41話 もしも配られたカードで勝てないなら(後編)

 アーカイブ社のチュートリアル、緑亀のジョン(社歴2年目・元プレイヤー)視点。


【ゲーム世界 :『Fake Earth』】

 コードネーム=緑亀のジョン(John)



『Fake Earth』はゲームである。

 ただ、ゲームに付き物の「ステータス」という概念は存在しない。

 限界までリアル世界に近づけた結果、「能力」や「状態」を数値として単純化して捉えることに、ほとんど意味がないからだ。


 たとえば「知力」を数値化しようにも、「頭の良さ」の定義は人によって異なる。


──分数の引き算ができなくても、ビジネスで成功する人は「知力が高い」と言えるのか? 

──大学の教授を務める人でも、SNSでの失言で職を失った人は「知力が低い」と言えるのか? 


「素早さ」の項目を取り上げても、スタートダッシュが速い人もいれば、トップスピードに乗るのが早い人もいる。

 それらをおおざっに評価するのは、アーカイブ社の目的である「人類の脳の研究」に支障をきたす恐れもあった。


 だが、緑亀のジョンは「ゲームスタート時に割り当てられるアバター」と「プレイ時間30分でもらえるログインボーナスのギア」は数値化できると考えていた。

 新規プレイヤーはアバターやギアによって、それぞれのプレイスタイルを変える傾向にあったからだ。

 これら2つの項目を「初期ステータス」と定義して、評価値の良し悪しで指導プログラムを変えることにした。


 今まで担当してきたプレイヤーの中で、あけさいは「だった。



 彼女がログインボーナスで手に入れたギアは、№029《迷える羊の子守歌シープ・ララバイ》。

 羊の歌声で30分間眠る代わりに、「眠ったアバターの体調を整える」という戦闘にまったく役に立たないものだった。


 事実上8時間睡眠の効果を30分間に縮める効果しかない。

 もちろん、日常のクオリティを上げるという観点からは有効な使い方もできるだろう。

 しかし、戦闘が24時間起こり得る『Fake Earth』の世界において、「使用した瞬間に強制的に眠らされる」というのは、「使いにくいギア」と言わざるを得なかった。


 そして、明智彩花は「」の疾患を抱えていた。

 ただでさえ身体能力の劣る小柄な女子アバターなのに、長時間戦おうとすれば、ぜん息に苦しめられることになる。

 街中で遭遇そうぐうしたプレイヤーから逃げようとしても、全速力で走れる時間は一般人よりも短い。

 接近戦で対プレイヤー用ナイフを振り回すなどの激しい運動はもってのほかだった。


『Fake Earth』は初期ステータスで命運が決まるゲームではない。

 初期ステータスに恵まれても、これまで30日以内にゲームオーバーになるプレイヤーは多くいた。

 ただし、初期ステータスの低さは、初心者プレイヤーに大きなハンデとなる。


 緑亀のジョンはポーカーフェイスを心掛けた。

 明智彩花に初期ステータスの低さを知られれば、彼女の精神面に悪影響を及ぼすと考えたからだ。

「次の瞬間に人生が終わるかもしれない」という究極的にストレスフルな環境下で、現状を正確に認識することは、必ずしも本人にとって良いこととは限らない。



「あっ、なんか気を遣わなくていいですよ、ジョンさん。

 私、このアバターは気に入ってますから。

 性別は女の子のままですし、年齢もほとんど変わってないですし。

 なんといったって現実世界と違って、この世界だと猫アレルギーじゃないですしね」



 明智彩花は右手に持った猫じゃらしをひらひらと振る。

 膝の上にいる野良猫の頭をでで、「君もそう思うよね~」と明るく呼びかけた。


 緑亀のジョンは小さく息を吐いた。

 どうやって彼女は自分の考えていることを察したのかがわからない。

 表情や身体のわずかな動きから読み取ったのだろうか?


