

 飛影に鞍の用意がしてあった。耳をピンと立てて来るのをじっと待っていたようだ。

「若様」

 爺やのがっしりとしたあたたかい手に手伝われて馬の背にまたがる。

 総一を乗せて、爺やも乗ろうとしたその時。

「見つけたぞ」

 一人の剛の者が隠し通路からのっそりと出てきた。

 身の丈八尺はくだらないであろう大男。

 筋骨は逞しく、双眸はらんらんとしている。

 まさに傑物。

「おぬしだったか……それは!?」

爺やはそう言って総一が見たこともない顔で男をにらみ据える。

 大男の左手には人の首のようなものがあった。

 それをよく見ると……父上の顔。

 口から汁がたれ流れている。

 総一はただじっと生首を見ていた。

この光景を目に焼き付けるように。

 火の粉が闇に雪の如くちらつき、黒煙が上がる。

ゴトリという音と共に屋根の一部が焼け落ち瓦が割れる音が響く。

「若様生きのびてくだされ」

 爺やは一声叫んで、飛影の尻を一打ちする。

「じい!」

 爺やの姿が遠くなっていく。

桜並木の続く道。

 月が散っていく花びらを照らしていた。

 どれくらい乗っていたのだろうか、つらくなってきた頃。

 野太い声が呵々大笑して近づいてきた。

 あの大男が飛ぶように走って、追いついてきたのである。

 馬に追いつくなどまさに化け物か。

 大男が飛影の横につくと、手に持っていた物を総一めがけて投げつけてきた。

 爺やの生首。

 怖氣(おぞけ)が走った。

 爺やの生首が総一の体にぶつかってから地面に転がり落ちる。

 総一はあまりの恐怖に泣き叫んでいた。

「助けて!」

 大男はフンっと氣合いを入れるや飛影に体当たりを仕掛けてきた。

 横倒しにされ、総一も転がる。

 地面に倒れて呻(うめ)いていると飛影の嘶(いなな)きが聞こえてきた。

 大男は飛影の首をへし折っていた。そのまま首をもぐ。

 飛影は首がないにもかかわらず、足をばたつかせている。

あまりの光景に総一は嘔吐してしまった。

 大男がこちらに向かってくる。ゆっくりと。

持っていた馬の首をドシャリと落とし、その右手からは血が滴り、どす黒く汚れている。

 総一は自分の死を感じ取った。

 殺されてしまう。

 地面にぶつかった衝撃で、体がうまく動かせず這って逃げようとした。

服は土で汚れている。

「うううう」

 足音が近くで止まった。

死にたくない。

 大男は総一をつかみ胸の高さまで上げる。

男のギラギラと光る眼と視線がぶつかる。

 その口元はにやりとしていた。

「嫌だ……」

 総一の目には涙の大粒がたまる。

ひらりと一枚の桜の花びらが視界の上から下へと落ちていった。

 心の臓を右手で貫かれた。

口からあたたかいものが飛び出してくる。


 子供を放り投げると手に持っていた心の臓を喰らった。

 ベチャリと赤い汁が足下に飛ぶ。

グチャリ、グチャリ。

 顔の半分を血だらけにしながら貪った。

 うまい。

やはり若いと違う。

 赤くなった歯と恍惚とした表情。

 先ほど放り投げた物はわずかだがまだビクビクと動く。

「間に合わなかったか」

声が聞こえた。誰かいるのか?

 後ろを振り向くと光り輝く剣を持った男が立っていた。

「ジュリア、俺がこのでかい奴を食い止めておく。マリアにその子と契約をさせろ。その子を死なすわけにはいかないからな」

「あなた本氣?!そんな大切なことを」

「急げ!」

「何者だおまえは」

「お前に名乗る名はない」

男は目にもとまらぬ速さで向かってきた。




 ジュリアはマリアの手を引いて男の子のそばに近寄った。

 短剣でマリアの人差し指の付け根あたりを切って血を出させた。

 マリアはじっとそれを見ている。

「男の子に飲ませて、それから男の子の血を口に含みなさい」

 言われたとおりにした。

「男の子に口づけをして」

「え!?ママ!いやよそんなの!!」

 なんで知らない男の子とキスをしなければいけないのか。

 しかも初めての。

 さらに誰かに命令されて。

「男の子を生きながらえさせるためよ、大丈夫。今は死んでるようなものだからノーカウントよ」

 そんな問題じゃない。

「マリア急げ!」

 パパまでそんな……ひどすぎる。

 うんざりした氣持ちになった。

「あんた、わたしの初めてなんだから光栄に思いなさいよ」

 何も反応がない。

目の前の命の灯火は消えかかっていた。

 かわいそうに、誰も死にたくはないよね……

 しょうがなく、ギュッと目をつむり口づけをした。

光が二人を包んだ。

 とてもあたたかく、ここちが良い。

 氣持ちいい。

少し目を開けてみる。

 男の子の傷が癒えていく。

 向こうの目が開いた。

 二人の視線が合う。

 なぜだろうかあんなに嫌だったのに。今はなぜだか悪くない氣持ち。

 胸も高鳴っていた。

 くちびるが離れる。血の糸がひいた。

 その時、胸の奥から何かが生えるように出てきた。




 意識がはっきりしなかった。

 この目の前にいる女の子はだれだろうか。

 僕は飛影に乗って逃げていたはずだけど。

 あれ?

