帰省

普段シャワーで済ませている私であったが、3ヶ月ぶりに湯船に浸かった。血が巡っていくのを肌で感じながら、日本にはこのような至福の文化があったのだと思った。浴槽のへりに手をかけ、湯気の行方を目で追う。


このシャワールームは数年前にリフォームされたものであった。私が選んだデザイン、モノトーン調の落ち着いた空間である。そこに毎日バスソルトを入れるのが習慣な私の家族が今日は張られた湯を黄緑色に染めている。生命の色、黄緑。そんなちぐはぐなセンスが私の家族らしく、改めて家に帰ってきたことを実感する。


鏡に移る自分を見て、以前この鏡に映った時の自分の像と見比べる。どことなく顔つきが大人び、体つきも細くなった。浮き出た鎖骨を指先で丁寧になぞり、吐息を漏らした。この同じシャワールームで気力もなく、横たわったまま、上から落ちてくるシャワーの水滴を眺めていたこともあった。


指先は恋人のつけたキスマークに移る。あるときには被虐の痕跡、あるときには熱くたぎる血で焼け爛れたそれ、あるときには私を喰らう蜘蛛の巣のようにも見えた。今私の目の前に映ったそれは花に似ていた。薔薇のように、赤く棘を孕んだ花。


酷く落ち着いた心地で空を見上げる。あまりにも細い三日月が空に浮かんでいた。母との会話を思い出した。


「私の恋人って格好いいでしょう?」

「さあ、彼は目が細めよね(…ああ、でも背が高いから格好いいんじゃない?と続きます。母親のあげる好きなタイプは独特である。)」


私の恋人は確かに目を細めて笑う。昔から洗練してきた変顔を披露するときも細くなる。眠いところを無理矢理起こすと目を細めながら、答えてくれる。けれど、私を見ていることがいつも分かるから恋人の目は決して細くはない。それではきっと、母は知らないのだ。恋人の瞳に私がいつも映っていること、恋人の目は私の一番身近な大きな鏡であること。


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