(5)
目が覚めて和葉は己が死にぞこなったことを知った。そしてなぜか手当てをしてくれた老婆の前で、キリアンにものすごく怒られたのだった。
なぜ、彼がこんなにも怒っているのか和葉には理解できなかった。言葉が通じないのだから当り前である。しかしそれでも推測することくらいはできる。自殺を推奨する種族ではないのであれば、キリアンはきっと和葉が死のうとしたことに対して怒りをあらわにしているのであろう。
だがそれは余計なお世話であった。和葉の命は和葉のものである。それをどうするかは和葉次第なのだ。だから和葉はいつもの情緒に薄そうな顔をしてぼうっとキリアンの言葉を聞き流していた。
キリアンは怒っても無駄だと悟ったのか、今度は布を敷いた木の板に体を横たえているカズハの手を取り、その目をじっと見つめる。なにかを諭すような風になにかを言っているが、和葉はこれも無視した。
しかしそれでも罪悪感はある。きっとこんな風に反応するからにはキリアンは心配していたのだろう。そうさせてしまった自分のなんと不甲斐ないことか。
やはり生きていても迷惑をかけるだけだと和葉はその考えを強める。
しかし自殺しようとしたことに対する罪悪感はつのるばかりだった。
キリアンが木のうろから出て外になにか声をかけると、どっと喜んでいるらしき声が上がったのである。その上、この日からひっきりなしに人が訪れては和葉に色んなものを置いて行くのである。それは花であったり食べ物であったり、和葉の母親と同じ年ごろの女性は、彼女に荒い目の布でできたワンピースをくれた。
和葉はひねくれた心で自殺しないように監視しているのだろうと感じていた。それでも残されていた良心の呵責に和葉は悩まされる。
そして少しだけ思ってしまうのだ。
ここならば「新しい自分」として生きていけるのではないのかと。
厄介者の自分でも、ここにいる人々ならば受け入れてくれるのではないのかと。
しかしそれは淡い期待に違いない。和葉はそう己に言い聞かせた。
*
「ねえお兄ちゃん、今日カズハが洗濯場に来てね、洗濯物を干すのを手伝ってくれたんだよ」
日課の狩猟から帰って来たキリアンへ、アリラは嬉しそうに報告する。その言葉を聞いてキリアンは少なからず驚いた。
「足の怪我はもういいのか?」
「ちょっと引きずってるけど、もう血は出てないから歩いても平気だってエングル婆は言ってたよ」
「そうか……」
カズハがキリアンの集落にやって来て二週間が経とうとしていた。自殺を図ってからのカズハはふさぎ込み、身ぶり手ぶりにすらほとんど反応を返さなかった。それでもその瞳の奥ではなにかがめまぐるしく動いているように見えた。
カズハが目を覚ましたとき、思わずキリアンは彼女を怒鳴りつけてしまった。それでも彼女はどうってことない風でぼうっとその黒っぽい瞳にキリアンの姿を映すのみである。そこに魂があるようには見えなくて、キリアンはぞっとした。彼女の魂の半分はあの世へ行ってしまっているのではないかと、そう感じさせられたのだ。
そんなカズハがアリラの手伝いをしたと聞いて、どこかでキリアンはほっと安堵したのである。それを聞くだけで彼女の心はまだ死んでいないのだとそう思わされた。
その日からカズハは徐々に変わって行った。
アリラの家事を手伝うほか、枝拾いにも出かけるようになった。
「ねえキリアン。カズハってすっごく手先が器用なのよ」
様子が落ち着いたと見たのか、針を持たせて見れば当初はおぼつかない手つきだったものの、すぐに見事な刺繍の腕を見につける。そうやってできたものを見せられたとき、アリラの言葉がお世辞ではないことをキリアンは知った。布の世界で飛ぶ鳥は伸びやかで美しく、花は繊細な情緒を持ってして開いていたのである。
刺繍の名人と称えられた母にも劣らぬ実力に、キリアンは感心しきりだった。
それはほかの集落の住民たちも同じようで、ある娘などワンピースに刺繍を入れてもらうためにわざわざカズハのもとへやって来たと言うのだ。