 あの男の人に捕まって、そして……

 

 

「坊や!抜きなさい」

女の人の声が聞こえる。

 総一は声の主を見た。

「ぬくって?」

状況が全くわからない。

 あの女の人だれだ?

「その子の胸から出てるのを引き抜くの!」

目の前の女の子を見ると剣の柄が胸に刺さっている様に見える。しかし女の子は痛がっている様子はない。

 総一は何が何だかよくわからなかったが言われるがままに両手で柄を握り、勢いよく引き抜いた。

「んっあ」

目の前の女の子は剣を引き抜かれた衝撃で声を出す。

 短い剣だったが美しく、総一は剣に魅せられていた。

 じっと眺める。

 なぜだか目の前の女の子は顔を真っ赤にしていた。

「きれいだ」

 先ほど心臓を喰ろうたはずの子が生き返っている。

 ジンは驚愕した。

「いったい何をした」

 男はジンの問いかけに応えずに斬りかかってくる。

 くそ。

 身体能力だけならまず負けるということはないのだが、男の持っている剣が普通ではなかった。

なんなんだあの剣は?

 向こうの剣とぶつかり合った我が刀は折れて使い物にならなくされてしまっていた。

この俺が防戦一方だと?そんなことがあり得るのか?

いや、男の剣を構えた姿はまるで芸術かと思えるほどの領域に足している。氣合いもまるで鬼が目の前にいるのかと錯覚するほどだ、仮に剣が通常の代物でも身は危うかったかもしれない。

月の光に照らされた男はどれほどの死線をくぐり抜けてきた強者(もさ)なのだろうか、もはや美しいと表現してもよかった。

 身の危険を感じる。

 これは引かなければなるまい。

「これで終わらせる」

 一声言い放つと、男の剣の輝きが増した。

 なにかまずい氣がする。

 男は上段に構えを移す。

 剣がとどく距離ではなっかたが、お互い微動もしなかった。

 相手の空気を探り合う。

 自分の浅い呼吸音しか聞こえない。

 その時、突風が吹いた。

 男の髪が乱れ流れる、桜の花びらが逆巻く。

 ジンは力の限り避ける。

 横を見ると地面が裂けていた。

 頬を一筋の汗がつたう。

 一目散に逃げた。




 豪の持っていた剣がふっと消えた。

「さ、帰ろうか。長居は無用だ」

「どうするの、あの子」

「連れて行くしかないだろ」


 総一は剣を撫でていた。

「なんてきれいなんだ」

「ちょっとやめてよ!」

 マリアは赤くなりながら総一を睨(ね)めつける。

「べつにいいだろ。へるもんじゃあるまいし」

「なんか……いやなの!」

 総一はマリアを無視して剣を舐める。

 ペロリ。

「へんたい!」

 剣がふっと消えた。

 ジュリアが豪を大きな瞳で見つめる。

「氣持ちはわからなくもないな」




 総一は自分がなぜ剣を舐めたのか自分でもわからなかった。勝手に舐めていた。何をしていたんだろう僕は。それよりも……

「あの……」

「まあ、心配するな、とりあえず俺たちの国まで連れて行く、そしたら追っ手もそうそうこれないだろう。後のことはおいおい考えようか」

 道なりに歩いて行く。

「なんで僕、生きてるんでしょうか」

「運が良かった、ただそれだけさ」

「あの剣は……」

「マリアの心だ。お前はマリアと契約をして力を得た。だから生きているんだ。マリアはお前の命の恩人だ」

「助けてくれて……ありがとうございました」

 マリアは総一を横目でチラと見るだけだった。

「これはある一族にしかない特別な力なんだが、力を与える代わりに死ぬまで契約者は主を守らなければならない」

「しぬまで……」

「悪くいえば、奴隷だな」

 マリアは総一の顔を見る。

 天使のような笑顔がそこにあった。

「よろしくね、あたしのどれいさん」

「どれいもわるくないかも……」

 総一は誰にも聞こえないくらいの声で言った。

「あたし、へんたいはいやよ」


 一行は黙々と歩く。


 次の日も黙々と歩く。

 

