第4章 叶わぬ時の氏神頼み
第19話 偏屈じじい
農業インターンシップ参加者の引っ越しも落ち着いて、ぼちぼち始動。
やっぱり企画者としては気になるわけで、今日は氏神様と一緒に集落を巡回。また最近、祖母の手伝いが疎かになりがちでとても心苦しい。
(次は親子三人で参加の、牛尾(うしお)さん一家か……)
畑が近づくと、聞こえてきたのはしゃがれた怒鳴り声。
この聞き覚えのある声は間違いなく耕作の祖父だ。
「こんだから都会もんは! そうやって甘やかされてばっかだから、中身が薄っぺらくなんだべ」
いきなり尋常じゃない、耕作の祖父による罵詈雑言。言葉を向けられているのは、訪ねようと思っていた牛尾家のご主人だ。
これではせっかく参加してくれたのに委縮して帰ってしまうんじゃないかと、あたしは抗議を決意した。
すると氏神様から、あたしを思いとどまらせるように声が掛かる。
『待って、待って。ここはしばらく様子を見ようよ。耕助さんだって、考えもなしに怒鳴りつけてるとも思えないし』
「でも今のは人格攻撃じゃ――」
『いや、作物の話だと思うよ』
あたしは耕作の祖父とは馬が合わないせいか、ついつい感情的になっちゃうのかもしれない。言われてみれば、中身が薄いというのは野菜の話とも受け取れる。
ひとまず氏神様の言う通り、あたしは物陰に隠れて様子を見ることにした。
「おめえさんはそっちの畑さ使え。ここはオレが使うだで」
「え、でもここらは昨日、一日かけてやっとの思いで耕したんですよ」
「おめえさん、畑仕事やったことあるんだか?」
「え、ええ。家庭菜園ですけど……」
確かに昨日通りかかった時、牛尾のご主人が慣れた手つきでクワを振り上げて畑を耕していた。
その姿が印象に残っているけれど、家庭菜園とはいえ経験者だったとは。どうりで様になっていたわけだ。
「ふーん、余計なことしくさってからに。とにかく、こっちさはもうおめえさんはいじるな。オレが使うだからな。おめえさんはあっち、わかっただか?」
「えー、でもあっちじゃ、また耕し直しじゃないですか……」
二人のやり取りをコッソリ聞いてみれば、あまりにも理不尽な話。
牛尾のご主人が耕し終わった畑を耕作の祖父が奪い取って、代わりに手付かずの畑を当てがったとしか思えない。
そしてなおも耕作の祖父は不満そうに、牛尾のご主人に乱暴に詰め寄る。
「だから、おめえは余計なことしねえで、黙ってオレの言うことだけを――」
考えあってのことなんて氏神様は言ったけれど、あたしの我慢は限界を超えてしまった。
氏神様の言葉にもお構いなしに、耕作の祖父に抗議するためにあたしは飛び出す。
「ちょっと、ちょっと、聞いてればあんまりな話じゃないですか」
「かー、うるせえのが来ただな。おめえは口出すな、面倒なことになるだで」
「黙っていられるわけないじゃないですか。これじゃまるで、いじめですって」
「ああ、もう、うるせえべした。オレの言うことが聞けねえなら、好きにすればよかんべよ。はぁ、退散、退散」
まともな話し合いにならないうちに、とっとと立ち去ってしまった耕作の祖父。牛尾のご主人とあたしの二人が、ポツンと取り残された。
この事態を招いてしまったのは、明らかに考えもなしに行動したあたしの不手際。今日の農作業が止まってしまった牛尾のご主人に、あたしは頭を下げて謝罪を申し入れる。
「牛尾さんでしたよね。あたしは津羽来里花って言います。すみません、あたしが首を突っ込んだばっかりに、こんなことになってしまって」
「機嫌を損ねてしまったみたいですよね。たぶん僕が先走って、指示されてないことまでやってしまったのが原因です。後でちゃんと謝っておきますよ」
農業インターンシップに参加した三組には、それぞれ指導担当を割り振っていた。
牛尾一家は耕作の祖父が受け持っていたけれど、これで深い溝になってしまったら大ごと。原因を作ったあたしが何とかしなくては。
「でも、あたしも耕助さんに謝らないと……」
「ご心配なく。ここへ来る前は会社でクレーム処理を担当してたんで、頭を下げるのは得意なんですよ」
「そうは言っても……」
「こういうのはコツがあるんですよ。プロに任せてください」
「そういうことなら、お任せしてもいいですか? ほんっと、ごめんなさい」
確かにあたしが謝りに行くと、顔を合わせた途端にさっきの二の舞もあり得る。
ここはひとまず牛尾のご主人に任せて、こじれそうなら耕作に手伝ってもらった方がいいかもしれない。そう考えたあたしはひとまずこの話は終わらせて、当たり障りのない会話に切り替えることにした。
参加者と少しでも打ち解けて、集落に馴染んでもらうのもあたしの務めだ。
