そのシャチ凶暴につき
「また言ってる。 同じクラスになってもう一ヶ月以上経ったろ?」
新が呆れた顔で言うと、
「だって、中学になってから初めてだよ?」
寂しそうに訴えるみやび。
彼女も制服のまま、グレーのスカートの上にシャチを抱きしめて、恐らくその胸には新のネクタイと同じ柄のリボンが付けられている。
「そっか、そう考えるとね」
「そうだよっ」と言って頬を膨らませるみやびを見て、こうして一緒に居ると、あんまり昔と変わらないのになぁ……と思いに耽る新。
――実はこの二人、家が隣同士の幼馴染だったのだ。
同じような戸建てが並ぶ通り、その二軒が偶然にも同じ歳の新とみやびが育ち、暮らしている家という訳で、二人にとってこうしてお互いの部屋を行き来するのはごく自然な事。
「これで体育祭も文化祭も一緒だし、修学旅行も一緒だねっ!」
(まぁ、学校ではあんまり話さないけどな……)
嬉しそうに話すみやびだったが、今までクラスが違う事や、学校で注目を浴びるようになっていったみやびと、平凡で目立たない新との格差により、いつの日からか学校ではあまり会話をしなくなった。
新は平穏な日常を好んでいたのでそこまで気にはしなかったが、みやびはその生活にストレスがあり、こうして新と昔のように話す場を持ちたがる。
「この前テレビでね、すごく綺麗な湖が映ってて、きっと新が見たら描きたくなるだろーなって思った! あとね、この前……」
ため込んでいた話したい事を放出していくみやび。 まずはそれを吐き出させるのが恒例となってはいたが……
(これが、触れ難い蜃気楼か?)
そう新が思うのも当然だろう。
目の前のみやびは学校とはまるで別人で、どう見てもこのあどけない少女があの生徒会長の隣に凛と立つのは想像出来ない。
周りが創り上げた勝手なイメージに応えてしまい、またそれが出来てしまう自分のスペックが裏目に出てしまった彼女。 だが時に演じさせられている完璧な “連城みやび” に疲れてしまう時がある。
その安定剤が彼、間宮新という訳だ。
「……でね、このレシピなら新にグリンピース食べさせられるって思ったの! 今度作ってあげるねっ」
作ってあげる、というよりは作ってあげたい気持ちが前面に出ているみやび。 新は、
「……苦手、なんだよな……」
途中聞き逃していたが、最後の方を捕まえて上手くコメントをすると、
「でもでも、それでセロリ食べれるようになったよ?」
「そう、だけどさぁ……」
過去の成功例を引き合いに出され、顔を顰める新。 みやびは縦抱きしていたシャチを横にして、
「残さず食べられたら、ご褒美になんでもお願い聞いてあげるからっ」
「っ……!」
言い終わると同時に首を微かに傾げ、眩しい笑顔を放たれる。
(やっぱり、昔とは違う……な)
幼い頃には感じなかった胸の高鳴りに、お互いの成長を自覚する新。
( 落ち着け凡人。 そりゃみやびが可愛いのはわかってるんだから、別に男子として正常な反応をしただけだ )
一般的に当たり前の事、ただそれだけだと自己解釈をすると、
「別に、お願いなんてないし」
「………そう」
照れ臭そうに視線を逸らして言った新にみやびの表情は見えなかったが、寂しげな声は耳がしっかりと捉えている。
(ちょっと、素っ気なかったかな……)
気になる声に視線を戻すと、今度は違う理由で目を逸らさなければならなくなる。
「んんっ!?」
「え?」
思わず出た声にみやびは不思議そうにしているが、原因は彼女。 横抱きにしたシャチの背中に、みやびの成長した胸が乗っていたのだ。
「どうしたの?」
「ちょ……っ!」
様子のおかしい新に前のめりになるみやび。 両手をシャチの前に出して胸を寄せるように抱きしめている上に、前のめりになりそれが更に押し上げられている。
(わ……わざとか!?)