総一の足はもう限界だった。

 歩くだけでこんなに疲れるなんて。

 大人の二人はまだしも自分と同じくらいのマリアも平氣な顔をしている。

 すごいなあの子。感心した。

 山道を進んできて、見晴らしの良いところで休息をとることにした。

黄色いタンポポが咲きほこり風に吹かれて頭を揺らしている。

 みんなから少し離れたところに腰を下ろす。

 景色が一望でき、春風が心地よかった。

自分のいた城が見える。

あの男が持っていた父上の首、投げつけられた爺やの首、母上、妹はもう命はないだろう。

 もう肉親に会えないと思うと、寂しさと孤独感に包まれた。

 父上、母上、綾子、爺や、会いたかった。会いたいのに会えない、心が締め付けられる。

 当たり前にいた人たちの大切さ。

 失ってからもっと大切にしたかったと思ってしまう。

 時は戻ってくれない。

 大男に殺されそうになった時をおもう。

 あまりにも突然だったが今になって本当に生きてて良かったと思う。

 あそこでおわっていたら……

 死んだらどうなるのだろうか。

 生きたい。

 生きていたい。精一杯。

 これからどうなっていくのか。

 どうやって生きていけばいいのだろうか、あまりにも無知だ。

 総一は悔しかった。

 何もできない自分の無力さが嫌になった。

 あの男が憎かった。

 強くならなきゃいけない。

 あいつに勝てるくらい。

 感情がない交ぜになっていた。

「泣いてるの?」

 マリアが横にいた。

「え?」

 目のあたりを触ってみると確かに涙がでていた。

 とめどなくあふれてくる。

 止まらなかった。

 その時マリアが顔を包み込むように総一を抱きしめた。

「泣いてもいいよ」

 総一は声を上げながら少女の胸に抱かれて泣いていた。


 総一、八歳、命を救ってくれた少女のために人生を捧げる決意をした日だった。



 青年二人の氣合いの入った声が聞こえる。

 木刀のぶつかり合う音。

 片方の木刀が円を描きながら飛んでいく。

「まだだめか」

総一は腰に手を当てる。

「残念だったね」

と言って金髪の青年はニタニタと笑っていた。




 総一の目の前には黄金色に輝く髪、女殺しのような顔、たくましい肉体を持った、マリアのいとこのこの国の王子様がいた。

「みてくれはいいのよねえ。あの二人」

「好きなくせに」

 マリアが母親を睨む。

「おばさま、こんなかんじでいいかしら」

「そうね。上出来、ずいぶん上手になったわね」

 無垢な笑顔を見せる女の子をマリアは眺めた。

 金色の美しい髪、小柄な体、非の打ち所のない顔の造作、守ってあげたくなるような女の子、いとこのお姫様。

「さて、ご飯にしましょ。マリア、二人を呼んできて」




「天土(あめつち)の恵みにありがたく、頂きます」

 出来立てのゴロゴロ野菜のシチュー。ゆげが立ちのぼっている。男共ははふはふ言いながら頬張っていく。

 食べるの早いなと思いながら眺める。

 総一と視線があった。

 総一はマリアと合っていた視線を外してエヴァの方を向く。

「うまいね」

 エヴァは屈託のない笑顔を見せて、もっと食べてねと言った。

 ジークがこちらを見てる。

「マリア結婚しないか」

 総一は横にいる青年の頬をぶん殴った。

 女性三人は無視して食事をする。

 シチューの香り漂う食卓だった。



 ベッドで寝ていた。

 目を開けると、椅子の背もたれに腕を乗せて座っている総一と目と目が合った。

灯りは窓から差し込む月明かりだけ。

「なに?」

「寝顔みてた」

幸せそうな笑顔。

 とりあえずまた目を閉じる。

 もう慣れてしまったが、総一はたまに私の部屋に来て私の顔を眺める。

 まあいいけど。

「ねえ、ちょっとだしてみて」

 マリアはボタンを外して胸元を開けた。剣の柄が出てくる。

部屋がぽうっと淡い光に満ちる。

スルリと総一の指先が柄を撫でる。

「ん」

ギシと音がした。

 目を閉じていた私は総一が身を乗り出したのを感じた。

 総一が柄を口に含む。

 なぜだかわからないけど心地が良くなる。

 上から下へ舐められた。

声が漏れる。

「もう終わり」

 総一の頭を押しのける。

 上掛けをひっかぶって寝ることにした。




 今日はお母さんと出かけてくるからといって、お父さんとお母さんは家を後にした。

 家の掃除をしていたら男の人が訪ねてきたのである。

「薬はいりませんか」

 見るだけ見ようと思って返事をした時。

 背負っていた箱の中から短刀を取りだして動くなと脅された。

 腕を後ろ手に捕まれて首筋に短刀を突きつけられる。




 おかしな様子に氣づいた。

 ジークとの稽古をやめて、家の方に行ってみると男がマリアを捕まえていた。

 怒りに我を忘れそうになるのを必死で押さえつける。

「マリアを離せ」

 総一は怒鳴っていた。

「何が目的だ」

「お前だよ王子様」

「私か」

 ジークが答える。

「違う。黒髪の方だ」

 自分のせいでマリアが危険な目に遭うなんて嫌になる。

「抵抗はしない。マリアを離してくれ」

 男の要求通りジークに手首を縛られる。

 俺はマリアのかわりに捕まった。

「おれを殺すのか」

 男はああと答えて、俺の後頭部を短刀の柄でおもいっきり叩く。

 意識が途絶えた。




 総一を殴りつけた瞬間の隙を狙ってマリアは下から突き上げるように男の顎に蹴りを入れた。

ひらりとスカートが踊り、すっと伸びた脚が現われて消えた。

 間髪入れずにジークが走りながら男を殴って五メートル離れた木に男はぶつかる。

 マリアは吹っ飛ばされてジークの背中にぶつかった。折り重なって地面に倒れこむ。

「痛ったあ」

ぶつけた所をおさえながら、後ろを振り向くと総一が担ぎ上げられて運ばれていくのが見える。

 総一を狙っている人間はもう一人いたのだ。

 マリアは起き上がった。

「ジーク!追いかけよう」

 ジークは倒れたときに激しく顎を打ったらしく、氣絶していた。

 自分だけで追いかけるしかない。

 家の中から光景を見ていたエヴァにのびた男の処理を任せてマリアは総一を追いかける。




また、総一の追っ手が私たちの住んでいる場所を突き止めてやってきてしまった。

 前はお父さんがどうにかしてくれて、その後に引っ越しをしてやり過ごしたけど、まだ付け狙っているんだわ。

今日はお父さんはいない。

 私がどうにかするしかない。

 私の奴隷を……じゃなかった。

 大切な人を。

 助けてみせる。

総一を抱えた男が視界に見えているのに全然差が縮まらなかった。

 ああ!もう邪魔だ!

