第一章:先触れの赤

第二十七節:水の都にて

 

 ビッケこと、ワーデル・ビックバケットにとって、金銭は必ずしも執着の対象ではない。

 無論、それらにまったく興味がないわけではない。

 しかし元々商人の家に生まれた彼は、金はあくまで「目的を達成する為」の手段と考えている。

 金で全てが手に入る、などというのは愚か者の妄言に過ぎない。

 が、それでも金が世の中の多くの事を解決してくれる道具ツールである事は間違いないのだ。

 故に冒険や労働の対価は重要であるし、それらを使う必要がある時も躊躇わない。

 それは「機を感じたならばそれを逃すな」という、父の教えによる影響もあるだろう。

 何にせよ、ビッケは金銭は重要だと知っているが、そのものに執着はない。

 ないのだが。

 

 「姐さん、姐さん。流石に手持ちの3分の1を博打に突っ込んで溶かすのはオレどうかと思うわ」

 「いやぁ、面目ないねぇ」

 

 まったく悪びれた様子のない酔っ払いルージュに、ビッケは大きくため息を吐く他なかった。

 グルーガン要塞での戦いから丁度一週間ほど。

 奇妙な冒険者一行は、大陸西部にある大都市アディリアンを訪れていた。

 水の都アディリアン。

 雄大なファニル海を望み、幾つもの運河を持つ海上交易の要所。

 その名が示す「水の都」の優美な印象とは裏腹に、この街は活気と混沌の坩堝であった。

 大陸の重要な貿易拠点であるアディリアンは、各地から訪れた無数の人々が行き交っている。

 それ故に素性は勿論種族も問わず、時には秘境で隠れ住む稀少種と出会う事もあるという。

 必然、その混沌が故に都市全体の治安もお世辞に良いとは言えない。

 交易路を握る商連合や、都市の影に潜む影人組合シャドーギルド

 そういった者達が、街の領主に対しても尚強い影響力を持つ事も大きな要因だ。

 アディリアン、それは壮麗たる水の都にして混沌渦巻く背徳の都。

 都市内の厄介事トラブルの他、周辺には古い遺跡の類も多く、冒険者も良く訪れる場所である。

 一行がこの街に入ったのは、進む街道沿いにあった以上の目的はなかったのだが……。

 

 「まぁ、街を走る水路をコースにしての舟のレースとか、珍しかったのは間違いないわよね……」

 「うむ、なかなか見応えのある催しであったな」

 

 街の酒場、その一角にて。

 ガルとクロエもまた、それぞれ果実酒や麦酒の入ったカップを傾けていた。

 そう、彼らが訪れたのはたまたまそういう時期であった。

 アディリアンの発展を祝して行われる、年に2回の舟レース。

 都市中を走る水路をコースに見立てて行われるそれは、大陸でも特に有名な祭りの一つだ。

 このレースを見る為だけに、街を訪れる者も少なくない。

 そしてそれだけ大きな催しともなれば、当然ついて回るものがある。

 所謂、闇賭博の類だ。

 

 「いやぁ、最初は悪くなかったんだけどねぇ」

 「むしろそれが罠だったんだよなぁ……」

 

 たまたま立ち寄った四人組。

 珍しい舟同士のレースとあって、見たいと最初に言ったのはクロエだった。

 他にもガルも見るのは初めてだった為、全員で見物する事となった。

 レースと言っても、それは単純に速さだけを競うものではない。

 死人を直接出すような真似をしなければ、後は妨害でも何でも制限は無し。

 舟の方も当然ガチガチに改造が施され、競争どころか私戦フェーデも斯くやのあり様だ。

 そして始まる激戦、空気は最高潮の盛り上がりに満たされる。

 其処にするりと入り込んだ、賭け屋ブックメーカーの呼び込む声。

 ルージュは一も二も無く飛び込んで、少なくない金貨を人気の舟へと賭けた。

 これに勝ち、また一つ勝って二つ買う。

 勝利を幾つか重ねた事で、理性も財布も緩み出す。

 他の仲間達も、最初の方こそ「程ほどにしろ」と止めてはいた。

 が、やはり空気に流され熱気にアテられてしまうのが人の性。

 最後は大量の金貨が飛び交うのを、皆揃って見送っている始末だ。

 そうして祭りが終わった後。

 気付けば手持ちの金貨、その3分の1が溶けてしまっていた。

 

 「ま、まぁ、結局ちゃんと止めなかったのは私達の責任だから……」

 「派手な散財ではあったが、これで無一文というわけでもあるまいしな」

 

 申し訳程度のクロエのフォローに、ガルが大きく頷く。

 実際、大鬼と竜退治で得た賞金はまだかなりの額が残っている。

 その3分の1が無くなった今でも、当面の旅に困る事はないだろう。

 けれど其処は、商人生まれのビッケが軽く異を唱えた。

 

 「いやー、お金なんて油断すると直ぐ飛んでいくよ。実際今回油断して飛んでっちゃったし」

 「羽根付けて飛ばしたあたしが言うこっちゃないけど、其処は同意見だねぇ。

  いつまたでっかく稼げるかも分からないわけだし」

 

 本当に言えた立場ではないルージュだが、其処は誰も突っ込まなかった。

 そう、冒険者とはこれ以上ないぐらいに自由業だ。

 一攫千金を当てる事もあれば、ロクに稼げず日々を過ごす事も珍しくはない。

 その為、クロエの歌や演奏のように、日銭を稼ぐ為に芸事を身に付けている冒険者も多い。

 無論、それで稼げる額は決して多くはないわけだが。

 

 「……なら、此処で何か仕事を探してみる? その手の話は事欠かないと思うけど」

 「大きい街だ。真っ当な冒険者から影を走る者まで、需要は幾らでもあるだろうな」

 

