【片割れの天使に無礙な口づけを】《柊八束―過去編―》

メラミ

第1話 【愛と呼べない夜を越えたい】


 ―――三年前―――



初めて海鳴に出会った日に思った事だ。

そいつは俺の過ちを全て拭い去ってくれそうな、女神様のような、姿をしていた。

瞳は漆黒で、絵画に出てきそうなオリーブブラウンの天然パーマのショートヘア、バランスのとれた華奢な体。背丈は俺よりは低かった。ミネと同じくらいかちょっと低く見える。

俺は出会った初日に、海鳴に一目惚れをした。

無性に――心から人を好きなった。そんな気でいた。


 ここは、蔀が司秋に間借りしているアパートの一室である。四人は食卓を囲んでいた。

 八束のとなりには誰も座っていない。八束と向かい合うようにして、三人が腰を下ろしている。

「今日から世話になります、海鳴と言います! よろしくお願いします!」

 真ん中に座っていた青年が声を上げる。中学生ぐらいの容姿であった。

「……かいめい?」

「海が鳴くと書いて海鳴だ……」

 蔀は八束に彼の名前を丁寧に教えた。

「えーと……柊……八束君だっけ? 君と海鳴君が同居することを本日付で許可するから、ここに印鑑押して」

 潮崎が淡々と話を進める。

「ちょ、ちょっと……待ってください!」

「今更何怖じ気づいてんだ」

「兄貴……少しぐらいコイツと会話してから一緒に住むか考えさせてくれよ!」

「駄目だ。このアパート誰が貸してやってると思ってんだ。一人で優雅に暮らそうなんてこと、俺が許可しない」

「なッ……。俺だって高校卒業したし……ちゃんと自力で金稼ぐからァ――」

「そういう問題じゃない。お前は病気なんだ。そのなりじゃ勤まる所も勤まらない。すぐ問題起こして辞めるに決まってる。俺はお前の事を考えた上で、伯父さんの力借りて、こういうことしてやってんだ。俺じゃなくて、伯父さんに感謝しろよな……それに――!?」

「――あの……俺、わかってるから。俺、この人に寄り添って、役目果たすから」

 海鳴が突然、蔀の発言を割って話し出した。

「役目を果たす? 何言ってんの?」

 八束は怪訝そうな顏をして言う。海鳴と目が合った。彼はあどけなげな表情を見せた。

 潮崎と蔀は黙っていた。彼は続けて――

「えっと……あんたがどんな闇を抱えてようが、俺が全部受け止めてやるって話だよ。ね、蔀さん?」

 八束に向かってそう話した後、隣に座る蔀へ呼び掛けた。

「……」

 蔀は目を瞑り、返事をしなかった。

「は? ……何だよそれ、どういう意味? ……てか――」

――コイツ……俺がどういう人間か知って――言ってんの?

――何様だよ。超上から目線に聞こえたんだけど、今の言葉。

「八束君……。後は自分で考えてみて。はい、印鑑ここ」

 潮崎が爽やかな顔をして言った。八束の言葉を促し、書類を指で指し示した。

「……」

――コイツはどこまで理解してんのかな……俺の事。

――兄貴、まさか俺の事何も知らせないでクローン連れて来たわけないよな。

――最低な事してきた俺の事を、コイツは受け入れるってのか?

 八束は黙って印鑑を押しながら、考え込んでいた。不穏な顔をしていると、蔀が静かに声をかける。

「お前はあれからちゃんと例の男と縁を切った。他の奴らとは切っても切れない縁もあるかもしれないが……あの事件は――あれは、俺も允桧も気がつけばお前らの連中の虜になっていたから、お互い様だ」

「はは……あんな事されて、よく平気な顔して『お互い様』って言えるよなぁ……。あん時、やっぱ理性ぶっ飛んでたんだろ?」

「俺は常に理性に基づいて行動している。淫蕩な空気に包まれていても、俺にはそれがお前らの何らかのメッセージだと思ったからな」

「メッセージだァ? いちいち理屈っぽいんだよ。俺は単にアイツを陥れたかっただけで、ついでだから他に恨んでる奴いねぇのかって話で、兄貴の名前を上げたんだよ」

 要するに八束は、色眼鏡で、彼自身の性的欲求を満たす為だけに、兄の犯される姿を興味本意で見たくなったという話だけであった。そんな単純な話を兄である蔀は、思いのほか受け入れ難かった。自分には全く考えられない感情が彼には存在するからだ。それを病的に扱っている。兄弟で共同生活をしていたのは短い間であった。その間、蔀は少しでも、弟が自分自身で心の中の扱き下ろしている感情を溜飲させるような真似だけは避けて来た。