 スカートを両手でたくし上げて足を速めた。

 







 崖の手前で男が止まった。

「待ちなさい、総一をどうするつもりなの」

 男はマリアをひと睨みしてから、

「こうするのさ、ままよ!」

 総一とともに崖を飛び降りた。


 やめて!


 なんて……ことを……


 助けないと。


 下を覗きこむ、川が流れている。二人は潰れているように見えた。

 どうやって降りようか思案しているとジークが白馬に乗ってやってきた。長いロープを持っていたのでそれを使うことにした。

 なんと都合の良い。

 崖の下に降りると、総一が見るも無惨になっている光景が目に飛び込んだ。

自分の目に涙がたまっていくのを感じながら、急いで駆け寄って総一を抱きすくめる。

「死んじゃいやよ……」

 泣いているのか、懇願しているのか、氣持ちが喉からもれでた。

 着ていた白い服が血の色に染まっていく。

 お願い治って。

 光に二人は包まれる。

 総一の傷がみるみると治っていった。

 目を開ける総一。

 良かった。

 口を開く。

「君は誰だい」

 私は時間が止まったかのように身動きをとれなくなった。


 僕は健忘症になってしまったらしい。

 ここにいる人たちのことを思い出せない。

 申し訳ない氣持ちになってしまう。

 思い出せるのは、城の人たちだけ。もうその人たちは死んでしまったと聞かされて、とても悲しかった。

僕は毎日稽古をしていたらしい、体を動かさないと変な感じになる。だから記憶を失った今でも休まずやっている。体が勝手に動いてくれていた。不思議だった。

 ジークとマリアが話しているのを見ると、なぜだか嫌な氣持ちになった。この氣持ちは何なんだろう。

「二人、話すのやめてもらっていいかな。嫌な氣分になるんだ」

 ジークは苦笑いしながら嫌だと言い、マリアは優しく僕に微笑みかけてくれた。

 エヴァの料理が美味しかったから、エヴァみたいな料理上手なお嫁さんが欲しいと言ったらマリアはその日ふてくされていた。



 なぜだろう。










 ふと目を覚ました。

 月明かりに照らされた、美しい女の人が僕を見ていた。

 びっくりして体が震えた。

「な、なに」

「寝顔見てただけ」

 なぜだか胸が高鳴っていた。

 なんでだ。

「そんなに見られたら寝れないよ」

大きな目の中の、青がふちどるあざやかな黄色い綺麗な瞳。

 微笑みながら彼女はいい匂いを残して部屋を出て行った。



総一は何も変わっていなかった。



 ただ、私たちの記憶がない総一。



 優しい総一はそのままだった。



 仕草や表情、しゃべり方、声はそのままだった。



 少し、いや、だいぶよそよそしい総一。



 私のことを好きじゃない総一。



 今までの思い出を忘れてしまった総一。



 あなたのことを想う氣持ちは変わっていないはずなのに、どうしてあなたを見ると胸が苦しくなるんだろうか。



 どうして今の総一は私のことを好きじゃないんだって思うと悲しいんだろうか。



 あなたのことが好きだけど、やっぱり私のことを好きだと想ってくれるあなたが好き。



 私のことばかり考えてくれるあなたが好き。



 ねえ、早く元の総一に戻ってよ。

 今日はお母さんと出かけてくるからといって、お父さんとお母さんは家を後にした。

 家の掃除をしていたら男の人が訪ねてきたのである。

「薬はいりませんか」

 見るだけ見ようと思って返事をした時。

 背負っていた箱の中から短刀を取りだして動くなと脅された。

 腕を後ろ手に捕まれて首筋に短刀を突きつけられる。




 おかしな様子に氣づいた。

 ジークとの稽古をやめて、家の方に行ってみると男がマリアを捕まえていた。

 怒りに我を忘れそうになるのを必死で押さえつける。

「マリアを離せ」

 総一は怒鳴った。

 マリアを守らなければ。

俺がマリアを守るんだ。

「何が目的だ」

「お前だよ王子様」

「私か」

 ジークが答える。

「いや、俺だろ」

総一が答える。

「黒髪の方だ」

ほらな。

「抵抗はしない。マリアを離してくれ」

 男の要求通り総一はジークに手首を縛られる。

 マリアと入れ替わりに交換された。

総一はみぞおちに膝蹴りをもらう。

 膝が崩れる。

 廻りには五人ほどの男がいた。

 一人が総一を抱え上げて走り出す。

 ジークは三人と対峙している。

 マリアが追いかける。




ジークが縄をゆるくしていたおかげで総一の手首は自由になっていた。

 崖の手前について総一はもがいて抵抗をした。男はたまらず総一を投げ下ろした。

 総一は地面に転がる。

男が総一を突き落とそうと迫ってきた。

「じゃあな王子様!」

相手の力を利用して、総一は男を逆に落としてやろうとした。

その時、服を捕まれて一緒に落ちそうになった。

しまった!