カズハの見事な刺繍にはもちろん流しの商人たちも良い値をつけて行く。気の置けない友人たちは「いいやつを拾ったな」とキリアンをからかったものだ。
流しの商人が来たときに女衆はここらで奴隷商のうわさは聞かなかったかと問い質したそうだが、そのようなことは耳にしていないとの答えを得ていた。とすればカズハはどこから来たのだろうか。キリアンはそう疑問に思ったが表に出すことはなかった。
「カズハは天から落っこちて来たのかもしれないね」
などとアリラは無邪気に言う始末である。
そうやってゆっくりとカズハは言葉が通じないながらも集落に馴染んで行った。
カズハは働き者であった。炊事に洗濯に手芸にと一日中働いても疲れ知らずのようで、こと手芸に関してはそんなにも働かなくていいだろうにというほどカズハは売り物を作った。自分の作ったものが売れるのだと理解してから、それは顕著になった。その姿はどこか必死で、生き急いでいるように見えて、キリアンはまた不安になる。
そしてカズハの横顔から死の気配が消えていないことにもキリアンは気づいていた。
夕食を終え、かまどの火を消したあと、キリアンはカズハを呼んだ。
「カズハ、これをやる」
と言っても言葉は伝わっていないだろうが、身ぶりでなにがしたいかくらいはわかるだろう。キリアンは緊張のためにつっけんどんな態度のまま手を突き出した。そこには紐に通されたきらきらと輝く石が下がっている。
カズハはいつもの情緒を感じさせない目でキリアンを見たあと、おずおずといった様子で手を差し出した。キリアンはその手のひらにネックレスを落とすと、そこに手を重ねてカズハに握らせてやる。
「お前にやる」
握らせた手を指差し、次にカズハの胸に指先を向けた。カズハは少し目を丸くしてから自身を指差した。そんなカズハのしぐさにキリアンは頷く。
「……*****」
カズハがなんと言ったのかはわからなかったが、そのいつもは不健康そうな頬が色づいているのを見て、キリアンは嬉しく思うと同時に少し気恥ずかしくなった。
カズハは頭を深々と下げる。それはもはやカズハのくせといって良かった。カズハはなにかあるとこうして深く頭を下げるのである。それは謝罪であったり感謝であったりするのだろうが、いちいち大仰だとキリアンは思っていた。
「そんな風にしなくたっていいだろ」
気がつけばキリアンはそんなことをつぶやいていた。が、当り前だがカズハにはなんのことやらわからない。小首をかしげてキリアンを見つめるばかりである。
ネックレスはキリアンなりの気遣いである。この年頃ならばあれやこれやと着飾りたいだろうという思いと、無事に過ごしてくれるよう願いを込めたお守りという二つの意味を持っていた。そんな思いがこもっているとはカズハは知らないだろうが、それくらいでいいとキリアンは思う。
なにか、キリアンには想像もつかないものを抱えているカズハに、これ以上の重荷を背負わせたくなかったのだ。ただの善意であれども彼女にとっては重荷になりかねないだろうと注意してくれたのは、村の知恵袋のエングル婆である。
「あの子に今必要なのはゆっくりできる時間だよ」
エングル婆はカズハにどう接すればいいのかわからないというキリアンにそう言って聞かせた。
「キリアン、あの子を抱え込むつもりかい?」
「そういうつもりじゃないけど……でも放っておけない。アリラの恩人でもあるんだし」
「気持ちはわかるけどね、キリアン。あの子が抱えているものはわたしたちには想像もつかないものだろうよ。キリアン、その子といっしょにいようとするってことはね、それもいっしょに抱え込まなきゃならないってことだよ」
エングル婆にそう言われたとき、キリアンはなにも言い返せなかった。そしてその覚悟があるとも言えなかったのだ。
「キリアン、アンタが心優しい子に育ってくれて婆はうれしいよ。でもね、優しさのかけ方を間違えちゃいけないよ。……カズハは巡回の魔術師が来たら保護してもらえないか聞いてみよう」