 ただ、その疑問以上に不思議に感じたのは、いつどこで誰と戦うのかわからないゲームに参加しているのに、彼女が「何の予定もない休日を過ごす人みたいにリラックスしている点」だった。

 このゲームが過酷であることは、プレイ前のルール説明で知っているはずだ。


 それにもかかわらず、公園のベンチでくつろいでいる姿は、現実世界にいた頃と変わっていなさそうなたたずまいに見えた。



「……お気に召していただいたなら何よりです。

 プレイヤーは操作するアバターを選ぶことはできませんから。

 ただし、その後どうプレイするのかは、すべてプレイヤーの自由です。

 ゲームクリアを目指してもいいですし、途中でやめたくなったらギブアップしても構いません」


「遠回しに言わなくてもわかってますよ。

『Fake Earth』は超無理ゲーだって。

 どれぐらい難しいのかはわかりませんが、ギアもアバターも弱い私なんて、可能ならリセマラ推奨の状態でしょう」



 明智彩花は肩を落として、軽くため息をつく。

 しょんぼりとした顔をしているが、余裕がありそうな雰囲気は変わらなかった。

 緊張を誤魔化ごまかそうと強がっている様子もなければ、思春期の子が背伸びして達観している感じもしない。

 10代半ばの子どもっぽい感性を持ちながら、世界の本質を大人よりも理解しているような気がした。



「でも、才能や環境に文句を言っても、世の中はまったく変わらないです。

 人生を良くしたかったら、結局は自分で努力するしかないんですよ。

 だから、私は今の自分で頑張ります。

『配られたカードで勝負するしかない』ってスヌーピーも言ってますし」



 明智彩花は財布ポシェットを開けて、猫耳ケースの付いたスマートフォンを両手で操作する。

 そして、誇らしげな顔をして、スヌーピーの名言のまとめサイトを見せた。



「大丈夫ですよ、ジョンさん。

 たぶん私はなんだかんだゲームオーバーになりません。

──だって小学校の頃から、毎回ドッジボールは最後まで生き残ってきた実績がありますからね」



 世界の名門大学の最優秀学生でも必要とされない、アーカイブ社のインターンに参加している女子高生。


 明智彩花はにこやかに笑って、両腕を上げながら伸びをした。




──ベェアーロロロロロロロロ!




夢現電脳海淵城サイバーキャメロット》ROOM-C。

 ありとあらゆるギアの影響を受けない仮想空間。

 大理石の円卓に敷かれた山手線の鉄道ジオラマの上には、イベント参加プレイヤーの様子が3Dホログラムで映し出されている。

 池袋~大塚間の線路で緊急停止した電車の上には、2つのホログラムが浮かんでいた。


 池袋駅代表:明智彩花VS渋谷駅代表:あそれき

《迷える羊の子守歌》の催眠音波が車内放送で流されて、先頭車両から最後尾の車両まで響きわたる。

 遊津暦斗はうつ伏せに倒れて、通路に落ちたスマートフォンへ手を伸ばした。

 人差し指がスマホ画面に触れるも、催眠音波に耐え切れず眠りに落ちる。


 先頭車両の上のホログラムに映る明智彩花は乗務員室の椅子に座っている。

 自分のギアで寝ないように、密閉型のオーバーイヤーのヘッドホンを装着して、携帯オーディオプレイヤーから韓国の女性アイドルの曲を聴いていた。

 英語の歌詞を口ずさみながら、指でリズムを取っている。


 野良猫のいる公園でチュートリアルを行ってから63日後、彼女は出会った頃と変わらない様子で生き残っていた。



「とっても面白いギアの使い方ですね。

 催眠のデメリットを利用して、対戦相手を眠らせる。

 彼女自身は音楽をヘッドホンで聴くことで、眠りに誘う羊の歌声を聴かずに済む。

 こういう成概念せいがいねんに囚われない発想力を持つ方は、個人的に応援したくなりますね」



 左側の席に座る野うさぎのキャロル先輩は、控えめに拍手を送った。

 明智彩花の戦い方に二重丸をつけるように、耳の先をぐるぐると丸めている。

 彼女がアバターの肉体美以外で、プレイヤーに丸をつけることは滅多にないことだった。



「実に見事だ。

 山手線バトルロイヤルの環境を利用したのが素晴らしい。

 NPCの乗客たちで近づきにくくさせて、《迷える羊の子守歌》の車内放送でNPCの乗客ごと眠らせる。

 通常の屋内ならスピーカーを壊せば防げる攻撃だが、山手線の電車は車両の外側にスピーカーを設置しているのを利用した点も評価対象だろう」


武士ぶしまると違って、私はLINEを使ったことを評価したいかな。

 個人情報を知られたときに怖いのは、どこまで知られたのかがわからないところだし。

 遊津君は《小さな番犬》しか持ってないから、結果的に意味はなかったんだけど、『もしかしたら自分の持ってるギアも把握されているかも』って相手によっては効果的だったと思うよ」



 右側の席に座るインコのピー姫先輩は、全身を伸ばして細くなる。

 面白い物を見たときにする仕草だった。

 彼女の目は緑亀のジョンに向けられている。

 人間の姿ならニヤついているのがわかるくらい、意味深な目つきをしていた。



「……なんでこっちを見てるんですか、ピー姫先輩?