 必死に崖に捉まる

二人はぶら下がっている。

 総一のズボンを男は掴んでいた。

「おちてたまるかよお」

 と男は叫ぶ。

 総一は片手を離した。

 左手に力がこもり、筋肉が盛り上がる。

 うっ。

 一瞬にして痺れてきた。男二人の体重は片腕じゃ無理があった。

 ベルトを外してズボンを脱ぐ。

男は落ちていった。

 その時マリアがやっと追いついてきた。

 助かったと思った瞬間。

あっ。

 崖の端が崩れた。

 落ちる。

「総一!」

 マリアが総一の手首を掴んだ。

だめだ!

 マリアの筋力じゃ俺を持ち上げることは出来ない。

「離すんだ。俺は大丈夫だから」

「いやよ。絶対離さないから」

マリアも一緒に落ちてしまう。そんなことは耐えられない。

 マリアの手を俺は無理やり外した。



 落ちる。



 ゆっくりと。



 ゆっくりと。



 離れていく。

 マリアはとっさに崖から落ちて総一に抱きついた。

「何やってんだよ!」

「絶対離さないって言ったでしょ」

二人はきつく抱きしめあう。

 マリアを守らなければ。

 俺がマリアを助けるんだ。

 記憶は戻っていた。

マリアを想う氣持ちはだいぶ前から戻っていた。いや最初から失ってはいなかった。

「剣を」

マリアに口づけをする。

 光に包まれた。

マリアの胸から剣の柄が出現した。

 ズブズブと剣を引き抜く。

 マリアは吐息を漏らした。

 マリアの心剣は最初見た頃よりも刀身は長く、より美しく、光りを放っていた。

 剣の力を解放する。

 落下する方へ力を放つ。

 重力を無視して、総一とマリアは崖の上に上がった。

「思い出したよ」

 マリアは総一の下半身を見ていた。

 総一の総一は天を向いていた。


 虫たちが冬眠から目覚める啓蟄の頃を幾日かすぎた頃。

「養父(おとうさん)、僕は敵を倒しにいこうと思います。このままではみんなに迷惑がかかる。今までありがとうございました」

総一は深々と頭を下げた。

 最近立て続けに襲撃されたので総一はついに決心したのである。

「一人で行く氣なのか」

「はい」

「私も行くに決まってるじゃない」

「だめだよ、マリアを危険な場所に連れて行きたくない」

「絶対行くわ。あなたが私を守ればいい話でしょ」

 こうなってしまったらマリアは人の話を一切聞かない。

 総一は困った表情になる。

「そうだな俺とジュリアも行こうか」

「え」

総一は驚いた。

「マリアを危険にさらすわけにはいかないからな」

豪は歯を見せながら言う。

「僕も行こう、マリアにもしものことがあったら嫌だからね」

 ジークが言った。

 みんなマリアが好きだったのだ。

みんなで行くことになった。







 瑞(みず)穂(ほ)の国は荒れていた。人々は餓え、税の取り立てに苦しんでいる。

 痩せこけている。大人も子供も。

 そこらで野垂れ死にする人がいて腐敗臭がただよっていたり、埋葬されずただ集められている死体も獣に荒らされるがまま、町に行くと下水の処理がされておらず、めちゃくちゃな有様だった。

争いや強姦、人さらい、物盗りが横行しているようだ。

 見るに堪えなかった。


 暗い。床が冷たい。音もしない。寂しかった。人の声が聞きたかった。

 綾子はずっと、城のどこかにある地下牢に閉じ込められていた。

 三歳の頃からずっとだ。

 言葉はその頃に覚えたものしか知らない。

ここから出たかった。

 なぜここにいるのかもわからない。

 会う人は、一日二回の食事を運んでくる人だけ。

 その人とも会話はしたことがない。

 もういやだった。

 どうしてもここから出たかった。

 ふと、黒い影のようなものが見えたような氣がした。

誰かいるの?

 いつの間にか、牢屋の戸が壊れて開いていた。

え?

 綾子は戸の方にタタタタと走り寄っていく。

 やった!やっと出られる!歓喜した。

戸から顔を出し、キョロキョロと見回しても人のいる氣配はしない。

ただ闇の中にぼう、と蝋燭が灯っているだけだった。

 牢屋を出てしばらく行くと階段があった。

手を伸ばして壁に触れている指先が冷えた木の肌を感じる。

 登っていくと明かりが見えてきた。

もう少し……

 出ると光が広がった。

 まぶしくて目がいたい。

 久しぶりの色のある世界。牢屋で嗅ぐ以外の空氣のにおい。

 目からは涙が流れていた。

 すぐ近くに男の人が二人ほどいた。

 綾子に氣づいてびっくりした様子だ。

「どうやって出てきたんだ?とりあえず下に戻そう」

 二人の男が綾子に近づいて触れようとする。

いやだ!

 怯えてうづくまる。

 また、黒い影のようなものが綾子の横を通り過ぎたような氣配がした。

何もされないから顔をあげてみる。

 綾子を捕まえようとしていた男たちの姿はどこかに消え失せていた。

あれ?

