第六節:小人と酔っ払い


 「んで、アニキ。こちらの美少女ちゃんはどちら様?」

 「嫁だ」

 「ちょっと、まだお嫁さんになるとは言ってないでしょ……!」

 「はいはい、あんま動かないどくれよ。まだ神様にお祈り中だからねぇ」

 

 雑木林から酒場に戻った後。

 当たり前だが、血だらけの蜥蜴人が美少女を抱えて入ってきた事で、場は一瞬騒然となった。

 この騒ぎに、ガルの仲間の一人である小人の青年がすぐさま飛んできた。

 同じく出てきた女将と共に簡単に事情を確認し、これ以上騒ぎにならぬようにと。

 酒場の二階に取ってあった大部屋へと移動したわけだが……。

 

 「いやマジか、マジですか。あの嫁探しってホントにマジだったんだ!」

 「冗談を言ったつもりはないぞ」

 「はぁー……しっかし、《魔剣持ち》がいたからって一人で行った時はどうなるかと思ったけど……」

 

 二つ並べた椅子に座り、受けた傷を奇跡で癒すガルの傍ら。

 小人の青年は、相手の答えの一つ一つに、ややオーバーなリアクションを返しながら頷いた。

 部屋に置かれたベッドに腰掛けながら、少女――クロエは、その様子を観察する。

 頭の中の知識を紐解き、小人という種族についても確認する。

 彼らもまた珍しい亜人種族ではあるが、基本が旅暮らしである為、人間の街で見かける頻度は少なくない。

 陽気で快活、人間の半分程度の体躯にも関わらず、決断力と勇気を持っている。

 しかし時に愚かであり、考え無しのままに失敗をやらかす事もあるとか。

 有名な武勲詩では、小人の青年が仲間達の助けを得て、死の火山に恐るべき「魔王」の剣を投げ捨てるものがある。

 古い古い伝説である為、それがどこまで真実かは分からないが。

 

 「っと、失敬失敬。挨拶するのがまだだった! どーも、はじめましてっ!」

 「あ、ええ。その、はじめまして」

 

 そうして自分の知る事を確認していたら、いつの間にやら小人の青年が目の前まで来ていた。

 小人の者の多くは、優れた忍びの者である。

 これもまた真偽定かならぬ話であったが、彼の身のこなしは事実を雄弁に語っていた。

 片手を自分の方へと伸ばしてきた小人の青年を、クロエは改めて見る。

 短く切った栗色の毛に、瞳の色もその髪色に近い。

 動きやすい服装には大小のポケットが幾つも付いており、其処に何かの道具が仕込まれているのだろう。

 酒場で見かけた時と同じく、大きめのバッグを肌身離さず肩からぶら下げていた。

 

 「オレはビッケ! どういう付き合いになるかはまだ分かんないけど、宜しくどーぞ」

 「………クロエよ、こちらこそ宜しく」

 

 差し出された小さな手を、クロエは遠慮がちに握り返す。

 それに合わせるように、コトンと硬い音が小さく部屋の中に響いた。

 

 「んじゃ、治療ついでにこっちも自己紹介しときましょうかねぇ」

 「姐さん、姐さん。仮にも司祭様が酒呑みながら奇跡治療ってオレどうかと思う」

 「アルコールを入れとかないと上手い具合に神様と繋がんなくてねぇ」

 「確かに俺の氏族の呪いまじない師も、儀式の前には強い酒を呷っていたな」

 

 酒の入ったカップをテーブルに置き、その女司祭は愉快そうに笑っている。

 そう、司祭だ。服装はかなり気崩しているが、元々は司祭の僧服だったのは間違いないはずだ。

 けれど酒精を漂わせた金髪巨乳の女が着ては、何やら怪しげな衣装にさえ見えてくる。

 

 「悪いねぇ、怪我人だってのに待たせちまって。 あの蜥蜴が大分念入りに斬られてたもんでね」

 「……すみません」

 「いや謝るこたないよ、あっちがふっかけた喧嘩なんだから」

 