 言いたいことがあるなら、言ってください」


「いや、べつに~。心なしかジョンが嬉しそうにしてるなぁって。

 明智ちゃんはチュートリアルで担当してたみたいだし、ひそかに応援してるのかなと思ってさ」


「特定のプレイヤーの応援はしませんよ。

 僕たちは未来の初心者プレイヤーの質を高めるために、担当したプレイヤーたちの戦いを観てるんです。

 仕事に私情を挟んで、客観的に分析できなくなってはいけません」


「うわ~相変わらず真面目だね。

 たまには素直に喜んでもいいのに。

 まあ、ジョンみたいなチュートリアルがいるから、こっちは好き勝手に応援できるんだけど」



 インコのピー姫先輩は細く伸ばしていた身体を元に戻す。

 緑亀のジョンから目を逸らして、明智彩花を映す3Dホログラムを見つめた。


 3Dホログラムに映る明智彩花は乗務員室を出て、先頭車両から最後尾の車両の方へ歩いていく。

 気分転換に散歩に出かけたような歩き方。

 明智彩花は寝ている乗客を越えて、遊津暦斗の元へ近づいていく。

 車両間の扉を次々と開けていき、2人のプレイヤーの距離は縮まっていく。


 9両目の上に浮かぶ3Dホログラムでは、《小さな番犬》が眠っている遊津暦斗に向かって吠えつづけた。

 通路に転がったスマートフォンを震わせて、スマホ画面に乗った彼の手を揺らしている。

 明智彩花が前の車両に進むたび、ホーム画面にいる番犬の吠える声は大きくなった。

 赤色のスマートフォンの振動も強くなる。


 しかし、遊津暦斗は目を覚まさない。

 規則正しいリズムで胸が上下している。


 明智彩花は7両目で足を止めて、親指でホームボタンを長押しした。

 輝き始めるイヤホンジャックを、9両目で倒れている遊津暦斗に向けた。


 これから対プレイヤー用レーザーが放たれれば、遊津暦斗は頭部を撃ち抜かれてゲームオーバーになる。

 明智彩花が対プレイヤー用レーザーでとどめを刺すのは、戦いに勝つために正しい選択だろう。

 対戦相手がどんなギアを持っているのかを、プレイヤーは基本的に知らない。

 眠る前にギアで罠を仕掛けられた可能性を警戒して、近づきすぎないようにするのは当然の判断だ。


 緑亀のジョンは明智彩花の射撃姿勢を確認した。

 明智彩花の射撃姿勢は、お手本のように美しかった。

 スマートフォンの持ち方、つま先の向きが平行になる立ち方など、チュートリアルで教えたことを忠実に守っている。

 正しい射撃姿勢で撃つことができれば、対プレイヤー用レーザーは数百メートル先にいる相手の急所にも狙い通りに当てられる。



「完璧なフォームやな、ジョン。

 けど、この対プレイヤー用レーザーは外れよる。

──明智のお嬢ちゃんの手元が狂うように、遊津の旦那が寝る前に仕組んどったからな」



 緑亀のジョンが心の中で「撃て」と思ったとき、ハムスターのモグ吉先輩の関西弁が聞こえてきた。




──ポノポノ!




 明智彩花が親指をホームボタンから離した瞬間、LINEのメッセージの通知音が鳴った。

 猫耳のケースの付いたスマートフォンが振動して、光り輝いたイヤホンジャックが上下左右にぶれた。

 銃口が1センチ乱れれば、100メートル先では大きなズレとなる。

 親指がホームボタンから離れたとき、対プレイヤー用レーザーは自動的に発射される。


 光り輝いたイヤホンジャックから放たれた緋色のレーザー光線は、右方向へ逸れていった。

 彼女の対プレイヤー用レーザーは外れて、遊津暦斗のそばの座席に風穴を開けた。


──こんなタイミング悪いことが、たまたま起きるわけがない。


 緑亀のジョンは3Dホログラムに手をかざして、スマホ画面を見ている明智彩花の手元を拡大した。

 明智彩花のスマホ画面には、LINEの通知のポップアップが表示されている。


『遊津暦斗 ボイスメッセージを送信しました』と対戦相手からの返信が届いていた。



「……どういうトリックですか?

