第五十六節:魔王との戦い(4)

 

 「オオォォッ!!」

 

 猛る戦意のままに、ガルは吼える。

 全身の筋肉を鋼に変えて、僅かにも止まる事無く大金棒を振るう。

 鉄剣を砕き、倍の体格を持つ岩人トロールすらも葬り去る一撃。

 けれどカリュブディスには届かない。

 

 『まったく見事な戦いぶりよな、蛮人!!』

 

 魔剣を、髑髏の錫杖を。

 まるで手足の延長のように巧みに操る。

 風を巻きこんで振るわれる大金棒を、魔王は鮮やかに受け流す。

 それは技巧だけではなく、時には力によって押し返す場面もあった。

 骨と皮だけの、枯れ枝の如き腕。

 其処に強化の魔術を乗せる事で、カリュブディスは巨人にも迫る腕力を発揮する。

 そうしてガルと正面から打ち合いを演じながら――。

 

 「ふっ……!」

 

 その身を風に変え、時に呪いと共に魔剣を操るクロエの攻撃も同時に捌く。

 ガルの巨躯を盾にして、死角を狙って剣撃を繰り出しているのだが。

 

 『考えが浅いな、娘』

 

 それは一度たりとて、魔王の自身には届かない。

 紙一重で身を躱され、或いは剣や錫杖によって防がれる。

 その攻防を、果たしてどれだけ繰り返したか。

 

 『この屍の身体が、まともなまなこでモノを見ていると思うか?』

 「……せめて老眼だったら良かったのに」

 

 苦し紛れを誤魔化すように口にした言葉は、カリュブディスは大層気に入ったようで。

 呵々と大いに笑いつつ、手にした魔剣の切っ先が大気を裂く。

 いや、裂いたのは大気ではない。

 まともな眼には見えず――けれど、確かにこの地に満ちている「何か」。

 漂う霊的残留思念が、《死人の支配者》の力で不死者アンデッドとして顕現を果たす。

 

 『※※※※※――!』

 

 肉を持たない、霊体だけの存在は身の毛もよだつ絶叫を響かせる。

 それは恐るべき死霊スペクター

 既に生前の自我はなく、ただ生者への怨念のままに生命力を吸い取る怪物だ。

 これを、魔剣の一振りだけで五体。

 発生した死霊どもは、即座にガルとクロエに向かって襲い掛かる。

 一体一体ならば然したる脅威ではないが、この状況では厄介極まりない。

 

 「この……!!」

 

 死霊は霊体である為、本来は物理的な攻撃手段は通じない。

 しかし魔剣は条理からは外れた、文字通り「魔」なる剣。

 即席で生み出された低級霊など、ただの一刀で紙切れも同然に蹴散らす。

 クロエに向かってきたのは二体。

 それを僅かな時間で葬り去るが、どうしても意識をそちらに割かれてしまった。

 この状況で、それは余りにも致命的な隙だ。

 次に襲い掛かるだろう脅威に、クロエは対応しようとする――が。

 

 「イアッ!!」

 

 ガルの勢いは、ほんの一瞬でも留まる事はない。

 魔王にこれ以上余計な事はさせまいと、大金棒を大上段から振り下ろす。

 確かまだ三体ほど死霊が残っていたはずで、実際にその死霊どもはガルに飛び掛かっている。

 飛び掛かってはいるのだが、ガルはそれを完全に無視した。

 いや、死霊の指は肉をすり抜け、その源たる生命力を啜るはずなのだが。

 そんなものは大した事でもないと、眼前の魔王にだけ集中する。

 氷のように凍てつく死霊からの接触も、熱い戦意の宿った筋肉には通じない。

 炎。或いは、それによって鍛えられた焼け付く黒鉄。

 術や呪いなどといった、小賢しい要素は其処にはない。

 ただ原始的な暴力だけが、命を賭けて魔王に向かって挑みかかる。

 

 『まったく、命知らずも此処までくれば確かに脅威よな……!』

 

 カリュブディスは愉快げに笑う。

 此方の攻撃にせよ、死霊による生命力の吸収にせよ。

 通じていないわけではない。むしろ確実に血肉は蝕まれている。

 その足は、既に膝の辺りまで「死」に沈みつつあると知りながら。

 尚も、恐れなど知らぬとばかりに挑むその姿。

 死を失い、その恐怖も久しく忘れたカリュブディスにとって、それは常に未知の脅威だった。

 終わりに落ちていく命だからこそ、最後の瞬間まで何をするか分からない。

 

 『……ふむ』

 

