第四十八節:二人の冒険者

 

 ――全ての事実は、その多くが「伝説」という言葉で忘れ去られた。

 数百年という時の流れは、記憶に留めて置くには長すぎる。

 誰もが忘れた。それは仕方のない事だ。

 かつて、英雄と呼ばれた者達が如何にして魔王に立ち向かい、そして勝利したのか。

 その殆どは「伝説」となり、成し遂げた者の名前すらも霞ませてしまった。

 そう、忘れた。忘れてしまった。

 長命であるが故に、死した魔王の墓守を自ら任じた者達以外は。

 始めた者の意思は確かに高潔だった。

 その力と叡智、そして長き生涯の大半を己が役目の為に費やした。

 白銀の賢人リムガルド。彼こそは、魔王カリュブディスを討ち取った英雄の一人。

 彼は、魔王に打ち込まれた呪いが故に命を落とす事になる。

 《死の大渦》たる魔王カリュブディス。

 確かに、リムガルドを含めた英雄達は魔王を討ったが、同時に事も理解していた。

 カリュブディスの魔剣、《死人の支配者》。

 その対価こそが「」であったからだ。

 《死人の支配者》を握るカリュブディスは、仮に肉体を破壊しても滅ぶ事はない。

 魔剣と結びついた魂は永劫を長らえ、またいずれ復活する事は分かっていた。

 故に、目覚めを監視する墓守が必要だった。

 「死者の夜明け」が訪れる時を、可能な限り先延ばしにする為に。

 呪いを受けても、他の仲間達よりも長命なリムガルドがその任を自ら請け負った。

 ……彼が自らの死の刻限まで、どれ程の労力を支払ったのか。

 それはもう、当人以外に知る術もない。

 カリュブディスは不滅。

 その事実を可能な限り後世に残さぬ為、多くの事柄が時間によって風化するのを待ち続けた。

 真実の大半を自らと信頼できる血族の者達にだけ残し、只管に墓守の役に徹した。

 死を失った魔王の魂と、それと結びついた強大無比な魔剣。

 滅ぼす事は不可能でも、目覚めの時が二度と訪れないよう封じ続ける事は可能であるはず。

 リムガルドはそう信じて、死の瞬間まで役割を全うし続けた。

 自分の命が呪いで尽き果てた後も、直接託した者達がまた数百年の時を守ってくれると、そう信じて。

 

 「……かつての英雄に、誤算があったとすれば、一つだけ」

 

 小さな魔術の光が、銀色の切っ先を薄く照らし出す。

 ビッケの握る細剣の刃。

 急所に狙いを定めたその脅威を、しかしクウェルは殆ど意識していなかった。

 諦めの混ざった、酷く疲れ果てた声。

 クウェルはただ淡々と、此処まで隠して来た秘め事を吐き出し続ける。

 

 「太祖リムガルドは、確かに偉大な英雄だった。けれど彼に続く者は、彼のような英雄ではなかった」

 「……一体何が起こったん?」

 「魔王の力と、その封印。それを知るのは、リムガルドから全てを託された自分達だけ。

  ならば、誰にも知られる事無くこれを利用できるのではないかと、そう考えたんだ」

 

 笑う。嘲りは、果たして誰に対し向けられたものか。

 本当に、愚か過ぎて笑う他ない。

 英雄の末裔などと笑わせる。

 死の間際にあるリムガルドに使命を託されたのは、彼の弟だった。

 彼は偉大な兄の死を確認すると、そのまま魔王崇拝者として英雄の偉業を裏切ったのだ。

 永遠不滅の魔王。伝説ではなく、真実として在ったその御力。

 彼は英雄の血族ではなく、魔王を崇める司教として行動を開始した。

 自分以外のリムガルドの血を引く者の内、従う者以外の命を奪い去った。

 そしてあらゆる禁呪に呪法、それ以外の考えられる悪徳の全てに手を染めて。

 とうとう、全てが「伝説」として過ぎ去った、この時代で辿り着いた。

 《死の大渦》の復活という、その許されざる大偉業に。

 

