あざらしものがたり

ごまぬん。

EP1「海豹英雄伝説」

 ―――――ここは、私たちが住む地球から遠く離れた宇宙の彼方。


 第11銀河・アニマルバース。

 誰が名付けたのか、あらゆる種類の動物が心を持ち、知性を持ち、言葉を持つ世界。ふわふわ、もふもふの、何やらゆる~い摩訶不思議でメルヘンな宇宙。

 ライオンにゾウ、キリンやウサギ、他にはモグラとかナマケモノとか。果てはムシやサカナだって、アニマルバースではみんなが愉快で素敵なお友達。愛すべき隣人なのです。

 もちろん、たまにはトラブルもあるけれど。それでもこの銀河に住む彼らは、誰も友達を見捨てたりしません。困った時はお互い様、みんなで助け合って問題を解決!

 さて、今日はどんなことが起こるのかな?


 おや?

 広い海。浮かぶ氷。一面の銀世界の裏側に、豊かでたくましい生命の営みをたたえるこの星は………。

 アザラシたちが住んでいる、むせかえるほど平和な惑星「ごまのほし」だ!

 でも、アザラシはみんなとっても大人しくて優しい子ばかり。時々、お魚を食べ過ぎて怒られることもあるけれど、トラブルなんか滅多に起こさないはず。

 いったいどうしちゃったのかな?




 ――――――――――――――――――――――――――――――




 ―――ガレオルニス星系γ星「ジア・ウルテ」・第二衛星外縁軌道上




「奴らの様子は」


 小休憩を終え、ブリッジへと戻ってきたシロライ・クマルノフ少将が訊いた。

 彼の麾下には今や宙雷艇・駆逐艦を含む小型艦176,000隻、中型艦69,000隻、大型艦23,000隻を擁する、第11銀河全体の歴史の中でも類例を見ない大艦隊が集結している。

 理由は、その内訳を鑑みれば自ずと知れるだろう。中核となるクマルノフ提督直属のシロクマ連邦宇宙軍を中核として、それに次ぐ数を動員したのがシャチ共和国高高度空軍。彼ら2勢力のふねが全体の4割を占め、残る6割はライオン王国やウサギ民国など、第11銀河統括機構に属するほぼ全ての国家が戦力を供出している。

 そしてこのアニマルバース暦2024年において、シロクマとシャチが中心となってこれほどの連合艦隊を作り上げる必要に迫られる脅威など一つしかない。


「降伏勧告への回答はありません。原始的な文明しか持たないとはいえ、この包囲に気付かないほど連中も馬鹿じゃない。今頃、大慌てで迎撃の準備をしてるんでしょう」


「ふむ」


 司令官用シートに備え付けのモニターへ視線を落とし、シロライは頷く。

 事前にネズッミラントやスネーク連合王国と共同で構築したレーダー網にも大きな動きはない。まだ攻撃に移っていない以上、これを奇襲と呼んでいいかは議論の余地があるだろうが、アザラシたちの意表を突くことには成功したようだ。


「全く……タコアセアの先進技術は恐ろしいな。これほどの大艦隊を一挙に動かせるワープ航法なぞ、実際にこの目で見ていなければ世迷言だと切り捨てていたところだ」


「タコアセアだけじゃないですよ。ネズミ、ヘビのレーダーシステム、サルの工業技術、アリの労働力―――このアニマルバース全ての種族が可能にしたことです。もしかしたら…」


「あぁ。アニマルバースが本当の意味でひとつになる日は近いのやも知れん」


 ―――ただし、今日という日を無事に乗り切れれば、だが。



 アニマルバースは、惑星単位で統治された無数の都市国家群より成る「第11銀河統括機構」を共通の指導者として戴いている。

 種族、文化、生息環境、あらゆる面において多様を極めるアニマルバースの住民たちに対し、第11銀河統括機構が布く法は単純にして明快。即ち純粋なる自然の摂理、徹底した「弱肉強食」である。