「そういえば牛尾さんは、家族三人でご参加なんですよね。奥さんとお子さんにはまだお会いしてませんけど、後日合流のご予定ですか?」
「いえ、もう来てますよ。一緒に住んでます、その家で」
「そうでしたか、歓迎会でもお見掛けしなかったもので。今日はお出かけですか?」
そこまであたしが尋ねると、牛尾のご主人は表情を曇らせて口ごもる。
そして言い出しにくそうにしながら一拍置いた後、開き直るように口を開いた。
「実は息子の諒太(りょうた)は学校でいじめに遭って以来、不登校で引き籠ってしまって。学校には何度も掛け合ったんですが、ちっとも取り合ってもらえず仕舞いでした。それ以来、妻も人付き合いを避けるようになってしまって……」
「…………なんか、ごめんなさい」
掛ける言葉が見つからない。やっと絞り出したのも見当違いの謝罪の言葉。
詳しい事情を知らないあたしに励ませるはずもないし、明るく笑い飛ばせるわけもない。どうしていつもあたしは、こうも状況を悪化させてしまうのか……。
「いえ、津羽来さんが悪いんじゃないですから謝らないでくださいよ。それに今回この企画に参加したのは、この行き詰った状況を少しでも打開したかったからなんです。打ち明けられてスッとしました」
そう言って、明るい表情を見せた牛尾のご主人。少し救われた気分だ。
これ以上話を続けるとさらに墓穴を掘りそうに感じたあたしは、適度にお茶を濁してその場を立ち去る。
「そ、そうですか。あたしで良ければいつでも話は伺いますんで、何でも言ってくださいね。それじゃ、今日のところはこれで……」
うなだれながらの帰り道、今日の失敗に少し落ち込む。時折氏神様が励ましの言葉を掛けてくれるものの、あたしの心のモヤモヤはどうにも晴れない。
そして神社の近くを通りかかった時、奥から鈴の音が聞こえてきた。
『呼ばれたみたいだ。ちょっと行ってくる』
一人取り残されたあたし。氏神様にも見放された気がして、さらに落ち込む。
このまま帰っても良かったけれど、もう少し甘えたかったあたしは氏神様に会いに行こうと本殿へ向かった。
すると参道ですれ違ったのは耕作の祖父。彼はすれ違いざまに、いつものように悪態をついた。
「ふん。参道のど真ん中を堂々と歩きおって。都会もんは礼儀も知らねえだな」
何か言い返してやろうと思ったけれど、あたしは何とか思い止まる。ついさっきはそれで、牛尾のご主人に迷惑をかけたばかりなのだから……。
そのまま進むと賽銭箱の向こう側に氏神様の姿。あたしはさっそく尋ねてみた。
「お参りに来てたのって耕助さん? お願いなんて、叶えてあげる必要ないからね。牛尾さんの耕した畑を横取りするような人なんだから」
『あんまり耕助さんのことを悪く言ったらダメだよ』
「お願い事だって、どうせ身勝手な内容だったんでしょ?」
ついさっきの参道でも、耕作の祖父に対しては腹立たしい思いをしたばかり。
あたしの愚痴は、もはや氏神様への八つ当たりになっていた。
「――じじい来なかっただか?」
そこへひょっこりと姿を現した耕作。あたしは気まずさから反射的に背を向けた。
傍から見たら一人で喧嘩をしていたように見えたはず。お芝居の稽古じゃあるまいし、また変に思われていそうだ。
「あなたのおじいさんなら、もう帰りましたー」
あたしは耕作の質問に、背を向けたままぶっきらぼうに答える。
いきなり耕作の祖父の話を持ち出されて、さらに苛立ちが高まっていく。たまたま出くわしてしまった耕作には災難だろうけど、あたしはすぐさま向き直りそのまま愚痴を吐き始めた。
「それよりも、何を考えてるの? あの人は」
「あの人って、じじいのことだか? またなんか、やらかしちまっただか?」
「なんかじゃないわよ、まったく」
さっきまで氏神様に向けていた八つ当たりの対象は、そのまま耕作へ。やっぱり不満は、関係者へぶつけた方がスッキリするというもの。何しろ孫なのだから。
気まずさはあっという間にどこかに吹き飛び、あたしは耕作にさっきの出来事を事細かに説明した。モヤモヤしていたものを吐き出すとスッキリする。愚痴を全部ぶちまけた頃には、随分と心も穏やかになっていた。
「……そんなことがあっただか。そりゃあ、すまねえことしただな。でもよ、ああいう言い方しかできねえんだよな、じじいは」
「でも、せっかく集落に来てくれた人を追い出すようなこと言わなくても――」
「あれでも、奥日多江のことを誰よりも考えてんだ。信じてやっちゃくれねえだか」
必死に懇願する耕作。
そこまで言われたら、ここはひとまず引き下がるしかない。
(――そうね、耕助さんがどんな人か、おばあちゃんにも聞いてみようかな……)
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