第4話 神様への恩返し

 神社から帰って居間へ。父と並んで肘枕の体勢で、テレビをぼんやりと眺める。

 映るテレビ局は三つ。選択肢なんてあったもんじゃない。それにどうせ失恋のショックで、何を観たって内容なんて頭に入っちゃこない。

 母は台所で祖母と一緒に晩御飯の支度。この分じゃ六時には夕食が始まってしまいそう。食欲だって全然沸いてこないというのに……。



 日が暮れるとともに始まった夕食。

 始めのうちは和気あいあいと近況を報告し合っていたけれど、母の一言から一気に緊迫感が高まった。


「お母さん、アタシたちと一緒に暮らしてよ。足腰も弱ってるんだから、これ以上ここで暮らすのは厳しいわよ」

「そうですよ、去年は倒れて救急車で運ばれたらしいじゃないですか。近所の人が気付いてくれたから良かったものの、遠く離れた場所だと心配で心配で……」


 父も母を援護するように言葉を続ける。

 けれども祖母の気持ちは、そう簡単には揺るがないらしい。


「気持ちは嬉しいけんど、娘の嫁ぎ先には厄介になれねえだよ。アタシはこの家さ嫁いだ時から、ここに骨を埋める覚悟なんだ。今さらよそには、いけねえべした」


 電話や手紙と同じ返事。

 けれど今回は、両親も簡単には引き下がらない。なにしろ、お賽銭に一万円を投げ込むほどの意気込み。絶対に連れて帰るという気迫を込めて、母の口調も激しくなっていく。


「ここが普通の街だったら、アタシたちもここまで食い下がらないわよ。でももう奥日多江は、人もほとんど住まない辺鄙な土地なの。また倒れたときに、誰にも気づいてもらえなかったらどうするのよ」

「昔は近所付き合いも密だったんでしょうけど、この集落も人が減り続けてるみたいじゃないですか。私たちの目の届く場所で一緒に暮らしませんか? お義母さん」

「あたしだっておばあちゃん大好きだから、一緒に暮らせたら嬉しいな。ねえ、一緒に住もうよ、おばあちゃん」


 失恋のショックでそれどころじゃないけれど、五千円分の働きはしておかねば。あたしはアリバイ作り程度に、両親の説得に加担した。

 けれどそんな三人の懇願にも、祖母は頑なに首を縦に振らない。祖母がここで暮らすのは、魚が水の中で暮らすほどに当たり前のことらしい。

 かといって意固地になっているわけじゃない。その表情は終始穏やかで、むしろ気遣われていることを、嬉しく感じているようにさえ見える。


「ありがとな、里花ちゃん。気持ちは嬉しいけんど、たとえアタシ一人になってもこの土地を捨てる気はねえだよ。ここさ誰も住まねくなっちまったら、お世話になった氏神様もお隠れになっちまうべした」


 突然会話に登場した氏神様。さっき言葉を交わしたばかりの彼の姿が頭に浮かぶ。

 そしてあたしは、理解できなかった言葉の意味を祖母に尋ねた。


「お隠れ……ってなに?」

「神様が亡くなることを、お隠れになるって言うのよ」


 母が教えてくれた、祖母の言葉の意味。

 それはあまりにも衝撃的で、あたしは冷静に受け止めることが出来なかった。


(ちょっと待ってよ……。そんなのダメ、ダメに決まってる。だって、あたしたちが今こうして仲良く暮らしていられるのは、あの氏神様のおかげなんだよ? それに氏神様は、あたしの……)


 いくら彼が恋愛対象から外れたといっても、大切な人(?)が亡くなってしまうと聞かされては、黙っていられるわけがない。

 あたしは一転、両親に反旗を翻す。


「うーん……。そこまでおばあちゃんの意思が固いなら、無理に連れて行くのもかわいそうなんじゃないかな……」


 けれども両親だって黙っているはずがない。これは明らかな反逆行為。さっそくあたしの裏切りを糾弾し始めた。


「おいおい、何を言い出すんだ里花。おまえだって、おばあちゃんが遠く離れてるのは心配だって言ってたよな?」

「大好きなおばあちゃんと一緒に暮らせるって、あんたも楽しみにしてたじゃないのよ。あんたがそういう態度なら、返してもらうからね」


 それを言われると耳が痛い。なにしろはもう賽銭箱の中。

 返そうにも返せないあたしは、開き直って代案を出す。


「あたしがここに残って、おばあちゃんの手助けをするから大丈夫だよ!」


 思い付きとはいえ、あたしもとんでもないことを口走ってしまったものだ。

 あたしが残ったところで、氏神様のために何かできるとは思えない。でもこのまま祖母を連れて帰ってしまったら、廃村に一歩近づくのは間違いない。

 それにここに祖母がいなければ、あたしがここに来る口実もなくなってしまう。氏神様に会うために、あたし一人でこっそりとこんな辺鄙な山奥を訪ねるなんて、とてもじゃないけどできそうにない。