 それから城から出ようとして、何人かの人間に見つかった。

 綾子を捕まえようとした人たちはいつの間にか姿を消していた。

逃げているうちにどこかにいなくなっているのだ。

 不思議には思ったが、自分を捕まえようとする人がいない場所に行くことで頭がいっぱいだった。

 地面を素足で踏んでいたため足が痛くなる。

 ので、なぜかコロリと乱れて置いてあった履き物を拝借する。

 また牢屋の中に入れられるのを恐れた綾子は城から遠く離れることにした。

人に見つかると必ず追いかけられていたため、城下町についても、人目を避けるようにして進んでいった。

 町を過ぎ、山道を進む。

 普通の女の子なら山道など嫌がるものだろう。

 だが綾子は、ずっと暗い部屋の中にいたため、何もかもが楽しかった。

 無知だから恐れるものだが、綾子には関係なかった。

 監禁されていた部屋に戻る方がよっぽど怖かったのだ。

踏む土が、脚に当たる草が、流れる音の聞こえる川が、そこいらにいる虫が、祝福してくれているように感じた。

 やっと出られたね。

 自由だよ。

 これからどうするの?

 頑張って。

 しばらくして疲れてくるとお腹が空いてきた。

 茅葺き屋根の家が一軒ぽつんと見える。

 入って食べ物を探すことにする。

 なんの躊躇もない。

 綾子は、人の家に勝手に入ってはいけないという考え方を持ち合わせていなかった。

 もちろん、物を盗むことも。

 そもそも盗むということがわからない。

玄関の敷居をまたぎ、すぐ台所だ。

 干した肉や芋があった。

 口の中に入れる。

 ふと人の氣配がして後ろを振り向くと、鍬を構えたおじいさんが鬼の形相で立っていた。

「なにもんだ、おめえ」

「ご飯食べてたの」

 



 じろ吉はじっと、家の中にいる人物を見ていた。

髪の長い、汚い少女がいる。

 臭い。

 綾子は風呂に何年も入っていないのである。

 なんてくせえ女子(おなご)だとじろ吉は思った。

「さっさとでてけ!!俺の家だど」

 綾子は怒鳴られて怯えだす。

「ごめんなさい」

 うつむいてしくしくと泣き始めた。

 じろ吉は拍子抜けしてしまった。

 物盗りかと思った人間が泣き出したのだ、無理もないことであろう。

「おい、泣くな。おめえ、一人か?親とかいねえのだか」

 綾子はうなずいて、泣くばかりだ。

 じろ吉は、綾子の様子がおかしいので、いぶかしく思う。

 綾子から今までどんな暮らしをしてきたか、逃げてきた時のことを聞いた。

 かわいそうに思えてきた。

「どれ、しばらくここにいるか?」

「いいの?」

 じろ吉はうなずく。














 




 とりあえず綾子の身をきれいにしてやった。体を洗うのに使った水は見たことがないほどに真っ黒だ。髪を短く切りそろえて、顔の産毛も剃る。

 身を綺麗にした綾子はとても美しい少女だった。

 じろ吉は一瞬、少女の美しさに目を奪われる。

(身につけている着物もいい物だし、どこかのお姫様だべか)

 衣服は上等な物だったが、動きづらそうだし誰かに見られたらまずいと思い、むかし連れあいが着ていた服を着せてやることにする。

 おとなしい子だったが、何も知らないためにじろ吉は大変だった。それでも楽しかった。連れあいが死んでから、一人でいたが誰かと一緒だと寂しくなかった。




 一ヶ月ほどして。




 林ををかき分けて道なき道を行く者たちがいた。

「ああ腹が減ってきたなあ」

「かしらあ、今日はどうしましょうか」

「おんやぁ、あんな所にちょうどよく家があるなあ」

 五人ほどの男共がじろ吉の住まいに目をつけた。山賊だった。

「よしいくぞお」

人一倍でかい毛むくじゃらの男が野太い声でそう言った。

 一人の男が戸を蹴破る。

「おじゃましやあす」

 じろ吉は藁をねじり合わせて縄をなっていた。

「なんじゃあ!お前ら!」

 抵抗むなしく男共はじろ吉を縛り付けて、動けないようにする。

綾子が入り口に立っていた。

 山菜の入ったカゴを手から落として、菜っ葉が散らばる。

「おじじ」

 綾子は訳もわからずそれを見ている。

カゴの落ちた音で、男の一人が振り向いた。

「へっへっへっかわいい子がいるじゃねえか」

 一人の男が近づいてきた。

 綾子はただ眺める。

 男は下を脱いでいた。

 なんで脱いでいるんだろう。

 いぶかしむ。

 男の股の間にある何か黒い棒のような物がこちらを向いている。

棒の先端からたらりと液体が糸をひいて落ちた。

 男は綾子を押し倒すと、頬に黒い棒を押しつけてきた。

 悪臭が鼻につく。

 無理矢理服を脱がされそうになった。

 抵抗をする。

 だが男の力の前では為すすべなかった。

 綾子の着物がひん剥かれる。

 白くてでかい乳があらわになる。

ブルンッ

 その時、影が現れた。

 男たちは消えていた。

 じろ吉は呆(ぼう)然(ぜん)としている。



















 

