第31話 想い06

 昼休みに入り実行委員指定の会議室へ行くと、三年全クラスの委員が集まっている様子はなく、生徒会役員とまばらに生徒の姿があるだけだった。三年は昼と放課後とで、参加できるほうへ来てもらっているらしいのだが、昼はどうにも片寄って女子が多いのは気のせいか。


「やっぱりニッシーも捕らわれの身?」


 与えられた仕事を遂行するべく、机に向かい黙々と紙面にペンを走らせていると、ふいにぼそぼそとした小さな声が聞こえた。その声に視線を持ち上げて見れば、机の端から目だけを覗かせる黄色い頭があった。


「ほかに誰が捕らわれの身なんだ?」


 小さな問いかけに首を傾げると、ひらひらと手が振られる。


「俺、俺!」


「は? どこがだよ。相手がお前じゃ、捕まえてもすぐ飛び出して行きそうじゃないか」


「……わかってないなぁ」


 自身を指差し笑った彼のその仕草に、思わず苦笑いを浮かべたら口を曲げられた。けれどいつもの彼ならば、間違いなく捕まえたそばから、身軽な動きでするりと逃げて行きそうな雰囲気がある。


「それよりなんで隠れてるんだ神楽坂」


 机の端から見える、綺麗に染め上げてキラキラとした黄色い頭を僕がペンの後ろでつつくと、その頭がビクリと動いた。


「しー、寝てるライオンが目を覚ますから!」


 慌てて人差し指を口元に当てる神楽坂に僕は思わず首を傾ける。言っている意味がよくわからず、彼がちらちらと視線を向けている先へ顔を向けた。そこには部屋の隅へ移動させた机で、僕と同じように書類の束を片付けている峰岸の姿があった。


「ああ、ライオンね。確かに」


 窓から差し込む日差しに透け、峰岸の薄茶色の髪が綺麗な黄金色に見える。そして普段は下りている長い前髪がピンで留め上げられて、まるでそれがライオンのたてがみのように見えた。


「めんどくさがりなのに、ニッシーなんで顧問なんて引き受けちゃったんだ?」


「うーん、成り行きで」


 軽くそう返事をすれば、身を乗り出すように両腕を机の上に置き、神楽坂は顎をその腕に乗せた。


「ニッシーは相変わらず流されやすいね」


「そうか?」


 僕はそんな神楽坂に肩をすくめると、再びゆっくりとペンを動かす。流されやすいと言うか、致し方なくというのが正直なところなんだが、大人の言い訳をするのもなんなので神楽坂の言葉はさらりとスルーした。


「そう言うお前だって、流されやすいだろ。しっかり仕事しちゃって」


 普段はやんちゃなイメージが強い神楽坂だが、ここでの様子を見ると実にしっかり者で実行委員長の役割を十分過ぎるほどに果たしていた。馴染みやすい性格が幸いして周りからも慕われているので余計だろうか。


「ちっがうから、これには深い深い理由があるんだよ」


 ムッと口を尖らせた神楽坂にふぅんと相槌を打てば、彼はますます不機嫌そうな表情を浮かべる。そんな子供っぽい反応に僕はなぜかひどくホッとした。


「お前は子供らしくていいな」


「なんだよそれ、ニッシー俺のこと馬鹿にしてんの?」


 思わず口をついて出た言葉に、神楽坂は不服そうに口を尖らせた。


「褒めてんの」


 藤堂や峰岸を相手にしていると普通の高校生の基準がわからなくなる。あの二人は変に大人びていて、下手をするとこちらよりもずっと賢くて、太刀打ちできない感じがある。それに比べて神楽坂は実にシンプルで素直だ。これがまさに高校生という快活さがあってこちらも元気をもらえるような気がする。