 クロエの言葉に、ガルも頷きながら応じる。

 

 「それなら、この宿が何処の冒険者組合ギルドの管轄かとか、確認しないとねー」

 「そういや、ちゃんと宿の看板を確認してなかったねぇ」

 「でっかい街だし、此処がダメでも他を探せばあると思うけどさ」

 

 揚げた芋を摘まみながらビッケは言う。

 それに対し、クロエは少しだけ首を傾げて。

 

 「冒険者組合って、幾つかあるものなの?」

 「あー……そういや、クロエは冒険者登録はしてないんだっけね?」

 「ええ、以前は余り人と関わらないようにしてたから……」

 

 ルージュの問いかけに、クロエは少し恥じらいながらも答える。

 ガル達の仲間になったことで、気分こそもう冒険者のつもりであったが。

 そういえば自分はそれがどういう仕組みシステムなのかとか、何も知らないなと。

 そう改めて気付いたクロエに、ビッケは咳払いを一つして。

 

 「この辺、手続きしながらちゃんと説明した方がいいかもね。アニキの時もそんな感じだったし」

 「あの時は手間をかけたな」

 

 こちらも以前に色々あったのか。

 どこか感慨深げに、ガルはビッケに向けて礼を口にする。

 この一行がどういう経緯で今に至ったのか、これも知らない事だ。

 それも折りを見て聞いてみようと、そうクロエは考えた。

 

 「それじゃ、組合の説明は道すがら……」

 「嘘じゃねぇよ、本当に見たんだ!」

 

 不意に。

 組合の窓口に向かおうと、四人が腰を浮かした時。

 酔客が集まるテーブルの一角に、いきなりそんな声が沸き上がった。

 酔っ払いの戯言にしては、その言葉は切羽詰まっている。

 

 「……何の騒ぎ?」

 「さて、揉め事という雰囲気でもなさそうだが」

 

 他より頭二つ分以上は背の高いガルが、更に首を伸ばして様子を伺う。

 其処に集まっている顔ぶれは、実に様々だった。

 与太を聞きたいだけの酔っ払いの親父もいれば、飯の種を嗅ぎ付けた冒険者の姿もある。

 その人だかりの真ん中には、顔色を青ざめさせた男が一人。

 手に持つ麦酒を、何度飲み乾しても酔えぬのか。

 酔いはせず、しかし感情渦巻く異様な形相で、男は同じ言葉を繰り返す。

 

 「見たんだよ! 俺は見たんだ、間違いなく!」

 「だから、一体何を見たんだって?」

 「塔だ!」

 

 塔。まったく唐突に出たその単語に、聞く者全てが困惑する。

 男は構わずに続ける。

 

 「そう、塔だ。俺は見た、見たんだ。あの山に、いきなり、デカい塔が現れて」

 「おいアンタ、やっぱり飲み過ぎなんじゃ」

 「其処に、いたんだよ! 不死者が、何匹もそっから沸いて来て!」

 

 声は最早絶叫に近い。

 正気を削り取られた事で、不定の狂気に陥ったのか。

 

 「見たんだよ、そうだ、朝日に照らされながら、骨だけの馬に跨って……!

  騎士が、死を引き連れて、夜明けと共に……!」

 「……ふむ」

 

 だんだんと支離滅裂になっていく男の言葉を聞きながら、ガルは顎下を爪で掻く。

 同じく、それを横で聞いていたクロエは小さく吐息を漏らし。

 

 「……まるで死人の夜明けね」

 「うむ?」

 「知らない? 魔王の一柱、《死の大渦》カリュブディスが暴れていた頃の呼び名よ」

 「《七人の英雄》に倒された魔王だよ、旦那も聞いたことぐらいあるんじゃないかい?」

 

 七人の英雄、という単語にガルは成る程と頷いた。

 

 「魔王の剣を、最後は死の山の火口に放り投げた話だったか。

  確かに知っているが、倒された魔王の名前までは憶えていなかったな」

 「死者の王だったカリュブディスは、有象無象の不死者達を従えていたわ。

  彼が君臨していた時代は、夜明けは死人達の為にあった」

 

 歌うように、クロエは過去の物語を口にする。

 死人の夜明け。

 眠らぬ不死者の為に安息の夜を、惑う生者の為に気休めの朝を。

 それは遥か過去に過ぎ去った物語だ。

 勇敢なる七人の手で魔王の剣は葬られ、そして死人の夜明けは二度と訪れる事はない。

 カリュブディスの名も、今は眠らぬ子供を戒める為に使われる程度だ。

 それが蘇ったなど、口にするなら確かに狂気の沙汰だろう。

 

 「……ま、そんなのは御伽噺だって。骨の王様は、もう大昔にいなくなったんだ」

 

 あえて興味がない様に言ったのはビッケだった。

 話を区切るように軽く手を叩いてから、鞄の肩紐の位置を調整する。

 

 「割と気になる話だったけど、あの様子じゃ詳しい事まともに聞けるとは思えないし。

  ホントに何か起こってるんだったら、組合の方で仕事になってるかもしれないよ」

 「そうだねぇ、不死者が沸いてるってんなら、一応司祭としちゃ放ってもおけないねぇ」

 「ルージュって、一応そういうの気にするのね……?」

 

 極めて失礼な言い草であったが、普段の素行を知っている側としては是非もなかった。

 未だに狂気に囚われた男の独演は続いていたが、四人は一旦それに背を向ける。

 今はまだ、積極的に関わりたい話ではない。

 それが冒険の種になるのであれば、否が応にも首を突っ込む事になるだろう。

 誰とも言わず、クロエ達は等しくそんな予感を抱いていた。

 

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