 半年ほどしてじろ吉は病に倒れた。

 綾子の頬にふれながら、

「お前に出会えて楽しかっただ。短い間だったが幸せだった。たいしたことは教えられんかったが強く生きるんだぞ」

 動かなくなった老人を見ながら寂しくて泣いた。

 死体をどうすればいいかわからない。

 放置。

 腐敗がすごくなってきて、とてもじゃないが居られない。

 綾子はじろ吉の家を出ることにした。


「ハア、ハア」

綾子は走っていた。

 男が追いかけてくるのだ。

 前の経験から男が自分を犯そうとしているのを感じ取って逃げている。

 林を抜けると、男の人にぶつかって受け止められた。

 肩を掴んでいる人にむかって、とっさに言葉が出てきた。

「助けて」

 男の人は自分を見つめて、美しいと言った。

 林から追いかけてきた男が出てくる。

それを見た綾子は男の人の服を握りしめる。

 こちらの方を見て、男はすぐにまた林の中に消えてしまった。

 黄金色の髪の人はもう大丈夫だよと言ってくれた。










 

 綾子から養(やしな)い親(おや)が死んだこと、男に追いかけられていたことをジークたちは聞く。

 ただしその前のことを綾子はしゃべらなかった。

 今この国はどこも荒れていて、安全な場所はそうそうない、しばらく自分たちと一緒にいないかとジークは提案した。

 綾子はほかに行くところがなかったので、二つ返事で承諾する。

 自分がいた城に向かっていることも知らずに。

道中、ジークは綾子のことを氣に入ってくれたらしく、よく氣にかけてくれた。他の人たちもみんな、いい人たちで綾子はすぐに好きになった。


 総一は、綾子の名前が自分の妹と一緒だと思ったがすぐに氣にならなくなった。

 綾子は料理を教わっているようだ。

 手の指を伸ばして野菜を切っていたのを直されている。

 猫の手にするのと言われているようだ。

 綾子は小さく猫の手、猫の手と独語していた。

 料理ができた。綾子だけで作ったという物があった。

 餃子だ。

 よく作っているらしい。皮は美しくととのっていてパリッとしている。噛んだら肉汁が口の中に広がる。

 うまい。

 綾子はみんなに褒められて嬉しそうにしていた。









 

 エヴァは林の中に立っていた。綾子が一人で歌っているのを聞いているのだ。

 とても上手だった。

 透明感がありよく通る歌声。

 森の動物たちや木々も、この歌声を聞いているようだ。

 林の中でうっとりと聞いていると、小鳥の群れがパッと地面から木に飛び移った。

 お兄様が来て、綾子の隣に座る。

 しばらく歌った後、綾子はお兄様を押し倒して、唇を吸い始めた。

 しかも股の間に手を伸ばしている。

 じろ吉に仕込まれていたのだ。

 エヴァはその光景を林の影からそっと覗いている。


 一人は嫌だった。

 誰かのぬくもりが欲しかった。

 一人は寂しかった。

 誰かの声が聞きたかった。

 なんであんな所にいたんだろうか。

 誰があんな所に閉じ込めたんだろうか。

 誰が……














 総一の幼い頃を知っているという、反乱軍大将藤(とう)堂(どう)重(しげ)典(のり)という男に出会う。

 この男はジンが起こした謀反が起こる前は城に仕えていたものであった。

 藤堂重典は、この時を待っていましたと言い、勇んで仲間たちに声をかけにいったのである。

 総一が生きていたことを知って泣く者や喜ぶ者が大勢いた。

総一がジンを倒しに行くと聞いて皆もその氣になった。

 今までじっと耐えてきたがやっとやり返すときが来たと。

 味方五千、敵方十万。

 城攻めに十倍の戦力がいると言われている。

 通常であればあまりにも無謀である。

しかし総一は行く氣だ。

 いざとなったら逃げてくれ、生きてることが大事だと総一は言った。


 堀、壕、濠、湟、隍、堭が巡らされていた。

 つちへんのものは空ぼり、氵編のものは水ぼりを意味する。壕または濠と書くのが正しく、堀とするのは本来は誤りである。

 山の上に、天守閣が見える。本丸御殿、二の丸、三の丸と続いていた。

 そのぐるりを高い壁が、そして門がある。

 天守には鯱が屋根に乗っている。壁は白い。石垣は石を四角く削って隙間なく美しい。人が通る道は石畳だった。

 火事に見舞われた建物は十年近くたった今、綺麗に直されていた。






 







