第三十八節:星無き夜の決着


 化け蟹との戦いが続く最中。

 蒼褪めた騎士との戦いもまた過熱していた。

 病毒を帯びた刃が闇に閃き、それを無骨な棍棒が叩き落す。

 そうする間も船は激しく揺れ動くが、死の騎士と蛮人の攻防は止まらない。

 振り下ろし、打ち合い、弾き、また叩き付ける。

 正に一進一退。恐らく単純な力のぶつかり合いならば、騎士よりもガルが優れているが。

 

 「っ……!」

 

 腕に抱かれているクロエは、激しい揺れに必死に耐えていた。

 彼女を抱えている為に、ガルは自慢の金棒を片手でしか振るえない。

 自然と力は半減し、結果として両者は拮抗する。

 本来ならば、そんな状態で強敵相手に戦うのは自殺行為だが……。

 

 「うむ、やはり具合がいいな」

 

 いっそ満足げにガルは頷く。

 別にこの(クロエからすれば)恥ずかしい状態でいるのは、冗談でも気が狂ったわけでもない。

 単なる思い付きではあったが、戦う上で必要あっての行為だった。

 

 『…………』

 

 蒼褪めた騎士は、言葉を発する事無く剣を振るう。

 魔剣《疫病の風》は、それだけで周囲に目には見えない死病を撒き散らす。

 この距離で浴びるそれは、アディリアンの街に蔓延っていたものとは強度が異なる。

 常人よりも抵抗力の強いガル達が、耐性の水薬を予め服用していても尚防ぎ切れない。

 呼吸一つで喉を痛め、二つ吸えば肺を蝕む。

 例え肺に入れずとも、死の風は肌に触れただけで肉を腐らせる。

 生者である限りは耐えられない。

 一行で最も頑強な肉体を持つガルでさえ、それは例外ではない――はずだった。

 

 「イアッ!!」

 

 しかし死病渦巻く風の中、ガルの動きは陰りを見せない。

 大事なものを抱えている為、多少気を使ってはいるが病による影響を受けた様子はなかった。

 蒼褪めた騎士は、果たしてそれを疑問に思っただろうか。

 それは分からなかったが、どちらにせよ「答え」はすぐ目に前にあった。

 

 「無茶苦茶なんだから、ホントに……!」

 

 振り回され続け、流石にクロエも悪態を吐く。

 ガルの腕から落ちないよう、そして手にしている魔剣を落としてしまわぬよう踏ん張り続ける。

 魔剣《宵闇の王》――纏う「帳」は、外部からの危険の大半を遮る力を持つ。

 それにより、クロエの周りだけは病毒の影響をまねがれていた。

 故に今、クロエを抱|えているガルも「帳」の内側である為、その身に病の風を受けずに済んでいるのだ。

 

 「すまんが、もう少し我慢してくれ」

 「私はいいけど、ビッケ達が拙いわ……!」

 

 状況が状況である為、はっきりと様子を確認出来ているわけではない。

 しかし僅かに見える範囲でも、化け蟹相手に大立ち回りを演じている事は分かっていた。

 このままでは、仲間達が危ない。

 

 「大丈夫だ」

 

 しかし、焦燥に駆られるクロエとは真逆に、ガルは落ち着いた様子だった。

 滾る戦熱を蒼褪めた騎士にぶつけながらも、あくまで語る言葉は冷静に。

 

 「ビッケもルージュも、このぐらいの死地なら乗り切れる。或いは、此方が間に合うまで耐えられる」

 

 打つ。弾く。それからまた振り回す。

 冷静に語りながらも、ガルの攻勢はどんどんと加速していく。

 焦りはない、信頼がある。

 だからこそ、一瞬も怠る事無く己の全力を敵に叩き込む。

 

 「大丈夫だ。そう待たせはしない」

 「……もう」

 

 力強く言われては、クロエもそれ以上の言葉を持ち合わせてはいなかった。

 同時に、自分もただ抱えるばかりではいられないと、そう決意する。

 見る。蒼褪めた騎士は効き目が悪い事を察したか、病の風を剣に集めて強度を高めていた。

 風として放たれている分は「帳」が遮るが、刃を直接当てられればそうはいかない。

 魔力で大気が歪んで見える程の密度だ。

 一太刀でも直撃すれば、それだけで致命傷になりかねない。

 

 「呪われよ!」

 

