Fake Earth

Bird

第1章 Now Loading

第1話 教師:星倫典は既視感を覚える

 その奇妙な感覚は、教師になって5年目の春、新しくにんした高校のクラスの担任としてきょうだんに立ったときに芽生えた。


 初めて会う37名の生徒のうち、廊下側から2列目、前から5列目の席に座っている女子生徒に対して、

 どうして名前も知らない彼女にそう思ったのかはわからない。

 今まで150人以上の生徒を担任として受け持ってきた教師人生で、まったく体験したことのない出来事だった。


 きっと気のせいだろう。

 最近は引き継ぎ業務で忙しかったし、整体にでも行って疲れを取った方がいいかもしれない。


 私は女子生徒から目を逸らし、普段どおりに振舞うことにした。

 黒板にチョークで名前を書いて、当たり障りのない挨拶あいさつをした後、生徒へ出席番号順に自己紹介するように指示を出す。



 だが、その「廊下側から2列目、前から5列目」の女子生徒に自己紹介の順番が回って立ち上がったとき、私は気づいた。

 気の迷いだと思った既視感が、間違っていなかったことに。

 忘れていた記憶が光り輝くように浮かび上がる。


──思い出したのは2年前の春。

──前任校の体育館で行った、「新入生オリエンテーションの部活動紹介」。


 あの頃へタイムスリップしたかのように、舞台裏で上級生の監督役を任された星が当時に見た光景が脳裏によみがった。

 色んな部活の説明に飽きてきた新入生たちがガヤガヤとしている中、舞台袖に置かれたパイプ椅子から立ち上がった女子生徒──。

 今から吹奏楽部の紹介をしに行く彼女の面影が、「廊下側から2列目、前から5列目」の女子生徒に重なる。


 既視感を覚えた女子生徒は、2年前に担任していた吹奏楽部の子にそっくりだった。

 顔のパーツはどこも似ていない。骨格さえも違う。

 それなのに、私には2人が生き写しと思えるくらいによく似ているように見えた。

 緊張していそうなたたずまいが、どことなく彼女を彷彿ほうふつとさせるのだろうか?

 天井の木目が人間の顔に似ていることに気づいたらにしか見えなくなるように、目の前の女子生徒も前任校の吹奏楽部の子にしか見えなくなった。


 私は頭がスッキリするのと同時に、温かい懐かしさみたいなものを感じた。

 部活動紹介の演奏前では青ざめていた彼女が、指揮者の生徒が舞台で腕を構えた直後、凛々しい顔つきに変わったことを思い出す。

 大人しそうに見えて、格好良く叩いたドラムさばきで新入生をぜんとさせたことは、圧巻だった。

『人は見た目で判断してはいけない』と生徒に改めて教えてもらった学びだった。


 あの子は大学でも音楽を続けているだろうか?

 ぼんやり思いをめぐらせていると、驚くべきことに、なんとその女子生徒も「部活は吹奏楽部をやってます」と恥ずかしそうに自己紹介した。

 その控えめな話し方は、質の高いモノマネを見ているかのように、数学の授業で当てられたときの彼女の話し方をよく再現していた。


 偶然とは思えない一致。

 彼女の顔がブロック状のノイズで乱れて、吹奏楽部の子の顔に一瞬だけ変わったように見える。


 私は少し怖くなり、「もしかして楽器はパーカッション?」と口を挟んだ。

 かたを呑んで、前任校の吹奏楽部の子とよく似た女子生徒を見つめる。


「えっ? なんでわかったんですか?

 女子だと珍しいのに」


 女子生徒は目をパチパチと瞬きして、不思議そうに答えた。




 この奇妙な感覚は、翌年のクラス替えでも起きた。

 さらに付け加えるならば、見覚えのある生徒は1人ではなく、2人に増えた。

 初めて会うはずの生徒の顔がブロック状のノイズで乱れて、昔に担任した生徒の顔に変わって見える──。

 さすがに私は気味が悪くなり、どうりょうの先生たちに相談した。


 しかし、私と似たような経験をした先生は誰もいなかった。

 かつての私がそうだったように、「昔の生徒の顔なんて全然覚えていない」というのが他の先生たちの共通認識だった。

 ネットで調べてみても、自分と同じ悩みを持っていそうな人は見つからない。

「慢性的な疲労による幻覚かもしれない」と思い、評判のいい整体師に施術してもらったが、肩周りが楽になった以外に変わらなかった。


 次の年になっても、次々の年で勤め先の学校が変わっても、担任になったクラスの生徒の何人かが昔の生徒の顔に変わって見える。

 不気味なことに、奇妙な感覚は年度を重ねるごとに強くなった。

 初めの年は女子生徒1名のみだったが、翌年からは既視感を覚えた生徒は2名、5名、9名と増えていく。

 5回目のクラス替えをしたときには、教室にいた半数近くの生徒の顔がブロック状のノイズで乱れた。


 そして、吹奏楽部の子に似た生徒が部活どころか楽器まで同じだったように、

 たとえば文化祭で漫才をやった子に似た生徒は、その子と同じジャンルの勘違いネタで文化祭の開会式を盛り上げた。

 オシャレが好きな子に似た生徒は、自分でノンホールピアスを作るようになるところまで似通っていた。

 夏から筋トレにハマりだした子に似た生徒は、同じ時期に体を鍛え始めただけではなく、掃除のときに上腕二頭筋のトレーニングとして、机をまとめて運ぶようになったところまでそっくりだった。


──どうして私だけ生徒に既視感を覚えてしまうのか? 