 城を目の前にして綾子はあの場所だと思った。

 手が震えている。

 けれども、みんなと一緒だから大丈夫だと自分に言い聞かせた。




 鬨の声があがった。

 騒ぎを聞きつけて、城の廻りに住んでいる家臣たちが来たが、

「俺たちには総一様がついている!」

 という声を聞いて、何もせず道を通すばかりだった。

 門を丸太で突き破り、奥へ突き進んでいく。

「いくら総一様とはいえ、ここから先は通せませぬぞ」

 最深部にくるとさすがにただでは通してはもらえないらしい。

 武装した兵が黒山の人だかりになっている。

「我が名は総一、前城主の息子。十年前に殺された者たちの恨み、今宵をもって現城主に償ってもらう。邪魔立てする者は容赦せぬぞ!どけえええ」

 総一の氣合いと共に右手に持った剣から光の煙が立ちのぼってきた。

「うおおおおおおおお!」

一人の兵士が先頭にいた総一に斬りかかる。

「早まるでない!」

他の者が止めようとしても時、既に遅しである。

その者は一刀のもとに横腹から肩口で二つに分かれていた。

 赤い飛沫が総一の顔にまだらを作る。

「すまない」

「ば、化け物か……」

片手で鎧を着込んだ人間を真っ二つにしたのだ通常の人間の技ではない。

 それを皮切りに戦闘が始まった。

 ジンは戦の支度をしていた。

一人の女が手伝っている。

 女は鎧の胴の紐をギュッと力を込めてきつく締める。

ジンはあぐらをかきながら赤い牙の生えた面頬と長い兜をつけた。

 突然、後ろから抱きしめられた。

「愛しているわ」

 二人は強く抱きしめ合った。

















 本丸を出て大きく開けている広場に出ると一人の返り血を浴びて、着ていたものが汚れた青年が立っていた。

 周りでは兵たちが戦いを繰り広げている。

「やめろ、やめろ、俺とこいつの戦いだ。どちらかが死んで片がつく話だ。無駄な戦いはやめるんだ」

 一喝して周りの戦闘は止まった。

 ゆっくりと二人は近づいていった。

 青年が叫び声を上げて走り込んでくる。

 一瞬で終わった。

 大男は心臓を一突きにされ口から鮮血を吐き出して倒れた。

 


総一が血だらけになりながら突っ立ていると、御殿の方から、美しい女性が大男に走り寄ってくる。

「ああ、死なないで、お願い」

 大男はその女性の頬に触れながら愛していると言って死んでいった。

 女の頬には男の血が涙のようについていた。

「よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、よくも、」

「総一いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」


 よく見ると見覚えのある女性だった。

「母上……なのか?」

 女は懐から短刀を取り出すと、走りながら突きを入れてきた。

 総一の腹に深々と短刀が突き込まれている。

「母…上…会い、たかった」

 総一の腹を何度も刺し貫く。

「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ」

 総一が倒れる。 

「総一!」

 マリアが飛ぶように駆け寄ってきた。

「やめろババア!!」

 蹴りを女に食らわせた。

 5、6メートル後方に飛ばされる。

 マリアが総一を抱きしめる。

 光に包まれた。

 総一は立ち上がって、うずくまっている母親に駆け寄った。

「母上……」

 パン!

「触るんじゃないよ!」

「どうして……」

「私はお前の父親が嫌いで、しょうがなかったのよ。いやいや結婚させられて、何も自由がない。子供も産みたくなかったのに……お前たちなんて生まなきゃ良かった。あそこにいる綾子もせっかく命は取らずに地下牢に入れておいたのに逃げられて、お前たちと一緒にいるとわね」

「綾子……」

「あの人が私のためにあいつを殺してくれるって言って、私の願いを叶えてくれた。私は幸せだったのよ。それなのにお前が」

「あの人を返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ」

 総一は立ち尽くしていた。無言で。









 先ほどから綾子の様子がおかしかった。

 震えているようだ、まるで何かに怯えているみたいに。

 私を閉じ込めていたのは母上様だったのかと綾子は思っていた。

 憎い。

 どうしてあんな所に。

 にくい。にくい。にくい。

 何か黒い影のようなものが綾子を取り巻くように渦を巻いている。

 カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ。

 歯が鳴っている。つばが口からたれ流れる。

 白目をむく。

 髪の毛が逆立つ。

「んんんんががああああ」

 豪、ジュリア、ジーク、エヴァはぎょっと綾子の方を見た。

 強烈な獣臭がする。

 四人は綾子から離れる。

 すると、綾子は咆哮を上げるや巨大化した。

 二丈はくだらなかった。

額から角が生えていた。

 体は黒い。

「鬼じゃ」

「鬼だ」

「鬼だああああ」

廻りにいた兵たちは一斉に逃げ出した。

 総一とマリアも鬼の方を見る。

 なんとこちらに向かってくるではないか。

 二人はその場から離れた。

 鬼は突進すると、総一の母親を叩き殺していた。

 四肢を引きちぎりだるまにしていた。

 助ける間もなかった。

 血が散乱している。

 総一が駆け寄る。

「綾子、もうやめるんだ。もう終わったんだよ」

 鬼は一(いち)瞥(べつ)をくれると、総一めがけて襲いかかってきた。

「止まれ」

叫びは届いていなかった。

 鬼の爪が胸をえぐった。

「とまってくれ……」

おにいちゃーんとくぐもった声で咆哮を上げたかに聞こえた。

 総一は吹き飛ばされて、壁に打ちつけられた。

 ジークが駆け寄ってくる。

「とまるんだ!」

 まっすぐ鬼を見る。

 一瞬動きが止まる。

 ジークが近づこうとすると、鬼は苦しそうにしながら絶叫した。

 ジークの腕を掴むや、振り回して地面に叩きつけた。

 腕の骨が折れて、あらぬ方向へ曲がっていた。

 それでも立ったジークはとまるんだと言い続ける。

「もう一人じゃない、僕がいる、みんながついてる。寂しくなんかないんだよ。もう寂しい思いなんかさせない。僕が守るから」

 鬼は涙を流しながら動きを止めた。

 ごめんなさい、ごめんなさいと言いながら。

 綾子は元の姿に戻っていた。

 ジークは大丈夫だよと言って抱きしめようとしたが、腕が動かせないのに氣づいた。

 総一は

「なんでお兄ちゃんでとまらないんだよお」

 と血だらけになりながら一人独語した。


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