 なんで明智さんが攻撃するタイミングで、寝ているはずの遊津君がLINEを?

 個人同士のトーク画面から、予約投稿はできないですよね?」


「なーに『』を使っただけや。

 録音ボタンを長押ししとる間に、音声を最大30分間まで吹き込めて、録音ボタンから指を離したときに送信される機能。

 もし寝る前に録音ボタンを押しといたら、後は録音ボタンから指を動かすだけで送信できるやろ」


「だから遊津君はスマホ画面に手を置いていたってことですか。

 寝る前にLINEを送る方法はわかりました。

 ですが、それだと明智さんが攻撃するタイミングで送れた理由が説明できません。

 睡眠中に危険を察知するなんてことは……いや、まさか」


「せや、《小さな番犬》を利用したんや。

《迷える羊の子守歌》の歌声を聴いても、プログラムは眠らんからな。

 ほんで《

 明智のお嬢ちゃんがとどめを刺す瞬間こそ、スマホの振動は最大限になる。

 激しく揺れよったから、遊津の旦那の指もスマホ画面からタイミング良く弾かれたんや」



 ハムスターのモグ吉先輩は、身振り手振りを交えて説明する。

 推しのプレイヤーの活躍に興奮しているのか、熱のこもった口調はいつもに増して早口になっていた。

 明智彩花が《迷える羊の子守歌》で攻撃している場面で、遊津暦斗がひそかに手を打っていたことを見逃さない。

 普段からおちゃらけているようで、いつも隅々に注意を行き渡らせている。



「盛り上がってるところ悪いけどさ、遊津君のピンチに変わりなくない?

 LINEの通知で対プレイヤー用レーザーを1発外すことができても、明智ちゃんはもう1回撃てばいいだけでしょう?」


「二度目はないで、ピー姫。

 遊津の旦那の攻撃ターンは続いとるからな。

 ほな、ここで楽しいモグ吉クイズの時間や! 

──遊津の旦那の送ったボイスメッセージは、いったい何が吹き込まれとると思う?」


 ハムスターのモグ吉先輩は腕を組み、得意げな顔でニヤリと笑う。

 真ん丸の目を細めて、3Dホログラムに映る明智彩花を見つめていた。


 首をかしげていたインコのピー姫先輩は、思い当たったようにくちばしを開ける。

 太い角に前足を当てたまま、カブトムシの武士丸先輩は言葉を失っている。

 野うさぎのキャロル先輩は耳の先をぐるぐると丸めている。


 緑亀のジョンは口を固く結び、思わず舌打ちしそうになるのを堪えた。

 甲羅の中に引っ込めた手を握りしめる。


《迷える羊の子守歌》の車内放送で眠らされる直前に、録音を始めたボイスメッセージには何が吹き込まれるのか。


 答えは「、《」だ。




──ベェアーロロロケルロロロロロ! 




《迷える羊の子守歌》の歌声の録音が、明智彩花のスマートフォンから響きわたる。

 爆音に近い音源を、そっくりそのまま再現していた。

 1匹たりとも音程の揃わない不協和音。

《小さな番犬》の鳴き声が混ざっていたが、最大ボリュームで放送された羊の群れの合唱にかき消されている。


 明智彩花はヘッドホンを首にかけたままだった。

 彼女の耳の中へ催眠音波が入るのを阻止するモノは何もなかった。

《迷える羊の子守歌》は耳を塞がずに聴けば、強制的に5秒で眠らされるギア。

 頭にヘッドホンを装着して、携帯オーディオプレイヤーの曲を再生するまでの時間はない。


 二重瞼が落ちていき、華奢きゃしゃな脚がふらつきはじめる。


 明智彩花は口に手を当てて、車両間の扉にもたれかかるようにして眠った。



「……眠らされた相手を眠らせる!