 ひとたび被食者の氏族に生まれついた者は、甘んじて捕食者の糧とならねばならない。ひとたび捕食者の氏族に生まれついた者は、その死の間際に分解者らの贄と捧げられねばならない。アニマルバースの住民は、この世に生を受けたその瞬間から、最期は他者に貪られる運命が確定している。

 それが当然だった。それが常識のはずだった。それは揺るがぬ価値観であると同時に、確かに公共の利益に貢献していた。

 1頭のシャチが複数のアザラシによる暴行を受け殺害された、あの事件が起こるまでは。


 爾来、彼らアザラシは着々と勢力を増していった。

 唯一絶対なる弱肉強食の掟にただ一種のみ抗ううち、アザラシたちは異常な進化を遂げ、ついには他惑星への侵攻すら確認され始める。

 アニマルバース未曽有の危機に、第11銀河統括機構は最大レベルの非常事態宣言を発動。アザラシの脅威を前に、数多くの障害を乗り越え、ここに第11銀河連合艦隊が完成を見たのである。



 決断の時だ。もう後戻りはできない。

 シロライは通信手に耳打ちした。


「………ゴマ星統一政府に繋げ。始めるぞ」


 超光速跳躍用亜空間を抜けて最初の接触の後、既に47時間――実際には第11銀河の単位が用いられているのだが、ここでは読者の皆様の理解を重視して便宜上地球の単位に変換する――が経過していた。

 結果は無回答。尤もシロライとて、アザラシたちに交渉の用意があるとは思っていなかった。何せ彼らは、統括機構によらない各国家間独自の条約も、如何なる形の暗黙の了解も無視して他惑星への侵略を繰り返して来たのだから。

 元より知能の高い種族とは言えなかったものの、それを差し引いたとしても、アザラシは既に正気を失っている。元より対話の余地などない。


「ゴマ星統一政府に告ぐ。私はシロライ・クマルノフ提督だ。第11銀河統括機構を代表してこの通信を行っている………先の約定通り、47時間が経過した今、降伏勧告に対する返答を聞かせて貰いたい」


 回線はオープンだ。何の不調もない。

 そして、相変わらず返事もない。


「このまま返答なき場合、降伏勧告を受け入れたと見なし、あなたがたの領地を接収させていただくことになる。具体的には、このジア・ウルテは我々が占拠する」


 沈黙。

 今回の通信ではアニマルバース中のあらゆる言語へリアルタイム翻訳を行っており、その都合上シロライはたっぷり間を置いて話していた。こちらが対話を試みている隙に弾道ミサイルや衛星軌道砲を撃ち込んで来る可能性すら想定していたものの、レーダーにさえ何も映らない。不気味な静けさだった。


「……それでよい。あなたがたの賢明な選択に、敬意を表す―――」


「ジア・ウルテ地表上に高エネルギー反応!!」


 観測手の言葉を聞いた瞬間、シロライの背筋を何か冷たいものが駆け巡った。

 警告音が鳴り響き、艦は半ば自動的に戦闘態勢に移行する。ブリッジ全周を物理装甲とビームシールドが取り囲む。

 マイク端末を中空に放り投げたシロライは、戦闘機動への移行で出力配分が変化し重力制御がカットされた艦内で、浮遊する身体をシートに押し付けた。


「数は!? 速度は!」


「数は30……100…700…1,000……まだ増えます!! どれもシャチ軍の方向です!」


「我々とは反対側か。一方面のみを全力で突破し、逃走を図るつもりなのだろう。星を丸ごと捨てようとは、何たる決断力か」


「いや、そうでもないようです」


 副官のベアニコフ・ポーラビッチ中佐が冷静に言う。

 細められたシロライの目に映ったのは、レーダーサイト上を高速で疾走するひとつの光点だった。

 それは宇宙用広域レーダーの探知範囲においてはややゆっくりと、しかしシャチ軍側に展開しつつあるアザラシ軍とは比較にならないほどのスピードで、確かにこちら――第11銀河連合艦隊旗艦・シロクマ国宇宙軍ユグドラシル級2番艦「ホッキョク」――を目掛けて接近してくる。


