第五十九節:夜明けの呼び声

 

 大地が嘆き叫ぶ。

 カリュブディスとその魔剣を呑み込んだ火口から、ひと際大きい炎が上がった。

 まるで血を吐き出すかのように、二度三度と大きく噴き出す。

 それからまた大きな音を立て、火は急速に静まる。

 さながら嵐が通り過ぎた後のように。

 煮え滾っていた大地も冷えて固まり、再び死の山に静寂が訪れた。

 その不可思議な有様を、ガルやクロエ達は塔の上から見届ける。

 ――《死の大渦》は去り、魔の宴は終わったのだ。

 

 「……勝った、のよね」

 「あぁ」

 

 未だに信じ難いといった様子のクロエに、ガルは大きく頷く。

 勝った。あの伝説の魔王カリュブディスに。

 その魔剣と共に地の底へと沈み、また深き眠りへと消えていった。

 戦いに勝利した――というよりも、嵐を無事に乗り切った、という安堵の方が強い。

 

 「……ガル?」

 

 ふと、大金棒を支えにしながら、ガルがその場に座り込んだ。

 その片腕に抱かれたまま、クロエは心配そうに見上げる。

 表情の変化は分かり辛い。が、それでも見ていれば分かる事もあった。

 

 「やっぱり、辛かった?」

 「いや。……いや」

 

 問われて否定しようとしたガルだったが、言いかけたところで小さく首を横に振る。

 それからほんの少しだけ、疲れたように息を吐いて。

 

 「流石に、少しばかりしんどかったな。正直に言えば、無理はしていた」

 「……でしょうね」

 

 素直に弱音めいた言葉を口にしたガルに、クロエは微笑む。

 それから細い腕でガルの身体を軽く抱きしめて、自分もまたその傍らに腰を下ろした。

 本当に、大変な戦いだった。

 クロエもボロボロであるし、ガルが疲れるのも無理はない。

 

 「お二人さん、奇跡はご入用かい?」

 

 そんな風に、一時身体を休めるガルとクロエの方にルージュがやってくる。

 その後ろには、やはり疲労困憊といった様子のビッケとクウェルの姿もあった。

 

 「私はまだ大丈夫だから、ガルの方を治療してあげて」

 「む」

 「はいはい。平気そうな面してるけど、さっきの大量の腐れ肉相手で毒気いっぱい浴びてるんだろ?」

 

 ルージュは気付けに水袋の中の酒をぐいっと呷る。

 此方も大概疲れ果てているはずだが、そんな様子は少しも見せずに奇跡による治療を施し始めた。

 そんな中、クウェルは火の消えた塔の外を見て。

 

 「……本当に、終わったんだな」

 

 やや茫然とした様子で、小さくそう呟いた。

 ビッケもまた、外が見える辺りに腰を下ろして。

 

 「終わった、ウン。あのジジイ、散々エンジョイした挙句に笑いながらご退場とかなぁ」

 「ありゃまたいつか復活する気満々って感じだったねぇ」

 「仮にそうなったとしても、次はどのぐらい先の事かしらね……」

 

 高笑いだけを残して炎に消えたカリュブディス。

 その最後を思い返し、冒険者達は思わずため息を吐く。

 カリュブディスは不死不滅。

 故に「倒した」というよりも「何とか大人しくさせた」という形だ。

 それもあって、どうにも勝利の実感は薄い。

 けれど一人、ガルの考えは違うようで。

 

 「何にせよ、俺達は勝った。それが全てだろう」

 

 魔王を直接地の底へと落とした本人は、そう言って力強く頷く。

 

 「それが百年先か、二百年先か。それは俺にも分からんが。

  あの魔王がまた目覚めたとしても、また誰かがこれを討つだろう。俺達が今日勝利したように」

 

 魔王は地に消え、死者の夜明けは訪れない。

 ならば紛れもなく、この戦いは自分達の勝利であると。

 確信と共にガルは言った。

 

 「その未来における勝利者が、俺の子や孫であるならそれが一番だが。それもまた俺の勝利になる」

 「…………そうね!」

 

 冗談でなく大真面目にそんなことを口にするガルを、クロエは自分の細い尾でペシペシと叩く。

 そんな発言もいつもの事なので、ビッケもルージュも特に突っ込まない。

 

 「……百年先か、二百年先か。或いはもっと遠い未来か」

 

