36話 列車非常停止警報装置(前編)
【山手線バトルロイヤル 遊津暦斗(戦績)】
ROUND1 VS綾瀬良樹(高輪ゲートウェイ駅代表)
△引き分け:電車の上で奇襲を仕掛けるも、綾瀬に逃げられる。
ROUND2 VS町家エリカ(原宿駅代表)&堀之内修(巣鴨駅代表)
〇勝利:対戦相手のギア・《巨人変換機》を利用して、三つ巴の戦いを制する。
緑色の帽子をかぶったモグ吉は、今にも等身大のクリボーに捕食されそうになっていた。
『スーパーマリオブラザーズ』リアル版WORLD1-1、スタートより10メートル地点。
最初のスーパーキノコが出てくるブロックの下で、クリボーの口に挟まれてもがいていた。
尖った牙でナイロン紐はちぎられて、腰に結びつけたスマートフォンはハテナブロックの下に転がっている。
全身を唾液まみれにしながら、涙目になったモグ吉は悲鳴を上げていた。
モグ吉:『遊津の旦那! わいが体を張って、クリボーの隙を作ったる! せやから対プレイヤー用レーザーでとどめは任せまっせ!』
俺:『いや、ちょっと待ってくれ。わざわざ隙を作らなくても、対プレイヤー用レーザーを撃てば、クリボーは普通に倒せるんじゃないのか?』
モグ吉:『なんでやねん! 普通に倒してもうたら、サポート役のわいの存在意義がなくなるやろ!
協力プレイはお互いの力を合わせなあかん。とにかく、わいの勇姿を目に焼きつけといてくれ!』
モグ吉:『……うわ! えっ? あかん! このクリボー、想像以上に食いつきよる!』
モグ吉:『遊津の旦那、チャンスや! わいは逆にピンチやけど!』
モグ吉:『……って冗談を言っとる場合か! ぎゃあああああああ!』
俺はため息をつき、コントみたいな展開に頭を抱える。
目の前のクリボーを無視して、宙に浮いたブロックの上から渡るルートで先に進むことはできた。
けれど、俺が奥多摩の山奥から自宅へ帰るために、小動物のチュートリアルをクリボーの胃袋の中へ置き去りにするわけにはいかない。
ホームボタンを長押しして、対プレイヤー用レーザーを起動する。
端末上部のイヤホンジャックを、クリボーの顔から飛び出すほど長い眉毛と眉毛の間に向ける。
親指をホームボタンから離して、ライトグリーン色のレーザー光線を放った。
『池袋、池袋。お出口は左側です』
チュートリアルを回想している途中で、山手線の自動アナウンスが流れる。
青虫色の電車は7番線のホームへ入っていった。
駅のホームで待つ乗客たちは、各車両の乗車口で2列になって並んでいる。
お互いに知らない者同士のはずなのに、誰ひとり背後に立つ乗客を気にしている様子はなかった。
現実世界では当たり前の光景。
ただ、『Fake Earth』の世界では、背後から対プレイヤーナイフを刺されるイメージがよぎり、見ているだけで嫌な汗が流れてくる。
神経質になりすぎているのか。
それとも現実世界における「他人への信頼」の方こそ「異常」ということに気づいてしまったのか。
俺は座席から立ち上がり、池袋駅に降りた。
誰もいない電車の屋根の上を見上げて、全身を銀色に染めたプレイヤーのことを思い出す。
相手には俺の顔を見られた一方で、こちらは相手の顔が輪郭しかわからない。
次に会ったときに不利にならないように、B1Fの改札内にあるユニクロで変装用のアイテムを買いたかった。
周りの乗客たちの歩調に合わせて、近くにいるかもしれないプレイヤーから目立たないように位置取りをする。
大勢の乗客と密接になるエスカレーターを避けて、利用者の少ないエレベーターに乗る。
だが、B1Fの改札内のユニクロは、買い物などとてもできそうにない店頭状況だった。
防寒のフルコーデのマネキン人形が、入口に3体倒れていた。
商品棚からはマフラーが垂れ下がって、真空パックの袋に入ったヒートテックが床に散らばっている。
床にうずくまった男性の店員は口を手で押さえていたが、堪えきれずに手から吐瀉物を漏らした。
シアン色の血だまりが店内から俺の方へ流れてくる。
生臭くドロッとした血液は通路をじわじわと青く染めていった。
俺は息を呑み、自分の認識に間違いがあったことに気づく。
目の前にあったものを、正しく見ることができていなかった。
倒れたマネキン人形は3体、店頭に置かれた台座の数は2つ。
台座と1セットで同じ数になるはずなのに、マネキン人形の数が余分に多い。
精巧に作られた「偽物」の中に、動かなくなった「本物」が混ざっている。
店の入口でうつ伏せに倒れて、ニット帽や手袋で肌が隠れた女性。
彼女の位置から「カチッ」とスイッチを押したような音が聞こえる。
店内から流れてきた血は波打ち、倒れた女性の方へ逆流し始めた。
通路に血の跡は残らず、生臭い嫌な臭いも薄れていく。
マネキン人形だと思っていた1体は、
──ビウィ、ビウィ、ビウィン!! ビウィ、ビウィ、ビウィン!!