 「……正直、震えが止まらなかったよ。私は、魔王復活の場に立ち会ったんだ」

 「…………」

 「ただの一言で命を奪い去り、剣の一振りで死者を支配する。

  正に、伝えられた通りの《死の大渦》の恐るべき姿が其処にあったんだ」

 「……それで?」

 「……平伏した。平伏す他なかった。あんな恐るべきモノに、立ち向かえるはずはないと。

  私は、即座に屈服したよ。大祖父――司教様のように、「素晴らしい」などとはとても口に出来なかった」

 

 クウェルの脳裏に浮かぶのは、魔王が復活したあの日の事。

 手にした魔剣も、蘇った肉体もボロボロだというのに、その存在は遥か夜空の深淵の如し。

 全盛期と比較すれば、それは見る影もない程に弱っていたのだろう。

 けれど、そんな事は無関係に魂を打ち砕かれてしまった。

 ――勝てない、屈服する他ない。

 

 「私は、別に魔王の事を心底信仰してたわけじゃなかった。

  大祖父様から続く家の教育として、「魔王を復活させ、その力を授かる」事を聞かされていたから。

  単にそれが、私のやらねばならない事で、従う事に疑問は持っていなかった」

 

 如何に長命な古妖精とはいえ、クウェルもまた伝説の当事者ではない。

 ただ大祖父から語り聞かされるだけの話は、現実ではなく御伽噺に過ぎなかった。

 幸いにも、「優秀で聞き分けの良かった」クウェルは、大過なく此処まで生きられた。

 犬のような従順さは、わざわざ「教育」を施す程でもないのが幸いした。

 故に、運命の時に遭遇した魔王の存在は、彼女にとって恐るべき嵐の具現に過ぎず。

 

 「……そう、アレは嵐だった。過ぎ去るのを待つ他ない、災害そのもの。

  私は、魔王の事を真実信仰していたわけじゃなかったが……その瞬間に、何もかもが折れてしまった。

  逆らえば、。首を垂れる他、なかったんだ」

 「…………」

 

 震える声。恐怖か、それとも後悔か。

 クウェルの絞り出した感情に、ビッケは軽く頭を掻く。

 

 「正直に言えば、別にその辺の事情はどうでも良いんだわ」

 「…………」

 

 淡々と。

 本当に、心底どうでも良いと言わんばかりに、ビッケの声は平素と変わらず。

 やや茫然としながら、クウェルは顔を上げた。

 ぽかんとした表情を見つつ、ビッケは一つため息を吐いて。

 

 「ぶっちゃけ、此処まで特に実害もなかったわけだし。何やかんや協力して貰った分は感謝してる」

 「わ、私は……」

 「つーか、結局どういう経緯でオレらに混ざるって話になったん?

  ちょっとその辺にどんな事情があったのかとか、聞いててよく分かんないんだけど」

 

 クウェルが此処まで抱え続けた罪の意識。

 そんなものはそれこそ知らぬと、ビッケはただ自分の抱いた疑問をぶつける。

 問われて、クウェルは少し戸惑いながらも口を開く。

 

 「それは……魔王に、直接命じられた余興だ」

 「余興?」

 「私が、太祖に似ているからと……、お前は果たして『仲間』に出会えるか、と」

 「なんだいそりゃ」

 「太祖リムガルドも、唯一人で魔王の戦力と戦い、窮地において魔王殺しの仲間達と出会ったらしい。

  それで私にも似た事をさせて、「もし有力な者達と出会ったなら、それに混じって行動しろ」と命じられた」

 「……何というか、趣味悪いって評すりゃいいのかなコレ?」

 

 まるで余興――いや、完全に魔王にとってはお遊びなのだろう。

 語るクウェル自身も戸惑いの色が強い。語る言葉は、恐らく真実なのだろう。

 昔、自分を討ち取った相手と似た面影を宿した者を、弄んで憂さを晴らすつもりだったのか。

 それとも本気で、「運命の再演」が起こるのかを試したかったのか、それは不明だが。

 

