第33話 家神様の本気

「――お疲れさま。結構、時間かかっちゃったね」


 集落の巡回を終えて、耕作とねぎらいの言葉を交わす。

 あれから回った家は五軒ほど。けれども途中でぬかるみにタイヤがはまったりと、思った以上に送迎は難航した。

 しかも迎えに行った先では居心地のいい自宅から動きたくないと、集合になかなか応じない人もいて大変だった。


 蒸れた雨合羽と泥だらけのゴム長靴を脱いで、避難所となった大屋敷へと上がる。

 出迎えてくれたミドリおばあちゃんからもらったタオルで、髪の毛を拭きながら大広間に入るとそこは、嵐が吹き荒れている外とは別世界。

 和気あいあいとした雰囲気は、まるで団体旅行の宴会場。さっきまで避難なんて必要ねぇなんて言ってたくせに、なんだかんだとみんな楽しんでるみたいだ。


「これで全員だよね、耕作さん」

「そのはずだな」


 最後に連れて来たのは耕作の祖父。これで集落の全員がこの大広間に集まったことになる。

 耕作の祖父はどっかりと腰を下ろすと、面白くなさそうな声でつぶやいた。


「生垣のババアはまだ来てねえだか」

「ああ、まだ見てねえだな」

「そういや、サツキさんいねえだねぇ」


 周囲の人たちが耕作の祖父の言葉に答え始めると、あたしにも不安がよぎる。

 確かに大広間を見回してみても祖母がいない。約束を破るような祖母じゃないので、いささか心配になってくる。

 そこへやってきたのは氏神様。彼はすぐさま祖母のことを話し始めた。


『君のおばあちゃんの姿は見てないよ。ひょっとして、まだ家にいるんじゃない?』

「え!? そんなはずは……。ちゃんと集落を回る前に声も掛けたし、必ず行くからって言ってたのに……」

「まったく、世話の焼けるババアだな」


 また思わず氏神様への返事が声に出てしまった。けれど今はそんな細かいことを気にしている場合じゃない。

 居ても立ってもいられなくなったあたしは、相変わらず口の悪い耕作の祖父を睨みつけると、すぐさま大広間を飛び出す。そして再び雨合羽を羽織り、ゴム長靴に足を通すと、暴風雨の中を家に向けて駆け出した。


(何やってるのよ、おばあちゃん。まさか途中で何かあったんじゃないよね?)


 後先考えずに一人飛び出したあたしは、一歩一歩踏みしめるように家路を急ぐ。

 前傾姿勢をとらないと、吹き飛ばされてしまいそうな強い風。激しい雨は枯葉と共に顔に打ち付けてチクチクと痛い。


(氏神様もおばあちゃんが来ないなら、巡回中に教えてくれれば良かったのに……)


『ごめんよ。きっと最後に、君たちが連れてくるんだと思ってたから』


 一人だと思っていたけれど、氏神様もついて来ていた。

 横からかかった突然の謝罪の言葉に、気まずさがこみ上げる。


「責めてるわけじゃなくて、教えてくれればって思っただけで……。って違うね、ただの責任転嫁だね、ごめんなさい」


 氏神様に当たるのは筋違い。そんなことはわかっているけれど、ついつい考えが悪い方へと傾く。

 自分がちゃんとついていなかったのが、そもそもの原因だというのに……。



 普段の倍以上の時間をかけて、やっと家にたどり着く。

 すると家には電気が灯っていて、祖母はあたしが家を出たときと同じく、寝転びながら悠長にテレビを眺めていた。


「なんで避難してなかったの、あれほど言ったのに……。心配したんだよ? さあ、一緒に大屋敷に行こう?」

「アタシゃこのまんまでいいだで、里花ちゃんだけ大屋敷に行ったらいいべした」


 無事な祖母の姿を確認して、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。今度は祖母らしからぬわがままを言い出したので、あたしは困惑する。


「何言ってるの? そりゃあ、このままここにいた方が楽かもしれないけど、この台風は危ないよ」


 説得を試みたけれど、寝転がったまま動こうとしない祖母。

 そんなぐうたらさを不自然に思ったけれど、その理由はすぐにハッキリした。


「そうは言ってもな、さっきくじいた足が痛くてどっちみち歩けねえだよ」

「それならあたしが負ぶっていくから、早く一緒に行こうよ」


 いくら力がついてきたと言っても、祖母を背負って大屋敷にたどり着けるかは自信がない。けれどもまずは避難する気になってもらわないと始まらないので、強引に手を引いて祖母を促す。