「今も……俺を恨んでるのか? ……今も?」

 そう言った蔀の表情は僅かにきょとんとしていた。いつもの冷酷ながら、八束の淀んだ心を浄化する様であった。八束は、はっとして思わず息を呑む。

 そして、蔀から目を逸らし――

「わからねぇ……。……わっかんねぇよ」

 と呟いた。続けて――

「……てか何で高卒のタイミングで、そいつと……海鳴と一緒に暮らさなきゃなんねぇのよ……」

「今は空っぽのお前に会話相手を差し伸べたんだ。それだけだ……」

「あ?」

 いがんだ唸り声を上げ、蔀を睨む。そして――

「てめぇが俺と暮らせねーからコイツ連れてきたんだろがァ!」

 八束は思わず椅子から立ち上がり、両手で食卓机をバンと思い切り叩いて反論した。


――どいつもこいつもみんな勝手な奴ばかりだな糞野郎。

――母親に見捨てられ、親父の暴力から解放されたと思ったら、どういう経緯でミネと暮らし始めたんだっけか……。

――よく知らねぇまま……高一が終わる頃には、ミネに追い出されてついには――

――兄貴が俺を見放した…んだ 。


「違う。お前のメンタルケアが目的だ」

――こいつに嘘はつけないな。隠すつもりじゃないが、本音は八束の言う通りだ。


「は? メンタルケア? ……んなもん要らねぇよぉ……勘弁してくれよぉ」

 そう嘆きながら、全身の力が抜け落ちた様に椅子に再び座る。机に両肘をつき、両手で頭を抱え込んだ。


「八束君、印鑑貰ったから……海鳴君の事、面倒見てあげてね」

 潮崎の平坦な声を聞いた八束は、頭を抱えていた両手で髪をそのまま掻き上げ、ぎろりと背筋の伸びたその男を睨んだ。

 だが男はその瞳に動じることなく淡々と言葉を呟いた。

「まぁ……その逆でもあるだろうけどね」

「そうだな……」

 蔀はそう言うと、海鳴の肩に手を添えながら椅子から立ち上がる。

「――!待てよ!」

「まだ何か言いたいことあるのか?」

「……いや……なんつーか……その――」

――いざとなるとすぐに言葉が思いつかねぇ……。

――あー、むかつく。兄貴に何か言ってやりてぇのに……言葉が浮かんでこねぇ。

「最後に言っておくが……、海鳴の生活に意義を出すのは、お前自身だからな」

「意義? 堅苦しいなそれ」

――何? そういう言い方されっと、あれか? 海鳴を利用して……――。


「クローンがどういう存在か、お前も知ってるだろ? 今まであんな奴らとつるんでいたんだからな」

 蔀はリビングを出て行く。続けて――

「それでは、失礼します」

 潮崎が丁寧に挨拶をし、八束の側から離れていった。

 玄関のドアの閉まる音がした。 海鳴と二人きりになる。

 八束は彼の目をもう一度見つめた。

――コイツを利用して、俺の性的欲求をコントロールして良いって話だよな……。


「……」


   ***


「……」

「ねぇ……俺わかってるよ。クローンがどういう存在かさ……」

――一部の人間はクローンを差別する。

――再生された人間を目に見えない形で扱き使う――そういう人間も存在する。

 そして――

――それには、性的な関係も含まれる場合もあるという事。

――俺はここに来る前から、覚悟している。

――どんな形であれ、クローンと人間が共同生活するということは――。

――恋愛感情のない性的感情を作り出している。それと――

――クローンと人間が恋に落ちる事は稀だと、陵さんは言っていた。

「あ? 余計な事考えんじゃねぇよ……。ていうか俺のことまだ何も知らねぇだろ、お前」

「うん……あまり。あんたがトラウマ抱えている事だけは御兄さんから聞いたよ」

「どこまで聞いた?」

「父親に性的虐待を受けた事しか聞いてないよ…」

 それを聞いた八束は舌打ちをし――、

「……それが俺のトラウマだって言ってんだ、アイツ」

 椅子から立ち上がり、首筋に片手を宛てがい嘆いた。

「え?違うの?」

 海鳴も椅子から一度立ち上がる。台所まで歩き、ガラスコップに水を注ぎ、その場で一口飲んだ。