 「それ以外の事は、命じられてなかった感じ?」

 「……大祖父、司教様からは、もしも危険な冒険者一行に取り入る事が出来たなら……」

 「土壇場で裏切って殺しちまえって?」

 「……あぁ」

 

 頷きながら、クウェルは自身の胸元を指で少し漁る。

 其処から取り出したのは、大渦の紋章が刻まれた銀の首飾り。

 《死の大渦》たる魔王カリュブディスのシンボルだった。

 

 「これが目印で、《遠話テレパス》を行う為の焦点になっていた。今は、術とは接続していない」

 「成る程ねぇ」

 

 ある程度納得した様子でビッケは頷く。

 手にした剣の切っ先は、変わらずに向けたまま。

 けれど敵意は無く、やはり淡々と別の問いをクウェルに向けた。

 

 「で、どうすんの?」

 「…………え?」

 「だから、どうすんの。これから」

 

 本当に、それは何でもない事のように。

 抱えていた秘密だの、魔王と通じていた裏切者だっただの。

 そんな細かい事情は全て蹴飛ばして、極めて率直にビッケはクウェルに問いかける。

 

 「ど、どうするも何も……」

 「いやさっきも言ったけど、オレら別にクウェルに何かされた事一度もないし。

  むしろまぁまぁ手伝って貰ったじゃん? 何だかんだ此処まで結構危なかったしなぁ」

 「た、確かにそうかもしれない、が……?」

 

 一体、今何を聞かれているのか。

 そして自分は、それにどう答えたいのか。

 分からない。正直に言って、余り何かを考えては来なかった半生だった。

 言われるがまま、命じられるがまま。

 与えられた事に応じるように、クウェルは此処まで来た。

 そうやって辿り着いたこの暗闇で、彼女は初めて真っ直ぐに己の道を問われる。

 

 「オレはさ、冒険してお宝ゲットして、そんでまぁそれなりに楽しくやれればそれで良いの。

  ガルのアニキとかルージュの姐さんとか、あと最近だとクロエも新しく加わったけど。

  まぁ兎も角、付き合ってて面白い仲間と一緒にやってければ、まぁ特に贅沢言うつもりもないわけよ」

 「…………」

 「だから、クウェルがオレ達の事を騙し討ちするつもりだったら、このままザックリ殺るつもりだったけど。

  そのつもりが無いんだったら、細かい事はどうでも良いかなって」

 「……少なくとも、そう命じられては……」

 「でもそれ、魔王サマの命令じゃないんでしょ? 後やる気だったら、此処まで幾らでも機会あったじゃん」

 

 そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。

 最早吐き出す言葉さえ分からないほど混乱した様子のクウェルに、ビッケは大きく肩を竦めて。

 

 「じゃ、改めてどうするつもりなのか、サクっと答えて貰おっか。

  流石にオレも他の皆が心配だし、此処でずーっとお見合いしてるわけにもいかないんスよ」

 「私は、君達を……」

 「裏切者扱いして欲しいんだったら、良いよ。このまま苦しまずに一突きで終わらせてあげる」

 

 その言葉には、誤魔化しも冗談もない。

 「敵である」事を望むのなら、そのように扱うだけだと。

 いつも軽い調子のビッケの言葉には、どこまでも冷徹な意思が込められていた。

 けれどそれは、決して突き放すものではなく……。

 

 「それが嫌だったら、答えなよ。オレ、確か言ったじゃん? 気楽にやれば良いって」

 「……気楽、に?」

 「そ。使命だとか何だとか、そういうのどうでも良いから。

  クウェル自身がどうしたいのかって――それぐらい、ちょっと考えれば分かるんじゃないの?」

 「…………」

 