 喉の奥で笑いながら、女司祭は軽く手を振る。

 

 「で、怪我してんのは手と足だっけ?」

 「あ、はい。そうです」

 「んじゃ、パパっと治しますかね」

 

 軽い調子で言いながら、女司祭は片腕を緩く掲げた。

 見れば、その手のひらには何か小さな物が乗っている。

 骰子ダイスだ。

 古びた真鍮製に見えるソレを、女司祭は中空へと放り投げた。

 普通に考えれば、投げた骰子はそのまま床に落ちるはずだ。

 しかし如何なる不思議だろうか。

 女司祭の投げた骰子は、何もないはずの虚空を軽快な音を立てて転がったのだ。

 まるで其処に、見えない遊戯盤でもあるかのように。

 

 「あたしはルージュ、宜しく……っと、蛇の目ファンブルかい。 ちょっと待ってな」

 「……あの、失礼ですが、契約している神格は……?」

 「ん? あたしの場合はデューオ神だね。見ての通り、気分屋で困っちまうよ」

 

 やっぱりか、という言葉をクロエはギリギリ呑み込んだ。

 デューオ神。幸運と偶然、酩酊と天啓を司る女神で、「始原の神々」の一柱だ。

 ――それはかつて、始まりの神が「混沌」の呪いにより命を落とした折。

 力の精髄たる「剣」は砕け、「小さき者達」の魂に宿って無限無数の魔剣へと変じた。

 同時に始まりの神の屍からは、幾柱の神々が生まれ落ちた。

 その内、父の血肉から直接生まれたのが「始原の神々」。

 「混沌」の呪いに侵された血肉から立ち上がったものが、「混沌の神々」と呼ばれるようになった。

 多くの神々は過去の戦いにより、物質世界との直接的な接点を失っている。

 故に、自らを信仰する者や波長の合う者に対して「声」を送り、合意の上で契約を交わす。

 契約者――自らを奉ずる司祭が増えれば、それだけその神は物質世界に対する影響力を強める事となる。

 そうして行使される神秘の業こそが、世に「奇跡」と呼ばれるものだ。

 呪いが術者の仕草や視線、魔術が口頭による詠唱で発動するように。

 奇跡は契約した司祭が有する、神々の「化身アバター」を通じて行使される。

 「化身」の姿は契約した神や、司祭個人によって異なるが、大体はその神を象徴する物になりやすい。

 ルージュが持つ骰子という形は、博徒に信者が多いデューオ神の「化身」としては、大分分かりやすい方だ。

 

 「よっと……よしよし、今度は良い目だね。 そら、こんぐらいならすぐ治るよ」

 

 賽の目を確認しながら、事実《治癒ヒール》の奇跡は今度こそ正しく発動した。

 温かな光が染み込む程に、クロエの手足を苛んでいた痛みが和らいでいく。

 

 「あ、ありがとう、御座います」

 「他人行儀だねぇ。まぁ初対面だからそりゃそうか」

 

 ケラケラと、酔っ払いそのままの様子でルージュは笑う。

 それにクロエは何と答えて良いかわからず、一先ず曖昧な笑みを返しておいた。

 神々はそれぞれ異なる権能を有し、性質もまた個々で大きく異なる。

 幸運の女神たるデューオは、ルージュ自身が口にした通り酷く気紛れだ。

 その心は賽の目の如くに一定せず、それと契約を交わす司祭の在り方もまた、言わずもがなだ。

 

 「……んで、アニキの婚活は結局どうなってんの? 失敗した?」

 「まだ現在進行形だ。勝負は最後まで分からん」

 「んーこの諦めない闘志。流石っすねアニキ」

 「ちょっと、その話はやめて頂戴」

 