「褒められてる気がしない」


 ふて腐れて眉間にしわを寄せる神楽坂。僕はそんな彼の顔を見て、思わず声を上げて笑ってしまった。するとその笑い声に神楽坂は、突然慌てふためき机の下に身を隠す。


「神楽坂?」


「ライオンが起きた」


 急に目の前から消えた神楽坂に首を傾げれば、いまにも消え入りそうな声が聞こえた。


「おいこらヒヨコ。邪魔するなら頭から丸飲みするぞ」


「えっ……ちょ、重!」


 ふいに耳元で声がしたかと思えば、途端にずしりと背中が重くなる。その重みに振り返れば、いつの間にか峰岸が僕の背におぶさるようにして寄りかかっていた。


「峰岸、重い」


「センセ、構うなら俺に構えばいいのに」


「いや、意味がわからない」


 峰岸の言葉に呆れ、思わず顔を左右に振ると、至極楽しそうに目を細められる。峰岸の悪戯の尺度がよくわからない。


「あ、そうだ、これさ。少し経費がかかり過ぎてないか」


「ん? どれ」


 机の端に寄せていた書面を峰岸の目先へ持ち上げれば、肩越しに峰岸の両腕が前に伸びて、それを掴む。しばらく書面を持ったままじっと動かなかった峰岸は、うーん、と小さく唸ったが、それを読み終えると大丈夫だと呟いた。


「食べ物はいいんだ。元々これがメインみたいなもんだし、創立祭は大人のお祭りだからこれくらい大したことない」


「そんなもんか?」


 なんだか数字の桁が一つ多い気がする。峰岸が大丈夫だと言うのだから問題ないのかもしれないけれど、やはり少し心配になる額だ。


「そんなもんだぜ。どうせ来るのは学校関係者や一部の父兄だからな」


 ひらりと書面を机に戻した峰岸は、いまだ首を捻る僕の肩に手を置き、体重をかけて背中にのしかかる。


「重い! 潰れる」


「センセが細過ぎなんだよ。見ろよこの手首、女子より細いだろ」


 むんずと人の手首を掴んでそれを自分の指で測るように親指と人差し指で輪を作る。すっぽりとそこに収まってしまうことにかなりショックを受けたが、体質的に骨が細いのは元より承知なので、峰岸を睨み上げるだけに留めた。それに峰岸の手が大きいだけだ。


「大体そう思う前に自分の大きさ考えろ!」


「うーん、細いけど、抱き心地は悪くない」


 軽い調子で笑う峰岸の頭を後ろ手で叩くが、離れるどころか逆に腕が首に巻きついた。


「ニッシー逃げて!」


「お前もそう言うならなんとかしろよ」


 いまだ机の下に身を隠している神楽坂は僕の言葉に、無理無理と大きく首を左右に振って後ろへ下がって行く。


「深い理由があるって言ったでしょ。藤堂が帰ってくるまで待って」


「……そういや藤堂は?」


 神楽坂の言葉に僕は首を傾げ峰岸を見上げた。


「職員室。用事が済んだら戻って来る」


「そうか」


 ここへ来てから藤堂の姿がないことは気になっていたが、戻って来るということは、最初はいたのか。


「それよりセンセ、飯は食わないのか?」


「あ、忘れてた」


 書類よりもさらに端へ寄せられた弁当を峰岸が指差す。その存在をすっかり忘れていた僕は、冷めた弁当を見下ろした。


「腹は減ってない? 無理して食わなくていいけど、一応これ今回使う料理の一部だから」


「いや、忘れてただけ」


「だからか」


 小さく独り言のように呟きながら、峰岸は僕の目の前にある書類を避け、代わりに弁当を引き寄せた。


「だからこんなに痩せてんだ」


「うるさいな。そこまで痩せてない」


 眉を寄せた僕に小さく笑い、峰岸は二人羽織りの如く背後から勝手に割り箸を割り、弁当の蓋を開ける。その行動に目を細めて見上げれば、いきなり口元に箸を近づけられた。


「センセ、あーん」


「じゃないだろ」


 箸を持っていないほうの腕を叩くと、峰岸はほんの少し口を尖らせる。


「お前ほんとに行動が読めない」


「そう?」


 ため息を吐く僕を尻目に、峰岸は箸先で摘んだから揚げを自分の口に放り込む。行動が読めないのはなにも考えていないからなのか。いや、峰岸に限ってなにも考えずに行動するタイプとは思えない。やはり峰岸はわかりにくい男だ。


「なにをしてるんだお前」


「ん、ああ、帰ってきたのか」


「え?」


 顔を上げた峰岸の視線を追えば、藤堂がゆっくりとこちらへ向かい歩いてくる。そしてその姿を見ただけで、僕は自分でもわかるくらい頬が緩んだ。けれど藤堂が入って来た途端、そわそわしだす周りの雰囲気に僕は眉をひそめた。

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