第12話
音楽なんて真面目にやったことは一度もなかったから、それは初めての経験だった。
一人で上手くいかないところも、みんなで合わせると、なんとなくいい感じになった。いつもだべっているリーダーやNo3なのに、音楽を通すとまた違う一面が見られるようだ。
今更だが、部室を奪うんじゃなくて、有泉さんも誘えばよかったのだ。「一緒にサークル活動しようよ」と言って。“有泉さん”だってさ。なんて懐かしい響きなんだろう…。
コンドルは飛んでいくを吹きながら、僕はいつの間にか彼女のことを考えていた。黙々と除草作業をする姿、お茶を淹れる時の呆けた顔、木イチゴの林を前に、小鳥を目の前にした猫のような表情を浮かべる様子。僕はコンドルになって、村娘に扮する彼女を、遠くの空から見守っているのだ。
あんなことがなければ、近々彼女と映画を観に行くはずだった。もう彼女と映画へ行くことはないのだろうか。それどころか、あの部室でハーブティーとクッキー片手に笑い合うこともない。だから僕は、彼女の知らない遠くの空からでもいい、静かに彼女を見ていたいのだ。
「お前、なんていうか、艶っぽい演奏になってきたな」
リーダーはそういって僕の肩を叩いた。彼に言われると、どことなく不気味だった。
「よし、とうとう明日だな。頑張ろう」
やがてライブの前日になった。リーダーはいつになく晴れやかな顔をしている。
「リーダー、俺不安だよ。明日、突然吹けなくなったらどうすればいいんだ?」
「弱気だな、No2。適当に『イヤッサー』とでも叫んでおけ」
「ありがとう、リーダー! 安心したよ!」
本当かよ、No2。
「俺達の真剣な演奏と、投げ銭仲間の協力の二本柱で、明日のライブが成功するんだ。いいな、気の抜けた演奏なんてすんじゃねえぞ」
最後のほうは、興味を持ったマンドリン部の人たちも練習に付き合ってくれていた。みんないい奴だった。ケーキが効いたのか、明日は快く投げ銭に協力してくれるらしい。しかし、僕たちは作らされているだけで、未だつまみ食いすらさせてもらったことはないのだ。こんな多くの人の心をつかんでしまうだなんて、一体どんなケーキなのか。まあ、この際ケーキのことはしばし忘れよう。
このライブが終ったとき、きっと僕の中で何かが変わるはずだ!
当日は、宴会部長を除く全員が朝から落ち着かなかった。
特に、タキシードに赤い蝶ネクタイを結ぶリーダーは殊更だった。
「あのさ、フォルクローレってそういう音楽なの?」
ジーンズにTシャツというラフな格好をした宴会部長が、リーダーに尋ねる。
「違うけど、さすがにこの衣装は買えないだろう」
リーダーはCDに移っている奏者の衣装を指した。それは原色の派手な民族衣装で、かなり高度な演奏ができるようにならないと、ミスマッチになること間違いなしだった。しかし、僕らの演奏にタキシードが似合うかというと、そんなことは決してないのだったが。
「それに美幸さんがわざわざ来て下さるんだ。普段着で演奏できるかよ」
いつもジャージのくせに、よく言うよ。
ちなみに僕とNo2は、示し合わせたわけではないが、白いポロシャツとジーンズだった。まあいい。問題は演奏だ。
九時ちょうどに駅前移動した。移動と言っても、ギター、マンドリン、他にはリコーダー、カスタネットなので(タンバリンとマラカスは却下になった)移動は全く大変ではない。
そこには既に有泉がいた。視線が合う。あれ以来、たまに道端で野草を摘んでいるのを見かけただけで、こうして見詰め合うの随分と久し振りだ。
今日の有泉は普段のラフな格好ではなかった。海老茶色のエスニック風のロングスカートと、濃いベージュのタンクトップを身に纏い、大きな麦藁帽子を被っていた。これがまたよく似合っている。東方美人とでもいったところだろうか。黒く焼けた肌に、やけにぎろっと光る瞳。僕らをあざ笑うかのような挑発的な口元は、気のせいかいつもよりつやつやして見える。
「おお、今日は正装しているようだな」
とNo2が耳打ちした。
不思議と後ろめたさはなかった。身勝手な話だが、彼女は純粋に僕の演奏を聴くためにこの場にきてくれているような気がした。
僕らは敵同士ではなく、平和な関係で、彼女は僕の演奏だけを楽しみにしてくれている。緊張のあまり、そんな状態だったらどんなにいいだろうと、想像が現実のもののように感じられてしまったのかもしれなかったが。
有泉が微笑んだ。見間違いではない、彼女は確かに微笑んだのだ。それが嘲笑だろうとなんだろうと、どうでもよかった。僕は、彼女が微笑みかけてくれたことを、天からの救いのように感じた。
有泉さん、今日僕は君のために演奏する。君のためだけに演奏する。聴いてくれ、僕のリコーダーを! これがリコーダーではなく、フルートやサックスだったらもっと格好良かったのに、ということはこの際考えないことにする。
リーダーの合図で、僕たちは身構えた。
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