「いや……それもだけど、もっと深い所にあんだよ……俺がこういう人間に成り下がったのはよォ……」

「成り下がった……って、柊家に地位とかあるんだやっぱり」

「あ? 俺にはねぇけど……親父の兄がそもそもお前らの施設立ち上げたっていうし、あんじゃねぇの? 俺には関係ねぇな」

「蔀さん、組織の一員だしね。あんたみたいな弟がいたなんて、意外」

「てめぇ、その『あんた』って言うのやめてくんない?」

 八束は海鳴を睨んだ。海鳴は彼のその鋭い瞳に怖じ気づくことはなかった。

「あははっ……俺、他人呼ぶ時、そう言えって教わったから……あははは」

 海鳴は突如笑い出す。これから八束と共に生活を送る事になり、他人と交流する事に喜びを感じているのかもしれない。


 海鳴は孤独を自覚する事なく、生まれてきた。陵の飄々とした明るい性格を受け継ぎ、陵のクローンとして施設内では、特別扱いされていた。孤独というものがわからない。一人でいる事が当たり前であり、それが孤独であるという自覚がない。海鳴は、誰かの傍らにいる事で喜びや憂いを感じるという事、それが愛情であるという事をまだ理解していなかった。そして、冷めた施設内から解放され、人間と共同生活を待ち望んでいた所、陵に声をかけられ、蔀に紹介された。


「何笑ってんだよ……変な奴」

 そう呟くと、椅子に座り直す。

「なぁ……あんた、『高校時代』何があったんだよ」

 海鳴はそう言いながら、食卓の椅子に座っていた八束に近寄る。

「……お前には関係ねぇ」

 海鳴の顔をちらりと見るなり、細々と呟くと――

「そっか……そうだよなぁ」

 海鳴は即答した。あっけない一言に八束は――

「は?」

 と言って目を丸くした。

「は? じゃないよ……」

「だってお前今……聞こうとしたじゃん」

「やめた」

 そう言いながら八束の隣の椅子に座り込む。

「何で?」

 八束は海鳴を問い詰める。海鳴はその態度に答えるように、八束の顔をしっかり見て、真剣に話し出す。

「だって……辛い事って話せば全部楽になるとか言ってる奴いるけど……みんなが皆そうじゃないって俺、思ってるから」

「――……ッ!」

 八束は海鳴のその言葉を聞いて、生唾を飲み込んだ。

 ――何だよコイツ……。

 そして、隣の椅子に座っている海鳴の横顔を、女を見るような目でしばらく見つめる。

 ――いいこと言うじゃん。

「な、何?」

「……」

 八束は何も言わずに、海鳴の後頭部を片手で押さえると、そのまま自分の口許へ引き寄せる。そして――

「なぁ、キスしていい? いいよな?」

 と言った。

 海鳴は返事をする間もなく――

「え? ……ま――ッ!?」

 八束に口を塞がれてしまった。八束は海鳴に惚れてしまった。そして、海鳴と共に、心にぽっかり空いてしまった闇を、塞いでしまいたいと――虚しい感情をゆっくり溶かしていきたいと思った。


 唇と唇が一度離れる。海鳴は、呼吸を求め少し息が上がる。

「――ッな、っ俺男だぞ!?」

「俺、男専門。キモいとか思ってる?」

「い、い、いや、べ、べ、別に……ッ!」


 ――あぁ……これが陵さんが言ってた……――同性愛か。


 八束はその場で、男にしか性的感情がわかない深い理由は言わなかった。

 彼自身、男同士の性愛は伝染するものなのか、考えたことはない。感覚的なものでしかない。彼は同性愛者である。能動的になったというより、開発されてしまったと言った方が正しい。彼を初めて男同士の性的興奮に導いたのは、子供の頃に性的虐待を受けた事がきっかけであるかもしれない。しかし、彼を真のマゾヒズムに導き、相反する様にサディストに仕立て上げたのは、不良仲間の一人に女にされた過去があるからである。

 八束は氷峰に家を追い出された事をきっかけに、その相手とは縁を切った。氷峰に家を追い出されたあと、暫くその男の家に転がり込んでいた。だが例の男は「八束が氷峰を好いている事」に嫌気がさし、八束は彼のその気持ちを察するようになり、互いに冷めた関係になっていき――別れた。