 自分が、どうしたいのか。

 クウェルの心に焼き付いていたのは、恐るべき魔王の姿。

 余りの恐怖に屈服し、そこから逃れる為に必死に「英雄の末裔」という偽りを演じた。

 幸い――と言うべきかは分からないが、そうする事を当の魔王自身も望んでいた。

 怯えるただの小娘が、まるで使命に燃える英雄の如くに振る舞う。

 その滑稽さこそ、魔王を楽しませる「余興」であると。

 クウェル自身もそう信じたからこそ、命懸けで此処まで来た。

 ……けれど。

 

 「私は……」

 

 魔王への恐怖。打ち込まれたその楔とは、全く異なる感情。

 英雄の末裔などと言いながら、本当は魔王崇拝者である大祖父に従う犬も同然で。

 怖くて怖くて恐ろしくて、必死に己を偽っただけの臆病者だけど。

 此処まで、短い時間――古妖精の生涯と比すれば、それこそ瞬きにも等しい時間。

 挑み、乗り越えて来た「冒険」の事を、クウェルは思った。

 それは決して、偽りなどではなく――。

 

 「……楽し、かった」

 「うん?」

 「君達と、『冒険者』をするのは……とても、楽しかったんだ」

 「すっげェ危ない目に遭ったけど?」

 「それでも……うん、恐ろしくはあったが、私は生まれて初めて、楽しいと感じたんだ」

 

 或いは、それこそクウェルが初めて口に出した「自分自身」の言葉だったかもしれない。

 魔王に刻み込まれた恐怖はある。

 生まれた時から刷り込まれ続けた、大祖父への怖れも消えたわけではない。

 ただ、それでも。それでも、ビッケ達と共に駆け抜けた冒険への想いも確かで。

 

 「……もし、もし許されるなら」

 「うん」

 「このまま、私も一緒に行かせて欲しい。復活した魔王に挑むという、この冒険に」

 

 クウェルの指が、首に掛かった首飾りの鎖を掴む。

 躊躇はない。大した強度もないそれを、一息にむしり取った。

 乾いた音を立てて、大渦の紋章が石床を転がる。

 それに視線を向ける事は、二度となかった。

 

 「……それで良いの? 逆らったら殺されちゃうかもよ?」

 「構わない。今度こそ、本当に頼む。私も一緒に」

 「ん、オッケーオッケー。じゃーちょいと時間食っちゃったし、さっさと動こうか」

 

 必死に懇願しようとしたクウェルの言葉を打ち切り、ビッケはさっさと剣を鞘にしまった。

 思わず絶句するクウェルに対し、さっさと背中を向けて。

 

 「さっきちょっと振動感じたんだよね。もしかしたらどっかでバトル始まってるのかも」

 「……び、ビッケ」

 「疑問もハッキリして、意思も確認出来た。んじゃあ後はやる事やるだけ。何かおかしい事あった?」

 「…………」

 

 そう言われてしまっては、反論する言葉などあるはずもない。

 それを納得と受け取って、ビッケは小さな明かりを灯して再び暗い通路を歩き出す。

 クウェルは、その小さな背を慌てて追いかける。

 

 「とりあえず、他の三人と合流最優先で。あ、この中の構造とか把握してない?」

 「……完全にではないが、一部なら何とか」

 「お、良いね良いね。相手の情報を少しでも持ってるってのはありがたいね」

 

 嫌味とか皮肉ではなく、恐らく本当にそう思っているのだろう。

 そんなビッケの態度と言葉に、クウェルは思わず笑ってしまった。

 

 「……君の」

 「ん?」

 「君の先祖も、或いは君みたいな奴だったのかもしれないな」

 「……それ褒めてんの?」

 「褒めてるとも。型破りで、実に英雄らしい」

 

 ささやかな仕返しと言わんばかりに、クウェルは笑う。

 ビッケは何か言い返そうと思ったが――直ぐに思い直した。

 重荷が取れたように、穏やかさを取り戻した相手の顔を見てから、一つ頷く。

 まどろっこしい事など考えずに冒険が出来るならば、それが一番だと。

 ついでにお宝があれば尚良いと、そんな事を考えながら闇の中を歩み出す。

 並ぶ二人は、かつて挑んだ英雄達のように、魔王の居城の奥へと進んでいった。

 

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