あのチョコレートはどこ

宮下ほたる

第1話

「そういえばさぁ~」


 気だるそうに机に足を上げて浅く椅子に腰掛けながら、静が言った。何を、思い出したのだろうか。

 放課後の、午前中だけの授業で、まだ陽の高い二人きりの教室。荷物はちらほらと置かれているが、とりあえず今いるのは二人だけ。多少はお行儀が悪くても、まだいいか。

 花梨は、なに、と言葉を返す。


「そういえば、さ。一年のバレンタインにわたしのチョコレートがなくなったじゃん? あれってさぁ…誰が持っていったんだろう?」


 世紀の大問題だとでも言いたげに、静は椅子に深く座り直して腕を組んだ。姿勢がよくなったのはいいことだ。

 珍しく深刻そうな顔をしている。授業やテストでそうやって悩めばいいのに、と花梨は思った。


「海和が食べてたよ」


 ポツリと呟いてみた。聞こえるか聞こえないか、吐息と混ぜて小さく。聞こえなくてもいいよ。


「……海和、が?」


 それでもさすがは地獄耳を自称する静。教室の外は騒がしいというのに、しっかり聞きとめていたらしい。


「ちょっと花梨、その話、詳しく話しなさいよ」

「えぇ~……静に話してたら長くなるのに……」


 あんたってすぐに人の話を脱線さすんだから……。


「いいから、は・な・す! わたしの心にわだかまりを残したままこの学校を卒業させるつもりなの?」


 懇願しているはずなのに、なんであんたはそんなに上から目線なの?


「……別にあんたにわだかまりがいくら残ろうとも、私はちっとも痛くも痒くもないからどうでもいいんだけど」


 位置は花梨のほうが低いが、威圧感では静を見下している。


「そんなに教えてほしいんだったら、それなりの態度ってもんがあるんじゃないの?」


 ね? そこんとこどうなの?

 ちょっと、威圧的になったのはご愛敬。だって、ほら。


「……教えてください、花梨さ、ま……」


 絞り出すような声でうなだれる静。

 この悔しそうな表情の静を見れるのもあと少しかぁ~。

 くふふぅ…と、花梨は意地の悪い笑みを浮かべた。


「そこまで言うなら教えて差し上げましょう! 先にひとつ聞くけど、あれって本番のつもりだったの?」

「……そこは最後に教えて差し上げましょう……」

「放課後の教室に残っていたかわいいラッピングのあからさまなチョコレートらしき物体。それを見逃すはずがない、自称無類のチョコ好き海和。さてこの組合せの導く答えは?」

「…………」

「簡単よね……行き先は自然と海和ちゃんの中に」


 何も言えずに、サーっと青ざめていく静。


「でも、まぁ、もう時効ですって。楽しそうに話してくれたくらいだもん」


 だから私をそんなに睨みつけるのはやめなさいよ……。


「で?」

「……で、って何よ?」

「この花梨ちゃんが無類の親友の海和ちゃんの秘密ごとを暴露してまで、静ちゃんを気持ちよく卒業させてあげよう、って一肌脱いだのよ? あのラッピングされたものが本番用だったのかどうかを教えたくなってくるんじゃないの?」

「……あんたは秘密を守れる?」

「今秘密ばらしたばっかりのヤツに何聞いてんの?」

「これから先の話だよ、どうなの?」


 ここで拒否や否定したら話してくれないのかしら……。

 そんなもったいない事私にできる? いや、できるわけがないわ。

 花梨は恭しくひざまずいた。


「ここに“裏切り者の忠誠”を誓いましょう」


 裏切り者の忠誠ってなんだそれ。解釈の仕方は静に任せるわ。

 静がどう解釈してくれたのかわからないが、ポツリポツリと話し始めた。


「海和とトランプをした、その結果負けた、そして罰ゲームを科せられた」

「うん、それで?」


 静が海和に負けるなんて今に始まったことでもない。というか勝てる事のほうが少ないだろうし、海和も負けると分かりきっている勝負は持ち掛けない。


「その罰ゲームにチョコが関わってくるのよ、チョコが」

「なんで?」


 私あまり聡しくないんで、わかるように説明してください。


「ようはいたずらするように言われたの、きっと相手にもわたしにも酷であろう内容で」

「して、その内容とは?」

「告白」


 静は言い切った。

 ……告白、秘密にしていたことや心の中で思っていたことを、ありのまま打ち明けること。また、その言葉。

 キリスト教で、自己の信仰を公に表明すること。また、自己の罪を神の前で打ち明け、罪の許しを求めること――


「――そんなややこしく考えるな!」


 そういう静の言葉に花梨の思考は停止された。


「誰に? 静、好きな人なんていたの? そんなの私聞いたことないよ!」

「特定の相手なんていない。と、拒絶したところ、海和から条件が出た。“指が蒼い人”にあげること」


 それはまたアバウトな…。不特定多数じゃない? すぐに見つかるでしょう?