 横で男二人が聞き捨てならない軽口を交わし始めた為、クロエは反射的に嘴を突っ込む。

 可能な限り意識の外に追い出して、考えないようにしていたのに。

 そう蒸し返されてしまっては、顔から火が噴いてしまう。

 一方、もう一人の女性であるルージュは、アルコールの回った赤ら顔で。

 

 「なんだいアンタ、もしかして満更でもない感じかい?」

 「べ、別にそんなことは……」

 「まぁまぁ、殺し合ったばっかで口説かれちゃねぇ。

  死にかけた本能がうっかり発情してるところに押し込まれりゃ、蜥蜴面もイケメンに見えちまおうさ」

 「は、はつっ……!?」

 

 一体何を言い出すのか、この酔っ払い司祭は。

 今度こそ本当に顔から火が出てしまったクロエ。

 それを見ていた小人のビッケは、味のある表情をルージュに向けて。

 

 「姐さん、姐さん。流石に今のはオレでもドン引きだわ」

 「なんだい、別に間違った事は言ってないだろ?」

 「女子の方がこの手の話に容赦がないってホントだったんだなー」

 

 うんうんと、納得した様子で頷くビッケ。

 対してクロエは、恥じらいの余り顔を背けてしまう。

 が、丁度向いた方にいたガルと、思い切り目があってしまった。

 一瞬の間。相変わらず、爬虫類の表情は思考も感情も読み取りづらい。

 赤い顔のまま固まるクロエに、ガルも一つ頷いて。

 

 「俺の氏族の女も、時期がくれば発情していた。別に何の問題も」

 「フォローじゃないわよそれは!?」

 

 無自覚セクハラの追撃を受けて、思わずクロエは叫んでいた。

 そして反射的に黒い魔剣を取り出してしまったとして、一体誰がそれを責められよう。

 流石にその刃で蜥蜴面を引っ叩くまでは、寸前で理性が押し止めたが。

 

 「おぉスゲー。マジで《魔剣持ち》なのなクロエちゃんって」

 「ちゃん……」

 

 耳慣れない呼び方にも困惑するが、むしろ意外なのはその反応の方だった。

 魔剣を目にしたというのに、ビッケはちょっと珍しい動物に出くわした程度の感想だ。

 ルージュに至っては、特に気にも留めずに新しい酒をカップに注いでいた。

 普通、魔剣とは恐怖と畏怖の対象だ。

 手にした者に魔術に勝る神秘を授け、持たざる者には災いを振り撒く。

 始原と混沌、双方の神々は大いなる力の精髄を求めて争い合った。

 力の精髄――「剣」の断片たる魔剣。

 これらを一つにすべく起こった神々の戦こそ、神話に語られる「剣の大戦ソード・オブ・ウォー」に他ならない。

 その結末もまた、伝承に語られる通り。

 争いは七体の「災い」を造り上げ、神々は物質世界から退去せざるを得なくなった。

 「剣」は今も砕けたまま、魔剣を持つ者達は利用し、利用され、そして互いに引かれて殺し合う。

 それが神話の争いから引き摺られ続ける、今の世の理だ。

 故に魔剣の存在は可能な限り秘匿すべきだし、それが破られる事を誰もが恐れる。

 そのはずなのだが……。

 

 「や、勿論ビビってないわけじゃないけど、何度かアニキが砕いてんの見た事あるからなぁ」

 「今日戦ったクロエに比べれば、どれも小物になってしまうがな」

 「あ、マジ? やっぱアニキがそう言っちゃうぐらいに強いのね……」

 「……そう、《魔剣砕き》の業ね」

 

 少し前までは、大袈裟な御伽噺の類かと思っていたが。

 実際に体感したガルの実力を鑑みれば、魔剣を砕いていても確かに不思議ではない。

 現実の脅威として遭遇し、これを撃破した経験があるからこその反応。

 それならば納得が行くと考えたところで、また不可思議に思うことが一つ。

 