プレイヤーの死体から遠ざかろうとしたとき、大音量の警報音がB1Fの改札内で響きわたる。
この世界に来てから1ヶ月間、日中深夜問わず何度も耳にした音だった。
赤色のスマートフォンが激しく振動する。
池袋駅周辺の地図がロック画面に表示された。
俺は片手をポケットに突っ込み、ライムミント味のフリスクケースを揺らす。
死んだばかりのプレイヤーが目の前にいるなら、当然そいつを殺したプレイヤーも近くにいる。
池袋駅のB1Fの改札内、甲高い警報音が20メートル先から聞こえてきた。
離れたところからの音なのに、その音量の大きさは俺の警報音を上回っていた。
複数のスマートフォンが同時に鳴っている。
ロック画面の地図を見ると、「3枚のコイン記号」が俺の方へ近づいている。
スマホ画面から顔を上げたとき、3人のプレイヤーが誰なのかは一目でわかった。
彼女たちはNPCの乗客の中から頭一つ抜けている。
北欧系の女性アバターに、南米系の女性アバターと東南アジア系の女性アバター。
高身長の外国人留学生らしき3人組が、振動中のスマートフォンを手に持っていた。
「はぁ、また心が痛むな~。初心者イベントに部外者が乱入して、参加プレイヤーを3人がかりで倒すなんてさ。後輩の藤原ちゃんのためとはいえ、さすがにちょっと可哀想じゃない?」
「別にいいだろ、アンジー。山手線バトルロイヤルに『仲間』を持ち込んだらいけないルールはねえんだ。だいたい、こんな危険な世界にボッチでいる奴が悪いんだよ」
「2人とも、油断は禁物。私たちはみんな油断できるほど、強くないことはわかってるでしょ。
そもそも、
視線を前に向けたまま、高身長の女性アバターたちは俺に向かって歩いてきた。
俺は両手でスマートフォンを構える。
3人のプレイヤーは横一列に並んで、地面についた足の膝を曲げない、颯爽とした歩き方だった。
後ろに引くような腕の振り方も左右差がない。
全員が綺麗な姿勢を保ち、お互いの足の動きは揃っていた。
そして、彼女たちはホームボタンを長押しして、対プレイヤー用ナイフを一斉に起動する。
光り輝いたイヤホンジャックから放たれた光線は、美しい螺旋の形から光の刃へ収束していった。
同時に立ち止まった3人のプレイヤーは、対プレイヤー用ナイフを構える。
左右の端にいるアバターのつま先は俺の方を向いていた。
ふと凛子が煌びやかなフットセンサーに乗って、『
真っ赤なキャップを後ろ向きに回して、Tステップのひねりをタイミング良く決めていた。
表情はまったく見えないのに、全身から楽しそうな様子が伝わってくる。
危機が迫った状況で、突然浮かぶ大切な記憶。
絶対に負けられない理由に、心臓の鼓動が落ち着くのを感じた。
目の前の世界がより鮮明に見えるようになる。
大音量の警報音をかき消す勢いで、《小さな番犬》が激しく吠え始めた。
──ヌブワァッ!