 塔から見える景色。視線は遠い山の向こうへ向けながら、クウェルが呟く。

 夜明けはまだ遠い。星の瞬きが、今はとても眩しく感じられる。

 それを未来の光のように思い、クウェルは自らの決意を言葉にした。

 

 「それは今は分からないが。私は改めて、魔王の目覚めに備える防人になろうと思う。

  未来で、再び現れた《死の大渦》を相手に戦う者達の為に」

 

 それこそ、かつて太祖が自ら望んで選んだ道。

 その血を継いだ者達は道を誤ったが、クウェルは自らの意思でその道を選択する。

 長命な古妖精にとっても、それは長く果てしない道だ。

 カリュブディスが永遠の魔王である以上、その役目もまた永遠に等しいかもしれない。

 自分がどこまで、その道を進めるかは分からないが――。

 

 「また重く考えてる?」

 「いや。だが軽く考えてもいないよ」

 

 ビッケの言葉に、クウェルは少しだけ苦笑しながら首を横に振った。

 重くはないが、軽くも無い。

 それは自分で考え、自分で決めた事だから。

 願わくば、後に続く者達にとって良き先達となれればいいが。

 

 「……それはこれから、要精進か」

 

 少なくとも今はまだ、自分は足りない事ばかりだ。

 魔王との戦いだって、結局大して役に立ったわけでもない。

 確かなのは、この戦いで得た経験はこれまで生きた全ての年月より価値があったという事。

 きっと、数百年先までこの事は忘れないだろう。

 

 「……ま、人生の目的が出来たんなら良かったよ」

 

 そう言って、ビッケは小さく肩を竦めた。

 そうしてぱっと立ち上がると、気分を変えるように軽く手を叩いて。

 

 「よし、そんじゃあお楽しみタイムと行きましょうか!」

 「お楽しみタイム……?」

 「お宝探しですよお宝探し。魔王の本拠地なんだから何か凄いのがあるって!」

 

 首を傾げたクロエに、ビッケはやや興奮気味に応じる。

 折角此処まで死にかけながら頑張ったのだから、お宝の十や二十は懐に入れなければ。

 これ以上なく意気込むビッケだったが……。

 

 「……む」

 「? どうかしたの、ガル」

 「いや、気のせいかもしれんが」

 

 顎の下を爪で掻きながら、ガルは軽く首を巡らせて。

 

 「少し、揺れていないか?」

 「……え?」

 

 そう言われてみれば、細かい振動を感じるかもしれない。

 最初は気のせいぐらいだったが、それもだんだんとハッキリ分かる程度に強まってくる。

 その事実に、ルージュは微妙に引き攣った笑みを浮かべて。

 

 「そういやこの塔、魔王サマがどーんとやって経てたんだっけ……?」

 「あ、あぁ、カリュブディスがその魔力を使って、一瞬の内に……」

 

 言いかけて、クウェルもその可能性に辿り着いてしまった。

 出来れば言葉にしたくないのだが、クロエがその事実を口にする。

 

 「……まさか、崩れ出してる?」

 

 正解だと告げるように、ひと際強い揺れが足元から突き上げて来た。

 メキメキと音を立て、床にはひび割れも走り始める。

 王を失った塔の崩壊は、もう間もなく。

 

 「お宝ー!?」

 「言ってる場合じゃないでしょ……! ほら、早くしないと!」

 「後で瓦礫を漁る手伝いぐらいはしてやるから、今は諦めろ」

 

 まだ見ぬ財宝に目が曇っているビッケを、ガルとクロエが抑えて引き摺る。

 ルージュも含めて全員集まったのを確認すると、クウェルは術式の為に意識を集中させて。

 

 「《浮遊》で全員空に持ち上げるが、この人数だ。危ないから大人しくしてくれ」

 「そういうわけだから、とりあえず諦めな」

 「ウゴゴゴ……!」

 

 最早選択の余地はなく、ビッケはガルに首根っこを掴まれた状態で力尽きた。

 そしてすぐにクウェルの術が発動し、全員の身体を魔力が包んで浮かび上がらせる。

 星空を背景にして、真っ黒い塔が崩れていく。

 まるで全ては、夜明け前に覚める悪い夢であったかのように。

 

 「チックショー! 腐れ魔王め絶対許さねェ……!」

 

 実際に悪夢を見せられたに等しいビッケの叫びだけが、夜の風に交って消える。

 それが、魔宴の幕が閉じる合図だった。

 

 夜明けが来る。死者の夜明けならぬ、生きる者達の為の夜明けが。

 

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