 かくなる上は打算的だけれど、ここに住み続けようとする祖母にあたしは味方することにした。裏切り者と呼ばれても知ったことか。

 けれども決意を固めたそんなあたしに、さっそく最初の試練が訪れる。


「里花! あんたはここでの生活の厳しさなんてわかんないでしょ。アタシがここにいた時だって一刻も早く逃げ出したかったのに、今じゃもっと人が減っていてさらに暮らしにくくなってるのよ?」

「まったくだ。世の中もろくに知らないおまえに、一体何ができるっていうんだ。里花じゃ手助けどころか、お義母さんの迷惑になるに決まってるだろ」


 祖母の説得をしていたはずの両親は、急遽その標的をあたしへと切り替えた。

 あたしだって無茶を言っているのは自覚している。だけどあたしは決めたんだ。

 本当の理由を話せない中、そんなあたしの後押しをしてくれたのは祖母だった。


「まあまあ。アタシゃどうでもいいだで、しばらく里花ちゃんさ住まわせてみたらいいべした。里花ちゃんが音を上げたんなら、そんときに迎えに来たら良かんべ」


(ごめんねおばあちゃん。ここに残る一番の理由は氏神様のためなんだ。だけどきっと、おばあちゃんの役にも立ってみせるからね!)


 あたしは祖母の言葉に罪の意識を感じつつ、ここに居残る決心をより一層固めた。

 あたしが説得する相手は祖母から両親へと切り替わる。両親の許可が下りなければ、祖母だってあたしをここには置いてくれないだろう。


「あたしがおばあちゃんの様子を見てるなら、お父さんもお母さんも安心でしょ?」

「何言ってんの、あんたの方がよっぽど心配よ。それにあんた就職はどうすんの? 空白期間があると再就職には不利なのよ?」


(あたしって信用ないんだな……)


 あたしの信用なんて、こんなものかと少々落胆。だけど就職した会社を一年で辞めてしまったあたしに、信用なんてあるはずがない。

 すべては自業自得。日頃の行いは、いざというときに返ってくる。

 でも、言われっぱなしも悔しい。ついつい売り言葉に買い言葉で、現実味のない薄っぺらい主張を母に突き返した。


「仕事だったらここで見つける。農業でもなんでもやってみせる。普通に就職するだけが人生じゃないと思う!」

「里花! あんた、何を知ったようなことを――」


 あたしの反抗的な態度に、母も感情を露わにして言い争いが激化する。

 しかしそこへ、父が口を挟んだ。


「まあまあ、母さん。里花がそこまで言うなら、気が済むまでやらせてみたらいいじゃないか。お義母さんにはご迷惑おかけしますが、よろしいですか?」

「アタシは願ってもねえべした。里花ちゃんの気が済むまで居たらいいだよ」

「ちょっと、あなた……」


 思いがけず父から下りた許可。安っぽい虚勢でも張ってみるもんだ。

 最大の障壁が父の手のひら返しによって突然取り払われて、あたしの方がびっくりする。

 けれども父の言葉は、それだけでは終わらなかった。


「ただし、お義母さん。里花が住み続けられないようなら、それだけここは過酷な場所ってことですから、その時は同居の件を考え直してもらえますか?」


 胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は父から条件を提示される。

 やっぱり旨い話には裏があった。あたしがここでの暮らしに音を上げると睨んで、それを祖母の同居の説得材料にするなんて……。

 父の卑怯なやり方に、あたしは不満をぶつける。


「ちょっとお父さん、それってズルいんじゃ――」

「いいて、いいて。里花ちゃんも覚悟の上だべ? そんな里花ちゃんが住めねえってなら、アタシもそんときゃ考え直さねばなんねえだな」


 あたしの行動に判断を委ねるなんて、祖母はお人好しとしか言いようがない。けれども同時に、あたしの動機の中にある不純な部分を見透かされたようで、身が引き締まる思いだ。

 そんなやり取りを黙って見ていた母は、大きくため息をつく。そして仕方なさそうに、諦めの言葉をあたしに掛けた。


「無理しないで、ダメだと思ったらちゃんと連絡すんのよ?」

「わかってるって。ここでしっかりと暮らして、二人を驚かせてあげるんだから」


 ひとまずこれで、少しは時間が稼げた。

 だけど、これで氏神様が守られたわけじゃない。さっそく明日神社へ行って、氏神様を救う方法はないか聞いてみなくちゃ……。


 居間は、祖母を連れて帰る計画が一転、あたしの長期滞在の打ち合わせ会場に。

 不安そうな両親と、終始穏やかな祖母。そのやり取りを見ながら、あたしの胸は少し痛んだ。


(――みんな、あたしの不純な動機でわがまま言い出してごめんね……)

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