(4)

「『夢告げの巫女』?」

「はい」


 始まりはわたしが四歳になったばかりのころのこと。父王――やはり父親は王様だった――の暗殺を予見するような発言を繰り返しした結果、わたしは古文書に残る「夢告げの巫女」ではないかということになったらしい。


 当時騎士に叙任されたばかりだったエヴラールも、直接聞いたことがあるそうだ。記憶にはないが、アンジュはどうやら杏樹の意識が目覚める前にエヴラールと出会っていたらしい。


 まだ自由だったころのアンジュを知っているのなら、なおさら現状は不憫に映るだろうなと、関係のないことを考えているあいだにもエヴラールの説明は続く。


 娘が「夢告げの巫女」と知った父王は、その予知夢の内容が漏れ出ることを恐れ、この石塔に幽閉するに至った。


 そしてメイドをひとりあてがい、予知を聞き出す「夢聞きの騎士」を親衛隊から選んで遣わせていたとのことである。


 しかし件のアンジュ暗殺計画が露見したため、今までのようにローテーションを組むのではなく、信頼に値する騎士ひとりを選任にすることにした。それがエヴラールであるらしい。


「エヴラールはお父様から信頼されているのね」


 エヴラールはさすがに直接そういうことを言ったわけではないが、話の流れからしてそうであることは容易に想像がつく。


 アンジュにそう言われて、エヴラールは「父が陛下の学友だったからでしょう」と控えめながらもその信頼を認めた。


 たしかにこういうことにエヴラールは適任かもしれない。いささかお人好しが過ぎるところがあるものの、それは翻って王に対してもそうに違いないわけで、であれば裏切りからは程遠いのではないかと思われる。


 彼の心には善人の根が張っている。父王はきっとそれを見抜いて「夢聞きの騎士」とやらに選んだに違いない。


「――ですから、殿下は決して役立たずなどではないのです。貴女様の予知のお陰で、お父上である陛下は何度お命を救われたか」


「きっと陛下も感謝していらっしゃいます」という続くエヴラールの言葉は、わたしにはむなしく聞こえた。


 それならもう少し良い生活をしていてもいいと思うんだけどなー。


 けれどもアンジュはそんなことを言うような姫じゃない。アンジュは心優しくって、なにも知らない、カラッポなお姫様だから。


「ありがとうエヴラール」


 だからそう言ってやって、にっこりと無垢な笑みを浮かべてやるだけだ。


「夢告げの巫女」の件は恐らく、本来は言ってはいけない事柄であるに違いない。けれどもエヴラールは「それ」を口にした。


 あまりにアンジュが不憫だったから? それともアンジュに心を許してきてくれていることの表れ?


 それをたしかめる手段は案外とすぐ巡って来た。


「殿下の言う通り、首謀者たちは無事捕まりましたよ」


 アンジュを安心させるような優しい笑みを浮かべてエヴラールはそう言った。


 予知夢の通りであればアンジュの暗殺を計画した彼らは処刑されているはずだが、まあお優しいエヴラールがそんなことをか弱い姫に言うはずもないか。


 わたしも、エヴラールには彼らが首を落とされる瞬間まで夢で見たとは伝えていないのだし、おあいこである。


「そう……よかった」


 ほっと安堵のため息をつくのは、芝居半分本心半分。


 無軌道な生活を送っていた過去はあるものの、さすがに積極的に死にたいと思ったことはなかった。それに、痛いのはいやだし。


 今回はまたメイドが加担していた……というかアンジュをこっそり殺そうと思ったら、通いのメイドを抱き込むのが手っ取り早いのだから、これは致し方ない。


 今度も脅迫ではなく金で買収されたことを考えると、通いのメイドさんのお給料は上げてやった方がいいんじゃないかとは思うけどね。


 ここが人里からどれだけ離れてるのかは知らないけど、エヴラールが毎度馬で来ることを考えると結構遠そうではある。


 周りに人家がないんだから賊にでも襲わせればいいのにと思うけど、それは夢の中でもわかりやすいからやらないのかな?