 「一つ、聞いても良いかしら」

 「ん? なんだい、酔っ払いの頭で分かる事だと良いけどね」

 「姐さん、姐さん。流石に呑みすぎじゃない?」

 「ふむ、俺も学がない故、難しい事は答えかねるが」

 「別に、難しい事ではないけれど……」

 

 ぐるりと、視線を自分以外の三者に向けてから。

 

 「……貴方達って、結局どういう集まりなの?」

 

 聞いた。恐らく今抱えてる中では、最大級の疑問点だった。

 問われた三者は、お互いの顔を見合わせてから。

 

 「いちおー冒険仲間的な?」

 「飲み仲間じゃないかねぇ」

 「友である事は間違いないぞ」

 「ええぇ……?」

 

 答えが全く統一されていなかった。

 まぁ、素性の怪しい者同士でつるむのは、冒険者ではよくある話だ。

 そういうクロエ自身も、身分という意味では人の事はまったく言えない。

 

 「まーまー良いじゃないか、そんな細かい事はさ」

 

 微妙におぼつかない足で立ち上がりつつ、ルージュは戸惑う少女の肩を叩く。

 そして酒の入ったカップを掲げ、ニヤリと笑って見せる。

 

 「アンタもどうだい? 一杯」

 「えっ?」

 「だからー、アンタもこの怪しげな一行に加わろうって話だろう?」

 

 果たしていつの間にそんな話になったのだろうか。

 ここまでほぼ完全に成り行き、ただ激流に押されるがまま。

 どうしてそういう結論になるのか、理解が追いつかずクロエは目を白黒させた。

 

 「い、いや、別に私はそんな気は……」

 「なに言ってんだい、だったら蜥蜴の旦那の求婚なんて断らなきゃダメだろ? なぁ?」

 「む」

 

 話を振られると、ガルは小さく頷く。

 

 「断られたならば致し方ないが、少なくともクロエの返答はそうではなかったな」

 「あ、えっ、そ、それは」

 「であるなら、此処で別れてしまうのは確かに困る話だ」

 「そ、そう、なのかな……?」

 

 いやでも、私はまだガルの、お、お嫁さんになると決めたわけではないし。

 そもそも今日出会ったばかりで、しかも殺し合いもした仲なのに。

 何故、どうして、此処まで悩んでしまうのか。

 自分で自分の心が分からず、赤い顔で唸るばかりのクロエ。

 そんな少女の様子を見ながら、ビッケは小さな手を軽く叩いて。

 

 「よーし、何かもう場がわやくちゃだし、一先ず飯にしない?」

 「あー、そうだねぇ。そういや酒しか腹に入れてないや」

 「姐さん、姐さん。オレの記憶が正しければ、朝からずっと飲みっぱなしじゃね?」

 「神様はこう仰ってるよ、“呑んで騒げ。死後に快楽はない”ってね」

 「夢も希望もねぇな神様!」

 

 変わらぬ調子で、ギャアギャアと騒ぐ小人と酔っ払い。

 クロエにとって慣れた空気では決してなかったが、別段悪い気はしない。

 少し遠巻きで眺めている気分でいると、その細い肩を無骨な指が軽く触れた。

 ガルだ。肩に置くようにした手は、少し遠慮がちにも思える。

 驚かせたり、その爪で傷つけたりしないよう、彼なりに気を使っているのか。

 

 「どうするかは、お前に任せるが」

 「……うん」

 「一先ず、飯ぐらいは奢ろう。迷惑をかけた償いには、足らんかもしれんが」

 「……これでも私、一杯食べるわよ?」

 「いいぞ。良く食べる母なら、強い子を産めるだろう」

 「……ホント、引っ叩くわよ。もう」

 「む……」

 

 今の発言の何が拙かったのか、蛮族の頭ではイマイチ分からないらしい。

 しかし細かく理由を説明するのも気恥ずかしいので、クロエはため息一つを溢すに止めた。

 

 

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