 何とか集中を確保し、クロエは己の視線と声に呪いを乗せる。

 呪いに縛られ手足の力を削がれた騎士に、ガルは大金棒をブチ当てて押し込む。

 

 『…………!』

 

 抗う。蒼褪めた死もそう容易くはない。

 呪いで力を削がれながらも、病を帯びた剣で構わずに攻め立ててくる。

 容易い敵ではない――が、勝てない相手ではない。

 ならば問題は……。

 

 「……ガル」

 「むっ?」

 

 激しく打ち合いが続く中、クロエは囁く。

 騎士がどれだけ此方の言葉を理解しているか分からないが、なるべく聞かれないよう声を潜める。

 

 「少し、考えがあるの。上手く行くかは分からないけど」

 「問題ない、何とかしよう」

 「……頼もしいわね。まだ何も言ってないけど」

 

 一切の迷いなく即答してくるガルに、クロエは小さく苦笑した。

 それから簡潔に、自分の考えた「方法」を囁く。

 確かに、ガルから見ても上手く行くかは分からない策だ。

 しかし、無理をこじ開け成し遂げるのが冒険者の業ならば。

 

 「問題ない」

 

 この場で必要な言葉は、それだけだった。

 

 「イアッ!!」

 

 叫ぶ。先ほどに倍する戦意を込めて。

 死病の魔剣を微塵も恐れる事無く踏み込んで、ガルは大金棒を叩き込む。

 

 『!!』

 

 しかし蒼褪めた騎士とて、ただ力押しに屈するような相手ではない。

 剣の魔力を高めて、より鋭く速い斬撃でガルに応じる。

 鋼と鋼が激突し、鈍い音が何度も弾けて。

 揺れて軋む幽霊船に、幾つもの花火を割かせて散った。

 

 『―――!!!』

 

 そして、響く咆哮。

 ガルの腕の中で、クロエは見た。

 その巨体を紅蓮に焼かれながら、嵐の如き敵意と憤怒を燃やす化け蟹の姿を。

 大きな負傷を与えたが、結果的に相手を激昂させてしまったようだ。

 程なく怒り狂った化け蟹の鋏が、自分達をこの幽霊船ごと粉砕しかねない。

 最早一刻の猶予もなかった。

 

 「イアッ!!」

 

 激突。渾身の力を込めて振り下ろされた、大金棒の一撃。

 まともに受ければ絶命必死の一振り。

 だが蒼褪めた騎士は、それをまともに受けはしない。

 金棒を魔剣の刃で止めながら、それを力で押し返すのではなく微細な加減で受け流す。

 魂は《死の大渦》に絡め取られ、生きていた頃の面影は微塵もない。

 ただ堕落してもまだ魂に染みついていた技が、巧みにガルの一撃を捌いて見せた。

 片手とはいえ、全霊を乗せて放った一撃だ。

 その瞬間、体勢を崩してしまったガルは決定的な隙を晒していた。

 

 『…………!!』

 

 叫ぶ。蒼褪めた騎士が、声なき声で。

 確実な好機。それを逃さず魔剣《疫病の風》が軋みを上げ、凶悪な魔力を駆動させる。

 防げない。避けられるタイミングでもない。

 振り下ろされる刃を、ガルは防げない。

 全力で叩き込んだ大金棒を構え直す余裕もなかった。

 魔剣の一撃を、防ぐ手立てはない。

 ――そう、

 

 「……かかったな」

 『……!?』

 

 蒼褪めた騎士が驚愕に震えたのは、果たして気のせいだったろうか。

 ギリッ、と。から嫌な音が響く。

 それは振り下ろされた魔剣を持っていた手。

 その手首の辺りを、ガルの大きな指が掴んで全力で締め上げていた。

 手。大金棒を持っていない方の手だ。

 蒼褪めた騎士が、ガルの隙を狙おうと大きく動いた瞬間。

 ガルは抱えていたものを手放し、クロエはその腕からするりと抜け出していたのだ。

 今や自由となった腕が、振り下ろされた騎士の魔剣を止めるが。

 

 「ッ……!」

 

 死毒が這い回る。奇跡以外では払えぬ病が、指先から上がってくる。

 クロエを手放した事で、「帳」の影響を受けている範囲から外れてしまっていた。

 最早呪いにも等しい無数の病。

 剣を中心に渦巻くソレは、ただ「近くにいた」だけで容易く人を殺傷出来る。

 ガルの腕にも、病が一気に這い上ろうとして――。

 