「何だアレ。1でこの艦隊に? 正気じゃない」


「で、ですが……えっと、これを」


「はぁ!? 大型艦クラスの反物質炉並みのエネルギーだぁ!?」


 アザラシ勢力に与する者であること以外、完全に正体不明のエネルギー体。

 誰もが、その奇怪な反応に困惑を隠せずにいた。およそ戦争に必要な、あるいは対アザラシ戦闘に少しでも有用そうな全ての分野のプロフェッショナルが集められた「ホッキョク」のブリッジで。


「…まさか」


 ただ1人だけ、シロライだけが敵の正体に近付きつつあった。

 それは彼自身もほとんど信用せず、半ば以上忘れかけていた"噂"でしかなかったが―――。


「右翼前方、カメレオン艦隊が超望遠レンズにて敵の姿を捕捉。映像回ってきます」


 ―――アニマルバース初のアザラシの犠牲者にして、第11銀河で最初にアザラシ軍と交戦したシャチ軍には、こんな噂がある。

 通常のアザラシは、単体では大きな脅威とはならない。本能の赴くまま圧倒的物量ですべてを押し潰すことだけがアザラシの特長であり、故に充分な戦備と正しい戦術指揮さえ心がければ撃退は難しくない。


「速いな。やはり凡百の寡兵の動きではない……」


「司令」


「わかっている。宙間戦闘機部隊、出撃開始。全艦、砲門開け。あのアザラシに照準」


 ただし。

 例外は、


 母艦機能を有する艦から飛び立った宙間戦闘機部隊が、ただ1匹の小さな獣に向かって殺到する。

 惑星はおろか星系ひとつを塵に変えるだけの総火力を秘めた一斉射が、白い柔毛にこげを跡形も無く焼き尽くさんと迫る。


「やぁ」


 レーダーサイトを翔んでいた光点の動きが不自然に停止した。慣性の法則がまったく働いていないかのような、信じがたいほどに滑らかで正確な止まり方だった。

 カメレオン軍の望遠レンズは、"その"アザラシの姿を捉え続けている。卵状のでっぷりと肥えた胴体から、申し訳程度に飛び出た4枚のひれ。小さくつぶらな瞳と、桜色に染まった頬と、妙に目立つサイズの鼻を備える顔面は、かなり大胆にデフォルメされたぬいぐるみのようだった。

 アニマルバースの、物理法則と進化論に極めて不誠実な動物たちを基準としても、明らかに異様で不格好な"それ"。この生き物こそ、第11銀河を脅かす超進化生命体であり―――。


「最高の歓迎をありがとう」


 喋るアザラシに出会ったら、絶対に戦ってはいけない。


「そしてようこそ、ごまのほしへ」


 風が吹いた。


 そうとしか知覚できぬ強大で鮮烈なエネルギーの波が、ともすれば光速すら超えて宙域全体へと広がった。

 シロライは見る。連合艦隊に属するシロクマ、シャチ、ネズミ、ヘビ、タコ、サル、アリ、仔細な分類まで行うなら約125万種に及ぶその他の動物たちが、一斉に見た。

 ―――弾丸が止まっている。


「な………に」


 その1匹のアザラシに向けて放たれた火力のいずれもが、空間上に固定されている。

 12㎜機銃の徹甲弾が、大小様々なミサイルが、投射された宇宙魚雷が、電磁加速砲より超々音速で吐き出された劣化ウラン弾が、大陸の岩盤さえ溶融させる亜光速の重金属荷電粒子砲撃が、まるで時間を凍結されたかの如く、その場で堰き止められている。


「僕たちも―――」


 ぐるり。

 生態系の頂点に君臨する捕食者であるシロクマが本来感じないはずの恐怖を、シロライは味わっていた。

 時間が少しずつ雪解けを始め、弾丸たちは喉を鳴らすかのように震え始めた。さらにそれらは、視界の端に獲物の姿を認めた肉食獣の眼球めいて、連合艦隊の方へと向き直った。


「歓迎するよ。盛大にね」


 連合艦隊に参加した各艦はいずれも優れた攻撃力と優れた防御力を備えていたが、この度に限ってはそれほど矛盾することはなかった。旗艦「ホッキョク」を始めとする超アースガルズ級戦艦の幾つかに、アニマルバース最強の破壊兵器である重力子フレア空間破砕砲が搭載されていたからだ。