 例の男とつるんでいた仲間の連絡先は、未だに抹消できずにいるが、肉体関係を持ったその男とはもう二度と会わないと心に誓った。不良仲間の一人――例の男の名は華木晄介。華木との関係を顧みるように、その行為を、海鳴に対してもやろうとする。

「なぁ今度は舌入れていい? いいだろ?」

「え?……んな……急に――ッ!」

 八束は再び海鳴の口を塞いだ。今度は唇を深く吸い上げる。八束の舌は海鳴の口腔へ侵入する。舌を絡ませてくる。

 唇同士が離れ――

「――ッはぁ……こんなこと……ッされても……ッはぁ」

 呼吸を求め息が上がる。海鳴はまだ八束の行為の訳が理解できなかった。

「だってお前……俺に寄り添うって言ったじゃん」

「それは『心に』って意味で、物理的な話じゃないよ!」

 海鳴の額には汗が滲み出ていた。

 ――出会って早々…覚悟はしてたけれど。

 ――俺、女の子の方に興味あるのになぁ…。

「……アハハハ!……何か笑えるっ……ハハ」

「何急に笑い出して…何がおかしいの?」

 八束は今までの自分を嘲笑った。と、同時に、海鳴を見つめ――

「お前可愛い……すっげぇ可愛く見えんだけど」

 低い声で、一言告げる。

「え? 可愛い? 俺が?」

「あぁ、何でかなァ……」

 八束は再び過去を回想する。今度は、中学時代から共同生活をしてきた氷峰との関係を顧みる。

 八束は、高校時代、男同士でも嫉妬深くなるようになる。

ある一人のクローンとの出逢いによって、氷峰との生活が息苦しくなってしまった。クローンの名は允桧。彼は氷峰と付き合っていた。八束は、允桧の態度に心を奪われた――と同時に、彼の魅惑的な容姿に、時折見せる純情を穢したい気持ちになっていった。八束は欲情が抑えられなくなり、允桧を陥れたいという感情が湧き出てしまったことがある。単純に、あの時八束は、允桧の美しさを妬み、氷峰を自分の方へ振り向かせたかった。

 八束にとって、氷峰は兄のような存在であった。だから甘えたかった。

 氷峰と別れ――本当の兄である蔀の家にすがるも――本日付でクローンと二人暮らしだ。

 寂しい思いと虚しい思いが錯綜していた。海鳴という名のクローンに出逢い、退屈していた気持ちがまた突き動かされる。

 今、この瞬間、性的欲求の対象が移り変わろうとしていた。

――コイツ……ミネとは大違いだ。本当に可愛い。天使みてぇだ……。

――俺は何で昔あんな奴抱き締めたんだろう……。

――今考えたらおかしくてしょうがねぇ。

――アイツのどこが好きだったんだろう……。ミネはどこか華木と似ていたのかもしれねぇ……。

――いや……ミネだってあの時は、俺を抱き締めてくれた――けど冷たかった。

――駄目だ。今はミネの事を考えちゃ……――。

 八束の表情が一瞬、凍りつく。海鳴はフラッシュバックした彼の固まった顏を見て、頭を拳で軽く小突いた。

「! ……って、何すんだよ」

 八束は反動でアイボリーのVネックを着ていた海鳴の胸ぐらを掴んでしまう。昔の喧嘩の癖が出てしまった。

「ははっ……苦し……っあんたの……暗い顔なんか見たくないんだよね……」

 海鳴は掴まれたまま、顎を引き、口元を歪めながらニヤニヤする。

 八束は諦めたように、掴んでいた腕を下ろす。そして――

「そうかよ……じゃあさァ――」

 椅子から立ち上がり、海鳴の手を引く。

「!」

 海鳴は力一杯引こうとするが、離せない。八束の方が力強かった。海鳴はこの後、彼が何をする気なのか悟った。

「あんた……ちょ、まだ……」

 ――え……。出会って早々……嘘だろ?