高身長の女性アバターたちは踵を浮かせた瞬間、俺との間合いを一気に詰めてきた。
アバターの上半身がブレない、通路を滑るような足さばき。
3本の対プレイヤー用ナイフが素早く振られる。
俺が先に後ろへ下がっていなければ、胸骨どころか心臓まで斬られたところだった。
空振りしたナイフを握ったまま、高身長の女性アバターたちは俺の目を見つめている。
お互いの立ち位置を入れ替えて、さらに横一列から逆三角形の陣形に変える。
俺はユニクロへ飛び込み、店内をざっと見回した。
全体の間取りを把握して、色とりどりのカーディガンを吊るしたハンガーラックを倒した。
狭い通路を障害物で塞いで、高身長の女性アバターたちから距離を取ろうとする。
だが、高身長の女性アバターたちは左足で踏み込んで、3人同時にハンガーラックを蹴り上げた。
一糸乱れぬキックステップで、カーディガンを吊るしたハンガーラックの重さを物ともせずに吹っ飛ばした。
俺は両腕を交差させて、勢いよく向かってきたハンガーラックを受ける。
痺れるような痛みが腕に伝わった瞬間、3本の対プレイヤー用ナイフが吊るされたカーディガンの間から迫ってきた。
綺麗にまっすぐ伸ばした腕は想像以上に伸びてくる。
急いでアバターの体勢を変えたが、光り輝くナイフの切っ先が頬をかすめた。
──声かけもアイコンタクトもなしで実行する、三位一体のコンビネーション。
──全員がフォーメンションダンスの振り付けで息を合わせて、3人がかりで攻めつづけるチーム戦術の完成度が高い。
「チームプレイが得意な相手、か。
──じゃあ連携できないようにさせてもらうだけだ」
俺は対プレイヤー用レーザーを起動した。
近くの商品棚にあった「XLサイズのベースボールキャップ」をつかみ、光り輝いたイヤホンジャックに覆いかぶせる。
頭の中で滴型の種が発芽した。
小さな芽はぐんぐんと伸びて、たくましくなった茎は幹となる。
太い幹から次々と枝が生えていき、様々な未来のパターンを映した樹形図が広がっていくイメージが浮かんだ。
──ジオン!
俺は視線を前に向けたまま、斜め下に対プレイヤー用レーザーを撃った。
対戦相手に狙いが読まれないように、覆いかぶせたキャップの中でスマートフォンを傾けていた。
ライトグリーン色のレーザー光線はキャップを突き破る。
そして、接近してきた北欧系の女性アバターの足の甲を貫いた。
「────つッ!」
北欧系の女性アバターは顔を歪める。
彼女の足は力が抜けたようにカクンと下がった。
『Fake Earth』はバトルフィールドをどこでも自由に選べるゲーム。
戦闘中に別のフィールドへ移動すれば、その場で足を負傷したプレイヤーと味方を分断することができる。
俺は東南アジア系の女性アバターの顔にキャップを投げた。
後ろを向き、全速力で奥側の出入口から店を出る。
目指すは山手線内回りの5•6番線のエレベーター。
走りながら振り返ると、対プレイヤー用ナイフを持った2人のプレイヤーが追いかけてきている。
通路を行き交う乗客たちは、彼女たちのナイフを見るや否や飛び退いた。
数メートル以上の距離がある人も通路の端へ離れていく。
南米系の女性アバターと東南アジア系の女性アバターの足は速い。
長い足の歩幅も、足の回転数も、俺のアバターより優れている。
距離が徐々に縮められていく。
操作盤のボタンを押して、エレベーターを開ける余裕すらない。
俺はスマートフォンを前に構えて、親指でホームボタンを1回叩いた。
微かに光ったイヤホンジャックから、レーザー光線より短い光の弾を1発放つ。
操作盤の矢印ボタンに光の弾が命中して、オレンジ色にボタンの縁が点灯した。
残り3メートルに差しかかったところで、エレベーターの扉が音を立てて開かれる。
「このまま1人でなんとかなると思ってんのか?