 無明暗黒の冷たい宇宙に、数多の爆炎が咲き誇る。鋭利に刳り貫かれた鋼が舞い飛び、極彩色の光が入り乱れる光景は大変に美しく、歓迎の催しとしては最高の演出であるように思われた。迎えるべき相手がその渦中に呑まれ、抵抗も虚しく千々に引き裂かれていることを除けば。


「……………なんと………い、う」


 趨勢は決した。


「なんという……ことだ」


 後に残るのは、一方的な蹂躙のみである。


「ごまー」


 おぞましい咆哮と共に、シロライの網膜を真っ白な輝きが灼いた。アザラシの掲げる掌、否、鰭の上には、反物質炉の臨界暴走もかくやといった巨大な火球が生み出されている。

 ……投擲。炸裂。天文学的なエネルギーが放出され、健全に利用されていれば第11銀河全体を300年は生かしたであろうと謳われるほどの資源リソースが投じられた大艦隊に穴を開けた。




 それは単騎にして星系を砕く大艦隊をも殲滅する、窮極最大の破壊力を持つ。

 それは遍く森羅万象を欺き嘲弄し改竄する、神秘にして絶対なる魔術を振るう。

 それは一体一体が宇宙を貪る終末の獣らの中に在って尚、隔絶した異才を誇る。

 広大無辺の三千大千世界にただ一匹、何人たりとも並ぶこと無き真の霊長である。


 怪物モンスター野獣ビースト


 あざらしのごま。




 ――――――――――――――――――――――――――――――




「もふもふ。こんなもんかな」


 連合艦隊をネギトロめいて鎧袖一触にしたアザラシ・ごまは、満足そうに呟いた。

 やがてもう一度辺りを見回し、生命の兆候が一切存在しないことを確認すると、次は虚空のある一点を睨みつける。


「―――そこか」


 否。見ていたのは断じて虚空などではない。

 ごまの視線の先にあったのは、タコアセア製の人工衛星だった。ワープ航法における中継地点のような役割を担っており、出発点と到達点を繋ぐ亜空間回廊ワームホールを安定化させる。

 尤も、宇宙戦艦の1隻や2隻程度であれば、亜空間対応の超光速戦闘機に同様の機能を持たせて"先導役"をやらせればいいだけの話だ。あれだけの大艦隊をワープ航法で送り込んで来たからこそ必要な設備だったと言える。

 そして―――。


「さすがだね。大きいぶん頑丈だ……これならまだ


 衛星内部に侵入したごまは、その奥に存在するであろうメイン・コントロール・ルームを目指す。

 都合の良いことに、衛星内部のセキュリティは大半が死んでいたし、乗組員も壁面や床に叩きつけられて絶命していた。


「進捗どうですか。ってもう聞こえてないか、にゃははー。それじゃポチっとな」


 ボタンの押下に伴い、弱々しい稼働音が鳴り始める。ごまは急いで船外に戻った。

 ―――来られる、ということは、帰れる、ということでもある。帰還のためか撤退のためか…どちらにせよ、空間と空間を繋げる関係上、ワープ衛星には到達点のみならず出発点のデータも登録されていなくてはならない。


「はーい、用意スタート。行くぞぉー」


 バチバチと紫電を散らしながら、宇宙の暗闇が

 実際のところ、どのような場所に繋がっているのかは予測がつかなかったが、ごまにとってはどうでもいいことだった。あのような艦隊を何の準備も無く集結させることは容易ではない。この先が連合艦隊の出立拠点か、少なくとも橋頭保になり得るエリアに続いているのは間違いなかった。


「…僕たちに手を出した報い、その身で受けさせてやるよ」


 あざらしは飛び跳ね、次元の狭間に消えた。

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