「ヤツカって呼べよ。俺も名前で呼んでやるから」

 八束は海鳴をそのまま部屋へ連れて行き、静かにゆっくりと、海鳴の体をベッドへ押し倒した。

「――っや……っ!やだ……!!」

 海鳴は抵抗する。両足をバタバタさせていたが、八束は海鳴のズボンを器用に剥ぎ取る。

「やだァ?……何……怖がることねぇよ。すぐよくしてやるからさァ……」

 八束は少々息を荒くしながら海鳴に優しく話しかける。彼はもう海鳴と性行為をすることしか頭にない。興奮していた。


 ――何考えてんだ、俺。

 ――相手が男なら誰でもいい――。

 ――そんな考えが俺を堕落させてきたってのに、また抱こうとしてる。

 ――止められねぇ……。最低だ。

 ――しかも頭のどっかでまだミネの事考えてる。もう同居やめて二年くらい経つのに。この気持ちなんか辛ぇわ。

 ――俺はミネが……好きだったんだ――けど。

 ――ミネは俺の事を特別好きでいてはくれなかったから。砂を握りしめるかの様な愛だったから。

「なァ……おい。……何だよその目はよォ……」

 そう言われた海鳴の瞳はどこか儚げであった。八束の胸元をぼんやりと見つめている。そして静かに口を開いた。

「八束……俺の事……なんで可愛いって思ったの?」

「あァ? 理由なんてわかんねェよ」

 ――だから今日から俺は――。

 ――海鳴と付き合う。付き合わされるって話なんだろ?なぁ…そうなんだろ…

「本当に? まぁいいや。俺知ってるよ。男同士ってさ……あそこで繋がるんだろ?」

 押し倒された海鳴は、抵抗するのを諦め、つんとした表情をして言い放つ。

 

 ――陵さんが施設で、色々な愛の形があると教えてくれた。そのひとつであるこれをあの人は気持ち悪がっていたけれど。


「ハァ……んなことやる前からさァ……確認すんなよ。可愛がってやるからさぁ……ハァ……覚悟しとけよ――」

 にやけながらそう言うと、興奮しながらも唸る様な声で、最後に「海鳴」と耳元で囁く。そして海鳴の口を塞いだ。

 海鳴は自分の初めての相手が男である事に、初めは抵抗を感じた。だが、八束が自分に性交渉をするのには、何かしら理由があると思い八束を受け入れる事にした。 


 ――もしかして、八束は本気で俺のことを好きになったのかな? 第一印象っていうのがあるらしいからな……。

 ――愛して欲しいから愛するんだろうか……まぁ今はまだどっちでもいいや。

 ――今の俺にはまだわからない。八束の過去を拭えれば、今の俺は施設に居た頃より幸せだ、きっと。そんな気がした。


 口を塞がれる一瞬、海鳴は、八束の目付きが変わったのを捉えた。細長い瞳の中に僅かながら、潤んだ艶やかな視線を感じた。そのまま目を閉じ、頭の中で、ある男の言葉を回想しながら彼の心に空いた暗闇へと落ちていく。


 ――ああ、男の癖に色気出しやがって……――。

 ――――……。


『アハハハっ……君も気になる年頃だよねぇ。男にも性感帯は存在する。嫌だねぇ……絶対異性に触れられる方が興奮するに決まっている。同性に触れられて感じるなんてのは嘘だよ? 同じ男同士で色目を使わないでもらいたいし……俺はそういうのに寒気がするからさぁ、きっと君も俺と同じだと……信じているよ』

『卑しい想像は誰でもするものさ。でも限度がある。俺は精神科医と生物学者の狭間を生きているが、セーブできずに肉欲に溺れてゆく者を救う方法を知らないよ。逆に遺精しか経験の無い童貞は論外。言っとくけどそんな奴も、俺は大嫌いだ。古臭い言い方かもしれないが子孫を残したがらない男も俺は嫌いなんだ……』

『そうそう、性行為というものは儀式だとある人が昔言っていたんだ……。いざ始まれば羞恥心なんてのは皆無だ。躊躇う必要は無い。初めの頃は相手にリードしてもらいなさい。君の役目は次第に勤まるから』

『男同士がどこで繋がるか知ってるかい?下劣だと思わないか?穢らわしい……つまりさ――』

『――つまり君は、これから会いに行く相手の性的欲求をコントロールする為の道具に過ぎないんだよ。それだけは念頭に置いといて……』

『同性愛は男女が結ばれる事よりも遥かに不埒なもだと俺は思うよ。君は受け入れるというのかい? ……俺の分身のくせに。残念だ』

 

 ――陵さんから聞いたいくつかの言葉と知識が脳裏に焼き付いている。けど――。  海鳴の体は八束の執拗な口付けで溶かされていく。初めての感覚に――


「あ……っ」

 

思わず甘い声が漏れる。心情とは裏腹に、肉体は快楽へと向かう。


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