──自分が特別だって思い上がってんじゃねえぞ」
開いたエレベーターの前で、南米系の女性アバターが俺に追いついた。
エメラルド色の光の刃を握りしめて、通路を擦るように滑り込んでくる。
俺はエレベーターの前から離れて、振り下ろされたエメラルド色の光の刃を横に避けた。
南米系の女性アバターの背後に回り、彼女の背中を強く押した。
南米系の女性アバターは突き飛ばされて、額をエレベーターの出入り口の枠にぶつける。
すかさず俺は前に踏み込んで、斬りかかってきた東南アジア系の女性アバターのナイフを見切った。
すれ違いざまに空振りで前に傾いた体勢を狙って、相手の手首を引っ張ると同時に足を引っかける。
「……あなた!
東南アジア系の女性アバターは目を丸くして、背中を押された南米系の女性アバターの方へ転んでいった。
2人のプレイヤーはぶつかり、開いたエレベーターの中へ倒れていく。
そして、俺は視線と射線の高さを揃えて、ライトグリーン色の光の弾を2連射した。
赤色のスマートフォンを下ろして、起き上がろうとしている2人のプレイヤーに背を向ける。
これから彼女たちが何をしようと見る必要はない。
向こうがまだ戦う気でいたとしても、俺の目の前からいなくなるルートは確定したのだから。
──ライトグリーン色の光の弾を撃った先は「エレベーター内の側面の操作盤」。
──1発目は「1Fボタン」へ。2発目は「ドアを閉じるボタン」へ。
「おい、てめえ、ギルドを相手に──」
南米系の女性アバターが何かを言い終える前に、後ろでエレベーターのドアが閉まり切る音がした。
密室にこもった2人のスマートフォンの音はわずかに聞こえにくくなった。
山手線内回りの5•6番線のホームへ、B1Fからエレベーターは上昇していく。
エレベーター内からドアを蹴破ろうとする音も遠ざかっていった。
俺は山手線外回りの7•8番線のホームに向かって走る。
エレベーターへ向かう途中にあった電光掲示板によれば、次の電車は後1分もしないうちに到着する予定だった。
山手線は電車が2、3分の間隔で来るが、呑気に待っていたら、3人のプレイヤーに追いつかれる可能性が高い。
完全に逃げ切るために、逃がしたくない1本だ。
全速力で足を動かしながら、ロック画面の地図を見る。
高身長の女性アバターたちは追いかけてきているが、お互いの距離は十分に開いていた。
切れそうになる息をぐっと止めて、長い階段を一気に駆け上がる。
7・8番線のホームに着いたとき、青虫色の電車がタイミング良く入ってきた。
──バギリリィン!
停車した電車のドアが開く直前、頭上より高い位置から「ガラスの砕ける音」がした。
南側にある2Fの
池袋駅のホームの明かりが、割れた窓から飛び出したモノを下から照らす。
周りの乗客たちは言葉を失って、それを見上げたまま固まる。
刃物で斬られたらしき傷口から、シアン色の血が天に昇るように漏れている。
空中で回っているガラスの破片は、ホームの明かりで輝いていた。
実物の大きさはまったく違うのに、下から見上げていると、夜空に重なったガラスの破片は光り輝く星に見える。
落下中の男性の2人組は気を失って、口の端から泡が噴き出ていた。
そのまま5•6番線のホームの屋根に激突した。
大型トラックに撥ねられたような衝突音が響きわたる。
彼らのスマートフォンは線路へ転がり落ちた。
《小さな番犬》が激しく吠える。
真っ二つに割れた2枚のコイン記号が、ロック画面に表示された池袋駅の地図から消えていく。
2Fの跨線橋の窓のそばには、オレンジ色の髪の大学生らしきアバターが立っていた。
ウルフカット気味の髪型も、175cm前後の細身の体型も、銀色に染まっていたプレイヤーの輪郭と一致している。
オレンジ色の髪のアバターは襟を立てたロングコートを脱いで、眉尻を下げてボタンについた返り血を眺めていた。
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