 《迷える羊の子守歌》の攻略を捨てて、咄嗟とっさにその力を逆手に取る発想に切り替えたのか!」


「格好ええやろ、武士丸。

 これが遊津の旦那の強いところやで。

 自分の力が通用しないなら、周りにあるものを何でも利用する。

 使



 3Dホログラムに映る明智彩花が眠りに落ちて、《小さな番犬》は激しく吠えるのをやめた。

 赤色のスマートフォンも振動しなくなり、先頭車両から最後尾の車両まで電車内は静まり返る。

 池袋~大塚間の線路で緊急停止した電車は動かない。

 緑亀のジョンたちが見守る中、時間が5分、10分と過ぎていく。


 最初に目覚めたのは9両目にいる遊津暦斗だった。

 彼はスマートフォンを手に取り、うつ伏せに倒れたアバターを起こした。

 対プレイヤー用レーザーを自分に撃った痛みで、NPCの乗客より眠りが浅かったらしい。

 電車内を見回して、コバルトブルー色のスクエア型眼鏡をかけ直す。


 だが、緑亀のジョンは見逃さなかった。

 彼女が意識を失う直前、口に手を当てて「眠気覚まし薬」を飲み込んでいたことを。


 7両目にいる明智彩花も、数秒後に目を開けた。

 小さく欠伸をして、両腕を上げながら伸びをする。

 車両間の扉に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、池袋~大塚間の線路で緊急停止した電車が動き始める。


 お互いに目が合ったとき、明智彩花と遊津暦斗は8両目の扉を同時に開けた。



「この状況は遊津暦斗さんが有利ですね。

 姿を隠していた明智彩花さんを見つけた以上、彼は対プレイヤー用レーザーで攻めつづけるはずです。

《迷える羊の子守歌》を警戒していますし、相手にギアを起動する隙も与えないでしょう」


「私もキャロルさんに同意見ね。

 明智ちゃんはぜん息持ちのアバターだし。

 動体視力のいい遊津君と接近戦をやるのは分が悪いかな」


 

 インコのピー姫は翼を丸めて、頬杖をつくようなポーズを取る。

 明智彩花の映る3Dホログラムから、東京駅代表のプレイヤーが映るホログラムへ視線を移した。

 カブトムシの武士丸は静かにうなずいて、2匹のチュートリアルの予想を否定しない。

 ハムスターのモグ吉先輩は余裕のある笑みを浮かべている。



「……みなさん、何を言ってるんですか?

 まだ《迷える羊の子守歌》で遊津君を倒しきれなかっただけでしょう。

 不利が有利をくつがえすのが、勝負の世界です。

 アバターの性能が弱いくらいで、明智さんは負けませんよ」



 前のめりの姿勢になって、緑亀のジョンは甲羅から首を伸ばした。

 明智彩花のチュートリアルを担当したときのことを思い出す。


 次の瞬間に人生が終わるかもしれないゲームの世界で、彼女は野良猫を膝の上に乗せてリラックスしていた。

「初期ステータス」が低いことを知っても、ありのままの現状を平然と受け入れていた。

 今まで的中していた30日以内にゲームオーバーになる予感がしても、何事もない様子で30日以上生き延びてきた。


 どんなピンチに追い込まれても、きっといつもの穏やかな調子で切り抜けられる。

 たとえ対戦相手が接近戦に強い遊津暦斗だろうと関係ない。


 今回の山手線バトルロイヤルで、明智彩花こそが優勝するプレイヤーだと信じていた。



「へぇ、熱いこと言ってくれるじゃん、ジョン。

 なんだかんだでチュートリアル愛があるね~」


「僕は仕事に私情は持ち込みませんよ、ピー姫先輩。

 客観的に比較して、明智さんが勝つと判断しただけです。

──彼女は小学校の頃から、毎回ドッジボールは最後まで生き残ってきた実績がありますからね」



 緑亀のジョンはインコのピー姫先輩に微笑みかけた。

 ドールハウスのサロンチェアに深く座り直して、3Dホログラムに映る明智彩花の横顔を見つめる。

 先輩チュートリアルたちのにやついた視線を感じるが、気づかないふりをして観戦しつづけた。

 担当したプレイヤーの戦いを1秒たりとも見逃すわけにいかない。


 電車にブレーキがかかり、線路を走る速度が落ち始める。


 池袋駅代表:明智彩花はマスクを下げて、素早く息を吸い込んだ。

 渋谷駅代表:遊津暦斗は目を見開き、顔からスクエア型眼鏡を投げ捨てた。



──彼女が全力で動ける活動限界時間は60秒。

──彼の目の力のタイムリミットは60秒。



 次の駅に到着する前に、決着がつくのは明らかだった。




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