巡回魔術師は方々を歩いてカズハのように奴隷商から逃げて来た人間や、孤児を保護しているとは彼らから聞いたことがあった。そうであればカズハのことも彼らは引き受けてくれるだろう。それでキリアンにできることはおしまいだ。
だというのに、キリアンはなぜか引っかかりを覚えた。そうやってカズハは本当に幸せになれるのか。また死のうとしたりしないか、心配だった。
どうしてそこまで考えるのかキリアンにはまだわからなかった。
カズハにお守りを渡した翌日、キリアンは集落の中心地で弓の弦を張るために悪戦苦闘していた。集落でも随一の名手と謳われるキリアンであったが、しかし獲物を射止めたり捌いたりするのは得意でも、弦を張るのだけは苦手だった。どうにも不器用な手つきが直らず、自分の道具だと言うのにおぼつかないのである。
それを見て周囲の者たちがやれやれといった視線を送るのももう決まりきったことで、しばらくすれば弦を新しく張り終えた男衆のだれかが手伝ってやるのが常であった。
しかし、今日は少しだけ違った。
「おいキリアン」
「なんだよ」
上手くできない自分の腕にいら立ちまじりに返せば、隣にいた友人がその肩を叩く。そこでようやく後ろを振り返ったキリアンは、突如として現れた人影に少しだけおどろいた。カズハがぼうっと突っ立っていたのである。
「カズハが来てるぞ」
「……カズハ? どうした?」
そう問えばカズハがじっとキリアンの手元を見ていることに気づく。
「これか? 新しい弦を張っているんだよ」
通じないとわかってはいてもそう話しかけずにはいられなかった。そこには恥ずかしさをまぎらわしたいという気持ちもあったのだ。
カズハはじっと見つめていたかと思えば、右手をぐっと前につきだした。
「『貸せ』って言ってるんじゃないのか?」
友人に言われた通り弓と弦を差し出せば、カズハはそれを受け取ってキリアンのそばに座り込んだ。するとおどろくことに少々ぎこちない手つきながらも、カズハは弓に弦を張って見せたのだ。
その姿を見ていた者たちからも感嘆の声が上がる。
「カズハはなにをさせても器用だな」
おどろいたのはキリアンも同様であった。狩猟などしたことがないような手をしているのに、見よう見まねでここまで綺麗に弦を張り直すことができるとは。同時にそれができない自分が少々不甲斐なくて、キリアンは落ち着かない気分になった。
こんなこともできない自分をカズハはどう思っているだろうかと考えてしまったのだ。
「お前、カズハを嫁にもらえばいいんじゃないか」
「馬鹿言うなよ」
「いやいや、刺繍の腕もいいしきっといい嫁さんになるだろうさ。ちょっと無愛想だけど」
無愛想は余計だ――と事実とはわかっていながらキリアンはそう思った。
たしかにカズハには表情というものがほとんどなく、感情の起伏にも乏しいようであった。が、それは長く観察していると無理に抑えているように見えてキリアンは違和を覚えるようになったのだ。まるで感情を抱くことが罰だとでも思っているような顔をするカズハを、やはりキリアンは理解できなかった。
それでもカズハは礼儀に欠いているわけではない。なにかあれば感謝のしるし――としてだろう――深々と頭を下げたし、言葉が通じないながらも集落に馴染んでなんとかやって来れている。言語の違う中で彼女はじゅうぶんがんばっているとキリアンは思っていた。
そしてそう思うたびに、キリアンはカズハの心のうちに巣食う汚泥をどうにかしてやりたいと思うようになっていた。
しかし、言葉が通じないのではどうしようもない。それは巡回魔術師に任せるしかなかったが、しかし彼が来るということはカズハとの別れを意味していた。
そしてその巡回の魔術師がやって来たのは、年に一度の祭りを控えた朝のことであった。
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