と感じる程に少年には刺激が強かった。
その時……
――――「真っ白で、大人みたいな身体」――――
今日聞いた凪の言葉が頭を過る。
「――わぁぁあっ!」
雑念を追い払おうと頭を抱える思春期の少年。 それを理解出来ない無自覚な少女は、
「あ、あらたっ!?」
慌てて近寄るみやび。 手を床について、四つん這いになって新を覗き込む。
「どこか痛いの?」
「い、いや、大丈……―――ぶっ!?」
心配そうに見つめる薄茶色の瞳……ではなく、新の目に飛び込んで来たのは、ボタンを一つ外していたブラウスの隙間から見える白い谷間の入り口と、それを隠す同様に白い下着の上だった。
「でも……ホントに平気?」
そうとは知らないみやびは声を掛け続けるが、この状況が彼にとって平気ではない。
「へ、平気平気」
赤い顔を下に向けながら、
「なんか、ちょっと変だよ?」
「もう大丈夫、乗り切った!」
「??」
「き、気にしないで……」
意味不明な台詞を吐く新。
少し憐れにも感じるが、そもそも全校男子憧れの女子に手料理を作りたいと言われ、それを完食すればなんでも願いを聞くという夢の提案を蹴ったのだ。 この程度の羞恥は受けて当然というもの。 例えそれが苦手な食材だろうが、他の男共なら皿ごと頂く意気で臨む筈だ。
「まったく……鶴本さんが変なこと言うから……」
狼狽える情けない自分を棚に上げ、ぶつぶつと責任転嫁を始める。
「………鶴本さん?」
「なんでもない。 それより相談があるんでしょ?」
とにかく話を切り替えたかった新に押さえ込まれると、みやびは少し表情を曇らせたが、それを呑み込み話を切り出す。
「うん。 二年の時の友達がね、好きな男子がいて、三年になってクラスも離れちゃって辛いし、心配だって相談されて……」
「……はぁ」
それを恋愛に無縁の自分に相談されても……と新は思ったが、とりあえず聞くだけ聞いてみる事にした。
「せめて今好きな人がいるか知りたいって言ってたから、呼び出して聞いてあげたの」
「うん」
「そしたらね…………私、だった―――」
シャチに顔を伏せるみやび。
それを聞いた新は、
(良かれと思ってやったんだろうけど、その可能性は俺なら疑ったな)
「も、もちろん断ったよ!?」
「だろうね。 で、なんて断ったの?」
「それは……」
断るのは大体わかっている。 それも友達の好きな男子なら尚更だ。 新が気になったのは、その “フリ方” だった。
「どうせ学校モードで言っちゃったんだろ?」
「………うん」
「なんて言ったの?」
その内容を追求され、シャチの背中に顔を埋めたまま話し出す。
「私にその気は一切ないし、今後も可能性はゼロだから………って」
「………俺なら卒業まで立ち直れないかもな」
「あ、あらたにそんなこと言わないもんっ!」
(言われるようなこと、言わないもん)
「ちゃんと友達の名前も出さなかったし、でも……こんな事言えない………」
(そりゃそうだろうけどさ、彼がムゴいよな……)
確かに。
彼もみやびが呼び出すようなシチュエーションを作ったから言ってしまったのだろう。 何もなければ、恐らくは想いを秘めたまま卒業していたのが予想出来るし、そんな男子は山程いるだろうから。
「まぁ、友達には聞いた事自体伏せておいた方がいいかもね」
「そうかな……」
「彼に好きな人はいない、というかいなくなったけど、その後すぐ告白なんてしたらその子が訊かせたと思われそうじゃない?」
「………うん」
恋愛相談は役に立たない新だが、こういったみやびの後処理は手慣れたもののようだ。 変な経験値だけ上がっていくのも、モテる幼馴染を持った宿命なのか。
「そうだな、立ち直りの早いタイプならその女友達にもまだチャンスはあるし、彼だって高校生になれば吹っ切れる出会いもあるって」
これは罪悪感を和らげるみやび用のお薬。
新先生の診療所ではよく見られる光景だ。
「うん、ありがとう」
やっと顔を上げ出したみやびに、「いえいえ、いつものことですから」、と応える新。
「新はさ、高校どこにするか決めてるの?」
「え? またそれか……」
本日二度目の進路相談に困った顔をすると、
「また……って?」
「ああ、偶々今日鶴本さんにも訊かれてさ」
「……さっきも言ってたけど、鶴本さんて同じクラスの子だよね」
「あ、ああ……」
怯み気味に返事をする新。
それはさっきまで丸まっていたみやびが背筋を伸ばし、明らかに不機嫌そうに眉を寄せて見てくるからだった。
「廊下に二人でいた」
「うん。 その時訊かれたんだけど、俺はまだ考えてなかっ――」
「なんで一緒にいたの?」
途中で鋭い声に遮られ、それと同時に何故か問い詰められているような気分になる新。
「いや、鶴本さんとは一年からずっと同じクラスだし、美術部も同じで……だから、話すよね」
凪との関係性をそのまま伝える新。
みやびは僅かに俯き、上目遣いで尋問を続ける。
「それで、どんな話したの?」
「それだけだよ。 まだ決めてない、じゃ決まったら教えて、わかった、終わり」
淡々と話す新を恨みがましい目で睨むみやびは、