 そしてそれは、何もこの蜥蜴人に限った話ではない。

 後方、戦いからやや離れた場所にて機を伺う者。

 幸運神の女司祭に銀鎧姿の古妖精、そして大鞄を抱えた小人。

 魔王の脅威に心が折れ、ただその場に蹲っている――などと、カリュブディスは侮らない。

 そう、機を見ているのだろう。

 仮にこのまま戦い続けたなら、最終的に勝つのはカリュブディスだ。

 魔王自身も分かっているし、今直接刃を交える二者も同様。

 ならばこの状況、乾坤一擲の楔を打ち込むのは未だ動かぬ者達だろうと。

 予測し、カリュブディスは常に一定の注意をビッケ達の方へと向けていた。

 

 「(……完全に、此方には集中していないからこそ。何とか、今この時は『戦い』として成立してる)」

 

 視線で呪いを放ち、それを目くらましに魔剣を振るいながら、クロエは胸中で呟く。

 仮にカリュブディスがその気になったなら、ガルとクロエは一体どれだけ耐える事が出来るか。

 注意が分散しているからこそ、その攻撃は致命には届かず何とか防げている状態だ。

 仮初の均衡は、何処までも危うい。

 死の最前線で戦い続けるガルもまた、それは同じように感じていた。

 

 「オオオォォォ!!」

 

 咆哮。術や呪いなど一切扱えぬガルに出来る事は、ただ愚直に攻め立てる事だけ。

 放たれる攻撃は一つの例外も無く、枯れ枝に等しいカリュブディスの身体を吹き飛ばして余りある。

 だがその全て、魔王は弾き落としてしまう。

 ――正に、伝説と呼ばれるに相応しい難敵だ。

 恐怖はない。むしろそんな領域にある者と戦っている事実に、歓喜と高揚を抑えられない。

 大鬼の要塞で戦った赤き竜も、確かに恐るべき敵ではあったが。

 文字通り、この相手は次元が異なる。

 想像を絶する不可思議な魔術の数々も、自分やクロエを同時に相手どって尚余裕の見える剣腕も。

 凄まじい。魔王の肩書きは伊達ではないと、ガルは心の底から認める。

 なればこそ、この戦いで一歩たりとて退く事は出来ない。

 

 『ハハハッ、良いぞ! この魔王に挑むのなら、限界の一つや二つは容易く超えてみるがいい!』

 

 激しく突き刺さる、炎の如き戦意。

 暗く冷たく斬りつけてくる、氷の如き敵意。

 そして影のように狙いを定めている、注意深き視線。

 それらを一身に受け止めて、心地良いとばかりにカリュブディスは笑った。

 ――良き戦場だ、良き死地だ。

 だが、それだけではまだ足りない。

 英雄達が死力を尽くして挑み、けれどそれでは一歩届かなかった。

 その展開は飽きる程に何度も見ている。それ故の慢心で敗北したのは一度だけ。

 カリュブディスはこの戦いを楽しんではいても、戦う者達を侮ってはいない。

 如何なる策術で来るのか。

 そしてそれが何であれ、自らの全霊で粉砕せんと。

 死線の先に得られる疑問の答えは、勝利と敗北のどちらであるのか。

 どうあれ、望む場所には間もなく辿り着く。

 

 『――影よ』

 

 囁くような詠唱。ただの一言が力となり、呪いは生者を蝕む。

 言葉通り、クロエとガルの足元で影が蠢いた。

 《影縛りシャドウバインド》。《金縛りホールド》などと同様、対象を拘束する呪文。

 魔力で相手を麻痺させる《金縛り》とは異なり、《影縛り》は実体化した影によって物理的に相手を縛る。

 無数の黒い蛇のような姿となった影が、速やかに戦う二人の身体に絡みつく。

 

 「小賢しい呪いを使うな、魔王!」

 『あぁ、足止めにしか使えぬ小技だが』

 

 再び、魔力が燃え上がる。

 今の《影縛り》などとは比較にならない。

 恐らくは《死の宣告》か《破滅の嵐》、或いはそれ以上の術式を発動する前兆。

 本来は時間をかけての儀式が必要な大魔術も、カリュブディスは容易く操る。

 何とか魔剣で影を断ち斬り、クロエは詠唱の妨害に移ろうとするが――。

 

 『星よ』

 

 間に合わない。二言か、三言。

 それだけでカリュブディスの大魔術は完成する。

 ガルもまた拘束を無理やり引き千切るが、やはりクロエと同じく一歩遅い。

 詠唱の言葉からして、これから何が起こるのか想像も付いてしまった。

 丁度、この場は天井も壁も取っ払われた後だ。

 黄昏の過ぎた夜空が、よく見える。

 

 『虚空に瞬く死の輝きよ』

 

 夜空の星が動いたように見えたのは、果たして錯覚だろうか。

 何であれ、カリュブディスの詠唱が終われば分かる事。

 そして分かった時には、全てが終わるのだ。

 全てを破壊するだろう魔王の術式。

 

 「――――!」

 

 その詠唱に入った瞬間に、ビッケは強く床を蹴った。

 僅かな勝機だけを握り締めて、真っ直ぐ魔王へ向けて走り出した。

 

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