 「はぁぁっ!!」

 

 叫び。それはガルのものでも、蒼褪めた騎士のものでもない。

 つい先ほど、地に足を着けたばかりのクロエ。

 「帳」は変わらず、死病を遮る。

 故に恐れる事は一つも無く、状況を片付ける為の一手を打つ。

 ガルと蒼褪めた騎士、抱く腕から解放されたばかりで丁度その間に降り立ったクロエ。

 彼女は己の魔剣を強く握り、気合と共に刃を振り抜いた。

 狙いは、ガルが捕まえた蒼褪めた騎士の腕。

 

 『……!?』

 

 ザクリと、宵闇の剣が騎士の腕を肘の辺りから切断する。

 死病を振り撒く魔剣も、その騎士の手が掴んだまま。

 切り離される。しかし一度溢れた魔剣の力は、そう直ぐには消え去らない。

 当然、《疫病の風》も例外ではない。

 毒と病はいきなり霧のように散る事はなく、今も一番距離が近いガルを蝕んでいる。

 相手の魔剣を奪った時点で、敵の無力化には半ば成功したと言って良い。

 後はその厄介な代物を圧し折るなり、或いは船の外にでも放り投げれるが。

 二人の冒険者の動きは、まだ止まらない。

 

 「やはりキツいが、やってくれ!」

 「分かったわ……! 汝、呪言たる我が声を聞き、我が支配を受け入れよ!」

 

 クロエは呪いの言葉を強く叫んだ。

 それは《支配ドミネイト》。文字通り、呪った相手を意のままに操る危険なモノだ。

 しかし余程実力に差がない限り、殆ど抵抗されるような術式でもある。

 けれど今は、ガルの方がその呪いに抗う事を放棄していた。

 クロエの魔力が無理やりガルの五体を支配し、病毒で弱りつつある身体を強引に動かす。

 

 「行って、あの化け蟹を倒して!」

 

 命ずる。その言葉に、ガルは限界以上の動きを見せた。

 支配の魔力は、縛った相手に命令の確実なる遂行を強制する。

 故に四肢が毒に蝕まれても関係はない。

 ボロボロの甲板の上を走り、壊れかけた船体を足場にして、ガルは化け蟹へと一直線に跳ぶ。

 炎に焼かれ、怒り狂う巨大な怪物。

 突然の事に驚くビッケやルージュに構わず、ガルは化け蟹の上に着地する。

 そして。

 

 「イアッ!」

 

 咆哮。そしてガルは、手に持っていた物を思い切り化け蟹へと叩き付けた。

 大金棒ではない。つい先ほど、蒼褪めた騎士より奪い取った一振り。

 魔剣《疫病の風》。主から物理的に切り離されても、まだ魔力を失っていないその剣を。

 焼けて脆くなった化け蟹の甲殻へと、ガルは思い切り突き立てたのだ。

 近づくだけで命を蝕む病毒を宿した刃が、化け蟹の肉を貫く。

 

 「イアッ!!」

 

 その上で、魔剣の柄頭へと大金棒を全力で振り下ろす。

 釘を打ち込むような一撃。

 それは深く、深く、毒と病の剣は化け蟹の身体を貫いた。

 

 『ッ――――!?!!』

 

 怒り狂っていた化け蟹も、我が身に起こる異常に気付いたようだが、何もかもが手遅れだ。

 急速にその動きが鈍くなり、やがてありとあらゆる場所から濁った体液を吹き出す。

 死そのものである病が、命を削る劇毒が。

 あらゆる病毒が、速やかに化け蟹の生命を消し飛ばした。

 同時にバギリッと、鈍い音も響く。

 化け蟹の肉へと打ち込んだ大金棒の一撃により、《疫病の風》が砕けた音だった。

 

 「……うむ」

 

 魔剣そのものが砕けた事で、撒き散らされていた病毒は速やかに薄らいでいく。

 何やら仲間達の声が遠く、何を言っているのかイマイチ分からなかったが。

 ガルは己の成した結果を見ると、一つ頷いて。

 

 「大丈夫だと、言った通りだったろう」

 

 そう言って流石にその場で倒れ込んだ。

 限界を迎えてしまったガルの元に、仲間達は慌てて駆け寄る。

 

 

 ――こうして、夜の海での戦いは静かに幕を下ろした。

 

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