「ところがどっこい。これが簡単にはいかない。大体考えてもみて? 指が蒼、なんて奇特な人がこの学校にそうそういると思う? 男になんてまずいない」


 またしても静は言い切った。

 たしかに指先が蒼い、なんてのは異常だろう。ペンキでも塗りたくったのか? でも二月の季節になんて、体育祭や文化祭もないときにペンキなんて使いもいないだろう。


「それで、静はその相手を見つけられたの?」


 気になるところはそこだ。

 もし居たのなら、誰だったのかも気になるところだ。

 しかし、その答えは静とは別の口からされた。


「いたよねぇ~ちゃんとあたしが目の前に!」

「「!」」


 いつからいたのか、二人のすぐ横に海和がいた。

 降って湧いて出てきたように何食わぬ顔をして座っている。


「それなのに静ったらそれを認めないんだし。いつまで待ってもくれないんだもん。だから痺れ切らして勝手に食べちゃった♪」

「食べちゃった♪ じゃないわよ! おかげでわたしは散々探し回ったし花梨にあげそこねるししばらくブルーだったんだからね!」


 どうしてくれるのよこの無駄な労力!

 静はそう叫びながら海和の胸倉を掴みかかる。

 一方花梨はと言うと、思案に暮れていた。


 ……私にあげるつもりだった? チョコを? あの静が? 私に……告白を……?

 いやいやちょっと待って、私これでも立派な女の子よ? 静もあんな言動ばっかりで多少なりとも男の子っぽく見えなくもないけど、生物学上ではしっかり女の子だし。

 それが私に……告白?(※未遂です)

 何かの聞き間違いよね~。

 無意識のうちに花梨はポケットの中身を握りしめた。

 横で花梨が聞いているとは露ほども考えず、未だに海和の身体をガクガク揺さぶっている静。


「蒼いマニキュア塗ってた花梨に告白する気でカードまで作ってたのに! どっかのバカな男子にでも見つかったんじゃないかって、ものすごぉくびくびくしてたのよ! それなのにあんたが食べたってことは、ちゃっかりしっかりアレも読んでんのは海和だってことじゃない! 今日まで内心大笑いだったんでしょうどうせ!」

「いいじゃん~あたしだってちゃんと蒼いマニキュア塗ってたんだから~。対象内だよ~」

「よくな~い!」


 花のような笑顔の海和。それが静の逆鱗に触れるとも知らずに。


「……ちょっと」

「何よ! 今は海和をとっちめてるんだから花梨は黙っててよ!」

「……あら、そう」


 肩を叩いて呼びかけても取り付く島もない。

 それじゃぁ、このカードはどうしようかな……

 依然もみ合っている二人に背を向けて、ぼんやりと手の中のカードに目を落とす。




 海和が花梨にこれはナイショだよ? 時効だし、と話してくれたときに渡されてた一枚のカード。

 差出人の名前もないし、誰からかは教えてくれなかった。

 よくよく考えたら静からのものだとすぐに分かったはずだ。その話の流れで渡されたのだから。


「あたしが持ってても怒られちゃいそうだからね」


 ならなんで海和が持ってるのよ、と思わず突っ込みそうになった。


「あたしはチョコだけで満足だから、付属品な想いは花梨にちゃんと伝言してあげる。なんて優しいんだろ~!」


 自画自賛しながら舞い上がってそのまま姿を消した海和に、だからこれは誰からなのか、肝心のところが抜けているといい損ねた自分も割と抜けていると思った。

 結局、海和にはそのまま聞き損ねて今日まで来た。

 静の言う“心のわだかまり”は自分の中にもあったのだ。

 背後の喧騒を肩越しに聞きながら、自分もばかだよな~と呆れる。

 この三年間にどれだけ静のノートを見てきたと思う?

 いい加減に字で気が付くべきだった。

 ラブレターじみたカードの差出人を男子からだと思い込んでいたのがいけなかった。

 それでもやっぱり、まさか静からだとは思いもしなかっただろう。

 ……さて。

 やっぱりここは静に教えてあげたほうが親切なんだろうか?

 ちらり、と静を振り返る。

 もうチョコレート云々は関係ないであろう愚痴を海和に当たり散らしながら、腕だけはしっかりと海和の胸倉を揺さぶり続けている。

 花梨の視線に気が付いた海和は、アイコンタクトで助けて! と叫んでいる。

 ここらでひとつ、助け舟でも出してやるか。


「海和~。静の手作りチョコはおいしかったんでしょ~?」

「そ、それはもちろん! 伊達に洋菓子屋の娘じゃないね! パティシエ顔負けの超絶品!」

「さすが甘い家に住んでるだけあるわ……」

「……花梨、何が言いたいわけ?」


 怪訝そうに振り返る静。腕が止まった隙に海和は彼女と距離を置いた。


「いやぁ、ね? そんなにおいしいチョコならやっぱり私が食べたかったな~って話よ」


 ひらひらとカード振る。

 一瞬目を細めて、なんだろうと確認していた静だが、ハッと目を見張ると今日で何度目かの青い顔になった。


「なっ! …あ……そ…」

「あらあら海和ちゃん、静ちゃんがはっきりとしゃべってくれないんですけど、訳してもらえますか?」

「あれはですねぇ~『なんで! あんたがそれ持ってるのよ!』と、言っているんじゃないでしょうかねぇ~」

「だ、そうですが、静さん、いかがですかねぇ?」


 赤くなったり青くなったりしている静。


「……から…」


 小さな声で何かを呟いた。


「なに? 聞えないよ」


 ニマニマと笑いながら海和が聞き返す。


「許すから、海和が勝手にチョコ食べた事もぜんぶ許すからその過去はなかったことにして!」


 しばらく絶叫している静が居たとか居なかったとか。

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あのチョコレートはどこ 宮下ほたる @hotaru_miyashita

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