第21話 すれ違い06

 正直、自分でも不思議に思うほど、彼が傍にいないことが物足りないと感じる。


「そんなの知らないわよ」


 静かな室内にため息交じりの呆れた声が響く。準備室にやって来た片平に僕が開口一番聞いたのは、藤堂の行方だった。クラスも違って毎日監視しているわけでもないのだから、片平が知っているはずがないことは――。


「わかってるんだけどな」


 そう呟いてうな垂れた僕の頭に、バサリと紙の束が乗せられた。


「一日、二日会えなかったくらいで死にそうな顔をしないでよ」


「そんな顔はしてない」


 乗せられた束を頭から下ろし、目の前に立つその姿を見上げると、腕組みしながら片平はこちらを見下ろしている。ふいに視線が合えば、情けないと言わんばかりに盛大なため息が吐き出された。なぜこんなに呆れられ、馬鹿みたいに落ち込んでいるのかと言うと。結局あのあと、藤堂に会うことができなかったからだ。

 藤堂が着くよりも先に、生徒に声をかけられ急用だと職員室へ引き戻された。そして放課後に藤堂のクラスへ行こうと歩けば、他教科の先生に捕まり仕事を手伝わされた。そして一晩明けた今日も、いや今日は姿さえも見かけることなく放課後を迎えてしまった。やることなすこと空回りばかりで、ここまで会えないと意地でも会いたくなるものだ。


「まあ、へこむくらい意識したことは褒めてあげる」


「なんでそんなに上から目線なんだよ」


 片平の態度に思わず口を曲げる。すると肩をすくめ鼻で笑われた。

 相変わらず片平は可愛らしい顔立ちと反して、中身は真逆だ。人のことを探るのが得意で、人をからかうのもお手の物。でも嫌だ奴だなとは思わないのは、不思議なところだ。無邪気さが垣間見えるからだろうか。いや、時々こちらが戸惑い冷や汗をかくような、ひどく悪い表情を見せるけれど。


「西岡先生は先生としては尊敬できるけど、一個人としては……手のかかる子供みたい」


「お前なぁ」


「でも、そういうとこは可愛いけどね」


「……可愛くない」


 その単語はいつまで経っても言われ慣れない。むず痒さを感じて顔を歪めた僕に対し、片平は笑い堪えるように口元に手を当てて肩を震わす。


「帰り寄って見たら?」


「帰り?」


「今日も優哉バイトでしょ」


「ああ、そうか」


「受け身でいるばかりだとチャンスを逃がすわよ」


 気のない僕の返事に片平は小さく息をつく。彼女の言わんとしていることはわかるのだが、どうにも気が引ける。

 タイミングというものなのだろうか。どうやって藤堂に話しかけたらいいのか、どうやってこのあいだのことを切り出したらいいのか、わからなくて躊躇ってしまうのだ。いつまでもこんなことを考えていては時間ばかりが過ぎて行くのはわかっている。それなのに動き出すことができない。


「黙って待ってるのが嫌ならメールでも電話でもしてみればいいのに」


「うーん」


 片平の言葉に対しはっきりとしない返事で濁せば、突然指先で鼻を摘まれた。


「なっ、なにす」


 慌てて片平の手を振り払うと不機嫌そうに眉を寄せられる。


「なにを悩んでるわけ? 優哉のこと好きって自覚したんでしょ」


「いや、それは」


 突然の問いかけに肩が無意識に跳ね上がり、視線が左右に泳いでしまった。


「それは、なに?」


 口ごもってぶつぶつと、言い訳めいた言葉を口先で呟く僕に片平の顔が険しくなる。でもどうしても返す言葉が見つからなくて、うろたえたまま落ち着きなく両手を握り、気持ちを紛らわすように忙しなく指先を動かしてしまう。


「だから、その」


 本当に自覚があるわけじゃない。確かに明良に自分は藤堂が好きなんだと言われたけど、それが本当にそうなのかまだ自覚がない。数日会えなくて落ち着かない気持ちでいるのは、最近毎日のように顔を合わせていたから、なんとなく落ち着かないだけのような気もする。

 だから会えばわかるかもしれないと思って、会えないことに焦っているだけなのかもしれない。


「もう、はっきりしないな! 先生、いま一体いくつ?」


「う、三十二、だけど」


 片平の勢いに押されてなぜか小声になってしまう。なんだか子供の頃に廊下に立たされ怒られていた時のことを思い出す。いや、いまは椅子に座ってはいるが。


「それだけ生きててなんでわかんないの! 優哉のどこが嫌なの」


「別に嫌じゃ」


 急に間合いを詰め寄られて思わず逃げ腰になる。なぜここまで追いつめられているのかがわからない。なんだか人生の選択を迫られているような気分だ。でも確かに、この選択は自分の人生に大いに関係ある。答え次第では人生を大きく左右しかねない。


「自分の胸に手を当てて考えて見なさいよ」


「う、うーん」


 言われるままに考えてみるものの、その答えはそう簡単には見い出せない。


「はあ、歳を取ると頭で恋愛しちゃうってほんとなんだ」


 目を細め、片平は遠くを見るような視線で僕を見つめる。そんな哀れな目で見るな、なんだかいたたまれなくて、逃げ出したい気分になるではないか。


「誰かを好きになるのに時間って必要? 一目見ただけで好きになっちゃ駄目? 意識した瞬間、もう好きになっちゃうってないと思う?」


「なんで、片平はそんなに藤堂のことに一生懸命なんだ」


 真剣に問いただしてくる片平に思わず眉をひそめる。なんでそこまで一生懸命なのだろう。ふとした疑問――幼馴染みだから?

 不思議に思いじっと片平を見ていると、その表情が見る見るうちに呆れ返った険しいものになっていく。


「それ、気づいてない? 西岡先生はずっと私に嫉妬してるの。私が優哉と話してる時はいっつもそうやって嫌そうな顔をしてる」


「僕が?」


「そう、先生が」


 予想外の回答に僕は目を丸くしたまま硬直した。


 嫉妬?


 僕が、片平に?


 なぜ?

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