 まあアンジュの暗殺計画事情なんてどうでもいいけど。


 それよりもメイドが加担していたということは、わたしにとってまた「テスト」のチャンスが巡って来たことを意味していた。


「エヴラール……」

「はい、殿下。どうかなさいましたか?」

「ドロテはわたしが嫌いになったから、わたしを殺そうとしたのかな……?」

「殿下……!」


 ひざまずいたままのエヴラールと視線が合ったが、わたしはすぐにそらした。そうしてうつむきがちに頭を下げて、彼から表情を隠すようにする。


 ドロテはわたしより多少年嵩のまだ少女と言えるようなメイドだった。もちろんエヴラールのような親しみやすさもなく、どちらかというとアンジュを蔑んでいたように思う。


 まあ、世間の荒波を、雫すら知らずにぬくぬくと生きているんだから、そういう目で見られるのは仕方ない。


 エヴラールによると、メイドたちは当たり前だがどういう事情でアンジュが幽閉されているのかは知らないそうだ。


 なら、なおさらなにかやらかして閉じ込められてるんだろうと思うのは、当然の流れである。


 けれどまあ、「こいつは死んでもいいや」と思われるのはちょっと嫌だなというのが、わたしの本心だった。


「あの女中は金に目がくらみ、恐れ多くも殿下に害をなそうとした逆賊でございます。殿下がお心を痛める必要はありませぬ」

「エヴラール……」


 わたしは顔を上げてエヴラールを見た。エヴラールは礼儀として自分の内にある感情を抑えながらも、わたしへの好意を出来るだけ伝えようとしているように見えた。


 それがうれしくて、わたしはにやけそうになる。


「でもね、エヴラール。わたしは色んな人に嫌われても……仕方ないと思うの」

「なぜそのようなことをおっしゃられるのですか……!」

「だってわたし、とっても性格が悪いと思うから」


 エヴラールは切れ長の目を見開いてわたしを見た。わたしは困ったような笑みを浮かべ、出来るだけ儚く見えるような微笑みを作る。まるでアンジュが本気でそう思っているように、そういるように見えるよう、愛らしい顔に悲しい色を作ってやる。


 エヴラールの眉間にしわが寄った。それは怒りからではないことは明らかだ。


「だから、だからドロテは――」

「――殿下!」


 次に目を見開くのは、わたしの番だった。え? と思った瞬間には、エヴラールに抱きしめられていた。


 頬に彼の鍛え上げられた胸筋が当たり、たくましい腕がわたしの体を囲う。塔に入る前にいつも汚れは払っているはずだが、彼の体からはかすかに砂埃のにおいと、不快ではない汗のにおいがした。


「殿下、殿下、そのようなことはおっしゃらないでくだされ。エヴラールは悲しゅうございます……」


 どくどくという心臓の鼓動が聞こえてきたが、それがエヴラールのものなのか、アンジュのものなのかはわからなかった。


 けれど、わたしはたしかに胸を高鳴らせていた。エヴラールの全身から感じられる、わたしの慈しむ感情が、わたしの心臓に早鐘を打たせる。


「エヴラールは殿下ほどお心の優しい方は知りませぬ。ですから、どうか、そのようなことはおっしゃられますな」

「エヴラール……」


 体温は、エヴラールのほうがずっと高いように感じた。けれども今だけは、わたしの顔のほうがずっと熱いに違いない。


「ううん、優しいのはエヴラールのほうだよ」


 それは本当に、そう思う。


 優しい優しいエヴラール。不憫なお姫様を見過ごせないエヴラール。……そう思い込んでいる、馬鹿なエヴラール。


 そう思った瞬間、わたしは少し泣きそうになった。


「エヴラール」

「殿下……」

「……あったかい」


 わたしがそう言うやいなや、エヴラールはものすごい勢いでアンジュから離れる。呆気に取られるとはこのことで、わたしは思わずエヴラールの顔をまじまじと見た。


 けれどもそうしていられた時間も長くはなく、エヴラールは石造りの床に両膝をつくや、次に両の手のひらと額をこすりつけるようにして平伏――というか、土下座した。


「申し訳ございません! 殿下にかように無礼な真似を!」


 思わず戸惑ってしまったのは仕方のないことである。だって先ほどまで、あんなにやわらかな空気をまとわせていたのに。だというのに次の瞬間には土下座だ。余韻もなにもあったものではない。


 けれど、エヴラールのそういうところは、いやじゃない。


「顔を上げて? エヴラール」


 エヴラールの青緑色の瞳には、怯えが見えた。その怯えは、アンジュに嫌われることへの感情だろうか。そうだといいんだけれど。


「謝らないで、エヴラール。エヴラールの言葉は、とてもうれしかったから」

「殿下……しかし」

「ありがとう、エヴラール。……エヴラールがいてくれてよかった。わたしにはエヴラールしかいないけれど……でも、それがあなたでよかった」


 その気持ちは嘘じゃないよ。


「殿下……!」


 感極まった様子のエヴラールを見ながら、アンジュという仮面の下でわたしはそうつぶやいた。

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