 教師になってからの日々を振り返ってみたが、原因に心当たりはまったくない。

 不気味で不気味でしょうがなかった。

 今まで担任した生徒のことを忘れるために、卒業アルバムや行事の記念で撮ったクラス写真を捨てても、彼ら全員がどんな子だったのか、1年後でも完璧に思い出すことができた。


 クラス替えをするたび、見覚えのある生徒はどんどん増えていく。

 もはや見覚えのない生徒は、片手で数えられるほどしかいない。

 毎年カウントダウンのように少しずつ減っていく。

 その数がゼロになったとき、何か恐ろしいことが起こりそうな気がしてならなかった。


 しかし、新年度のクラスで生徒全員に面影が重なったとき、私の身には何も起こらなかった。

 その日は各自の自己紹介が終わった後、委員会決めがスムーズに終わり、ほかのクラスより早い放課後となった。

 下校時間が過ぎても異変はない。

 例年と同じ、生徒の顔がブロック状のノイズで乱れて、昔の生徒の顔に変わって見える状態がただ続くだけだった。



──もしかしたら奇妙な感覚は、素晴らしい超能力みたいなものなのかもしれない。



 私は悩みに悩み抜いた結果、ついにこれを仕事で活用することにした。

 まだ不気味に思う気持ちは残っていたが、漠然ばくぜんとした不安に耐えつづける現状を打破したい気持ちのほうが強かった。

『人は見た目で判断してはいけない』という価値観を捨てて、生徒指導にあたる。


 意外にもこの既視感は大いに役立った。

 盗み癖のある子に似た生徒には、部活中に財布を盗んだ瞬間に取り押さえて、騒ぎになる前に反省させることができた。

 オーバーワークで高校最後の大会前に体を壊した子に似た生徒には、早めに整体師の治療を受けさせて、故障を未然に防ぐことができた。


 不思議なことに、かつて悔しい思いをさせた生徒に似た子への指導がうまくいくと、後日その面影の本人と意図せず再会した。

 卒業後の彼らはみんな元気そうな様子で、大手企業に内定した話や恋人と婚約した話などの近況を嬉しそうに話してくれた。


 今まで担任してきた生徒たちの面影が、今の生徒それぞれの教育方法をあつらえてくれる。

 どのような言葉が勉強や部活のやる気を引き出すのか、どこまで生徒の主体性に任せればいいのか。

 思い出が答えを導いてくれる。

 やがて私は校内で一目置かれる教師となった。

 生徒からは「星先生は親よりもわかってる」と尊敬されるようになり、同僚の先生からは「生徒のことで相談したんですが」と頼りにされることが増えた。

 担任した生徒の中には「先生みたいな教師に憧れまして」と卒業後に教育実習生として、成長した姿を見せてくれる子も何人かいた。


──奇妙な感覚は生徒を育てることの助けになる。


 私は生徒一人一人に合わせた教育方針が見事にハマって、担任するクラスが活気づいていくことが嬉しかった。

 勉強面では、全員が似ている生徒よりも成績を伸ばしていた。

 第一志望の難関校に落ちた子の顔に変わって見えた生徒が、同じ学校に特待生として試験に合格することもあった。

 その合格した生徒から泣きながら電話で報告を受けたとき、私はこの奇妙な力を生徒指導に利用してよかったと心から思った。

 翌年度から担任ではないクラスの子にも既視感を覚えるようになっても、教師の仕事のやりがいをより一層感じるだけだった。


 年度を繰り返すたびに、数多くの生徒のデータが脳に蓄積されていく。

 直感によるプロファイリングの精度が上がっていく。


 奇妙な感覚の芽生えから15年経ったときには、学校中の全生徒の性格・趣味こうを瞬時に把握できた。

 昔の生徒全員を丸暗記しているわけではないのに、生徒の顔を見るだけで、なぜか似ている子は誰なのかを記憶の彼方から探し出せる。

 いつしか通勤電車に乗り合わせた他校の生徒の顔も、昔の生徒の顔に変わって見えるようになった。



 だから、教職に携わって20年目の4月、教壇に立った私は目を疑った。

 最後列の右から2番目に座っている「スクエア型眼鏡をかけた男子生徒」の顔が、


 私は平静を装い、黒板に自分の名前を書き始めた。

 途中でチョークが折れたが、何事もなかったかのように2本目で書き切り、例年より短めに挨拶を済ませ、生徒へ出席番号順に自己紹介するように指示を出す。


 その男子生徒の順番は14番目に回ってきた。

 彼は自分の名前を名乗った後、「趣味は読書です。1年間よろしくお願いします」と無難な挨拶をした。

 落ち着いた話し方を見ても、既視感はない。

 次に自己紹介した生徒の顔はブロック状のノイズで乱れて、13年前に担任した生徒の顔に変わって見えた。

 私の力が失われているわけではなかった。


 生徒の自己紹介の内容をメモに走り書きしながら、私はその男子生徒を何度か盗み見る。

 見た目は、知的な眼鏡が似合う優等生。

 3年に一度くらいの頻度で、担任として受け持つことになるタイプの生徒だ。

 けれども、成績優秀だった生徒を何人か思い浮かべてみても、やはり昔の生徒の顔に変わって見えることはなかった。


 どうして今までにないタイプの生徒だと思うのかはわからない。

 得体の知れない不気味さを久しぶりに感じる。

 走り書きのメモに書いた彼の名前を丸で囲む。



藤堂頼助とうどうらいすけ」。



 唯一の例外となる生徒は、自己紹介するクラスメイトを見つめていた。



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