「……それだけ……じゃないじゃん……」
「は?」
「ううん、なんでもない」
沈んだ声色で目を合わせようとしないみやび。
その視界にふと映った、新の鞄と共に置かれていた物が目に留まる。
「あ、スケッチブック! 見てもいい?」
「ああ、別にいいよ」
「わーい」
嬉しそうに手元に取り見ていくみやび。
「おぉ~腕を上げてますね」
「相変わらず風景画ばっかだけどね」
「いいじゃん、私は好きだよ? それに、人物画なんて描いてほしくな―――」
スケッチブックを捲る手が止まり、一枚の絵に表情が固まるみやび。
どうしたのかと思った新が覗き込むと、そのページには、制服姿で椅子に座る少女が描かれていた。 短めの髪で、右目の下に小さなほくろのある少女が。
「人物画は苦手なんだけどね、部活でペアになって描く時があってさ」
描いた理由を話す新。
みやびはじっとその絵を見つめ、掠れる程の声を零す。
「私は……描いてもらったこと……ないな」
「え、なに?」
その声を聴き取れなかった新は訊き返すが、次に聞こえた言葉は全く違うものになる。
「やっぱり……言えないよね」
「……言えない?」
「好きな人に、好きな人がいるなんて……」
ついさっき話した相談の事か、そう思った新は、
「そう言ったろ? 言わない方がいいと思うよ?」
「うん………身に染みてわかったよっ!」
「わっ! な、なにすんだ!?」
膝に置いていたシャチが新を襲う。
「あはははっ! シャチくんは凶暴なんだよ?」
「そのシャチは使い手次第だろ!」
戯れ合う二人、意外と本気で嫌そうな顔をしている新は、
「大体
「ずっと! この子は監視役なんだからっ」
どうだ、とばかりに見せつけるシャチのぬいぐるみの白いお腹には、大きくマジックで『みやび』、と書いてある。
元々子供の頃にお互いの家族と一緒に水族館に行った時、みやびがねだって買ってもらったのがこのぬいぐるみなのだが、何故かその日からシャチは新の部屋でマスコット的に存在している。 が、それが “監視役” だったというのは初耳である。
「意味がわかんないよ」
白けた目を向けてくる新に、同じ目をしてニヤリと口角を上げるみやびが応える。
「新が女の子連れ込んで変なことしないように監視してるの」
「ばっ、変なこと言うなよ……!」
「変なことするなよ?」
悪戯そうな顔でシャチを構えるみやび。
その表情を見て、揶揄われるのも疲れた新は大きな溜息を吐き、
「俺の部屋に来るのなんてお前ぐらいだよ」
そんな関係の女子どころか、男でさえそこまで深い親友と言える友達がいないのに。 そう考えると少し自分が心配になってきたが、すぐにそれどころではなくなってしまう状況に陥る。
「――!? お、おい……!」
ワイシャツ越しに伝わる、肩に置かれた柔らかな温もりと、惚けてしまいそうな甘い香りに包まれる。
「それなら……いいの」
うっとりとした顔を新の肩にすり寄せ、愛しそうに囁く。
(―――な、なんだ!? なんでこうなったっ!?)
訳の分からない状況に固まる新。
何度もこんな相談に乗ってきたが、こんな事は初めてだった。 それが大人しくて奥手で、女子の影を感じさせない新にどこか安心していたみやびの、危機感と嫉妬からの行動だとは思いもよらない少年。
「お、お前が変なことしてるぞ? シャ、シャチが――」
「シャチくんは、今お昼寝……」
二人に挟まれた形になった監視役は、どうやら休憩中らしい。
(だから……それはお前のさじ加減だろ……!)
固まって動けないまま、みやびの気が済むまで嬉しいような困るような、どうしていいかわからない時間が続いた。
それが終わると彼女は立ち上がり、部屋を出る時にまだ座って惚けた顔の新を見て、
「私じゃなかったら、監視役が噛みついてるからねっ!」
ほんのりと頬を染めたみやびは、男を殺す笑顔を作り部屋から出て行った。
その残像を宙に見ながら、肩に残った香りに頭をやられた少年は思いに耽る。
(……なん、だったんだ……)
揶揄われただけだろうが、それにしても今日のみやびはおかしい。
あの生徒会長とは何もない、それは新には当然言われていたが、そうは言ってもお似合いには違いない。 いつか二人が付き合うようになるとさえ予想していた。 少なくとも、自分はただの相談相手の幼馴染。 そう思っていたし、それで良かった。
(いや……変な気を起こすのはやめよう。 俺は今のままでいいし、みやびだって……そ、それに俺とじゃお互い周りになんて言われるか……)
自分に気持ちがある訳じゃない、頼りにされているだけだ。 それに万が一どうにかなっても、周りからなにを言われるか考えると恐ろしくて仕方ない。
それに―――
「あんなフラれ方したら………俺、一生残りそうだし………」
家も隣、思い出も多ければ家族同士の付き合いもある。 どう考えてもリスキーで釣り合わないみやびに、新は元々その気の無かった恋の舞台から降りる。
「蜃気楼………だったことにしよう」
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