 それでも祖母の信念は変わらずに、あたしの差し出した手を拒絶した。


「この天気の中、そりゃ無理だべ。それに里花ちゃんには前に言ったけんど、アタシゃこの家に嫁いだ日からずっとこの家さ守ってきたんだ。だから大変なときこそ家にいる。今までだってずっとそうしてきただよ」

「家が無事でも、おばあちゃんに何かあったら意味ないでしょ? お願いだから、一緒に大屋敷に行こ?」

「足をくじいたのだって運命だべ。きっとここにいろっていう、神様のお告げに違いねえだよ」


 神様という言葉につられて、あたしは反射的に氏神様を見つめる。

 当然ながら氏神様は首を激しく横に振って否定した。


『僕だって、家神様だって、そんなことを思うはずないよ。特に家神様は、ずっと君のおばあちゃんばっかり見てきたんだから。今だって早く避難してくれって心配してるぐらいだよ』


 氏神様の言葉に後押しされたあたしは、もう一度祖母を説得しようと大きく息を吸い込む。

 するとその瞬間、「ピシッ」という大きな音を立てて家全体が軋んだ。と同時に、室内が一瞬にして闇に包まれる。


 ――停電。


 あまりにもタイミングが悪すぎる。

 暗闇の中で祖母と二人きり。家全体には「ギシギシ」と不気味な音が響き渡る。

 さらに追い打ちをかけるように、外からは「ゴゴゴ……」と身体を震わすほどの低い音も二人に襲い掛かってきた。

 あたしは恐怖に震えながらも、外に連れ出そうと祖母の腕を掴む。

 そんな祖母の腕もまた、あたしと同じように震えていた。


『早く、外に逃げて!』


 氏神様が懸命に、あたしたちを避難させようと叫び声をあげる。

 あたしだって本能ではわかっている、この家が危ないことぐらい。

 けれど祖母を残して一人で逃げ出すわけにはいかない。そんな祖母はこの期に及んでも、相変わらず動こうとしなかった。


「最後を迎えるならこの家でと決めてただ。アタシは家と一緒に逝くなら本望だで、里花ちゃんだけは早く逃げるだよ」

「何言ってるのよ! 一緒に逃げなきゃダメだよ、おばあちゃん」


 強引に祖母を抱え上げようとしても、あたしの力じゃ全然足りない。

 気ばかりが焦ってどうしていいのかもわからなくなってくる。

 その時だった……。


「おめえら、何やってるだ! 早くしねえと、家が潰れるだぞ!」


 懐中電灯で室内を照らしながら、駆け込んできたのは耕作の祖父だった。

 呆気にとられるあたしに彼は懐中電灯を押し付けると、祖母をヒョイと抱えて玄関へと駆け出す。


「おめえも早くついて来い! 死にてえだか!」


 耕作の祖父の声に、ハッとあたしは我に返る。

 一目散に逃げだす彼を追って、長靴を履き直す暇もなく後に続いてあたしも家から転がり出た。


『末永くお幸せにね……』


 どこからともなく、聞き覚えのない声があたしの耳に届く。

 けれどもその声の正体を考える暇もなく、すさまじい轟音がその声をかき消した。


「……あ、ああ……。アタシの、アタシの家が……」


 振り返った三人の目の前で、山から流れて来た土砂が家を押し潰す。

 さっきの家の軋みは、押し寄せた土砂をギリギリ壁が押し留めていた断末魔だったに違いない。

 だとすると、最後に聞こえたあの声は……。


『聞こえた? 家神様の最後の声。彼はギリギリまで土砂を食い止めようと、必死で抗ってたんだよ』


 あたしは涙が止まらなかった。

 祖母も涙が止まる様子はない。

 そして祖母は完全に埋まってしまった家に向かって両手を合わせ、感謝の言葉を繰り返しつぶやいていた。


「――長い間ありがとうございましただ、家神様。そして家さ守れなくて申し訳ねえ。それなのに、最後は命まで救ってもらって……」

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