ひんやり屋
平中なごん
一 キャッチコピー
世界を覆うかの如く蝉の声が鼓膜にへばりつき、息苦しいまでの陽炎がゆらゆらと立ち上る真夏の昼下がり、私はこじんまりとした一軒の店の前に立っていた。
いわゆる〝看板建築〟という昭和に流行ったスタイルなのだろう。建物の正面だけがまるで仮面のようにモルタルでちゃんとした洋館っぽく造られているが、裏に回れば木造の一般的な民家様になっているレトロなものだ。
もっとも、レトロといえば聞こえが良いが、昭和に建てられたものだけあって、あちこちヒビが入ったり変色したりしていて、ずいぶんと古びたオンボロ店舗と表現できなくもない。
一見、昔ながらの喫茶店のような、あるいは古き良き時代の映画館のような印象を受ける店である。
そんな店構えを見上げ、こうしてただ立っているだけでも汗が頬を伝って熱せられたアスファルトの上へと零れ落ち、すぐさま蒸発して熱気の中へ消え去ってゆく。
それでも、青緑がかった寒色系のモルタルの壁と、店の入り口の上にかかる看板の文字を見ていると、幾分、周囲の温度が下がったかのような錯覚を覚える。
〝ひんやり屋〟――木製の看板には、そんな手書きの筆文字が無造作に躍っていた。
昨今の猛暑などお構いなく。いつものように営業で外回りをしていた私は、大通りから外れた裏道でこの店を見つけたのだ。
ひんやり屋……いったいなんの店だろうと入口のガラス窓に貼られた説明書きを覗うと、
「当店はお客様に最高のひんやりをお届けいたします」
とだけ、短く書かれている。
この猛暑の中にあって、なんと蠱惑的な文言なのであろう……なんだかよくわからないが、このまま炎天下に突っ立っているよりは
私は藁をもすがる思いで、未知なる涼を求めてその店のドアを開けた。
と同時に、弱々しくも冷房を効かせているらしく、若干の冷気が中から漏れ出してくる。それだけでも屋外の暑さからすれば何倍も快適だ。
「いらっしゃいませ。一名様でございますか?」
ドアを潜ると、そこはやはり映画館の券売所のような、あるいは怪しげなオトナのお店のフロントのような感じだった。
スクラッチタイル張りのロビーはいたって狭く、声をかけてきた黒いスーツ姿の紳士が立つ小さな受付台の少し先には、厚いビロード地でできたワインレッドの幕が厳重に垂れ下がっている。
どうやらそこから店の奥へ入っていくようなのであるが、当然、垂れ幕に遮られてまったく向う側はうかがい知れない。
「あ、あのう、〝ひんやり〟をお届けというのは……」
「はい。当店では極上の〝ひんやり〟を皆さまに提供させていただいております。けして損はさせません。初めての方には30分1000円のコースがおススメですが、如何なさいますか?」
ますます得体の知れぬ店のサービスに恐る恐る私が尋ねると、受付の紳士もこちらが
30分1000円か……まあ、胡散臭い見世物小屋並みにインチキで騙されたのだとしても、それくらいの損ならば話のタネにもなるしいいか。
「じゃ、じゃあ、それでお願いします」
「はい。かしこまりました。1000円ちょうどお預かりいたします。それでは、当店のサービスを楽しんでいただくには幾つかの準備がございます。まずは靴と靴下をお脱ぎください」
如何なる店なのかもよく理解もせぬままお代を差し出すと、紳士はそう言って、受付台とは反対側――私の背後にあった下駄箱を手で指し示す。
土足厳禁ならば靴を脱ぐのはわかるが、なぜ靴下まで脱ぐ必要があるのだろう? 足湯の逆に冷たい水の入ったバケツにでも浸してくれるのか?
「あ、はあ……」
ますます訳がわからないながらも私は素直にその指示に従い、蒸れて気持ちの悪い靴と靴下を急いで脱ぎ去ると、ガラ空きの下駄箱の一番隅に入れた。
他に靴はまったくないので、今現在、私以外にお客は誰もいないということなのだろう。
「では次に、このアイマスクをおつけください」
裸足になって再び受付台の方を振り返ると、紳士は目隠しを手渡し、今度はそれで視界を完全に遮るよう言ってくる。
いたってどこにでもあるタイプの黒いアイマスクだが、これはますますもって怪しくなってきた。
もしかして、お化け屋敷のようなホラー系の〝ひんやり〟なのか? それとも、ボッタクリどころか裸足で目隠しをした逃げも隠れもできぬ無防備な状態で、暴力に任せて金品を巻き上げる犯罪者の巣窟なのか……そう考えるとそれだけでちょっと背筋が冷たくなるが、ま、ここまできたらなるようになれだ。
長時間炎天下に晒されていたので、暑さで脳がオーバーヒートし、頭もよく回らなくなっている。
私は言われるがままに、アイマスクをしっかりと装着して暗闇の世界に足を踏み入れた。
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