神様のかくれんぼ

大石 優

神様のかくれんぼ

第1章 救う神あれば、救われる神あり

第1話 あの日の記憶

『あたしね、お父さんともお母さんとも、お別れしたくないの……』

『大丈夫。今の言葉を直接お母さんに言えば、きっとわかってくれるよ』


 涙ながらに悩みを打ち明ける、幼い頃のあたし。

 そして親身になって、心安らぐ言葉を掛けてくれた彼。


 彼は優しい笑顔の男の人。歳は大学生ぐらい。

 柔らかそうな黒い髪、スラリと伸びた背、でも顔は少しおぼろげ。

 今でも忘れられない情景を記憶に残したまま、あたしは夢から覚めた……。



「――ん……。もう着いた?」


 父が運転していた車は、路肩に寄せられて停まっていた。

 まだ重いまぶたを擦りながら、あたしが後部座席の窓から外を眺めると、そこには朽ちかけた神社。

 彼と出会った思い出の場所が、さっきの夢を見させたのかもしれない。


「家はもうすぐそこだけど、その前にお参りしていこうと思ったのよ」

「なにしろお義母さんは、一筋縄じゃ行きそうにないからな」


 今回の家族旅行の行き先は、奥日多江おくひたえという集落にある母の実家。だけど、旅行と呼ぶには目的が深刻だ。

 その目的は祖母との同居の説得。

 山奥の限界集落と化している奥日多江では、これ以上祖母が一人で暮らしていくのは無理だろうと、家族で話し合った。だけど祖母はいくら手紙や電話で説得しても、一向に応じてはくれない。だったらこっちも本気を見せようと、そのまま連れ帰るぐらいの覚悟で母の実家までやってきたというわけだ。

 そんな状況だからだろう、母が神頼みを思い立ったのも理解できる。だけどもう少し、この心地いいウトウト感を味わっていたかったあたしは、両親に見送りの言葉をかけた。


「ふーん、行ってらっしゃい」

「なに言ってんの、里花りか。あんたも一緒に来るのよ」

「そうだぞ、五千円も小遣いやったんだからな。里花もお参りしなさい」


 あたしは家でゴロゴロしていたかったのに、こんな何にもない田舎に連れ出されて甚だ迷惑だ。

 だけど、『里花が説得すれば、きっとおばあちゃんも折れる』そんな言葉と共に差し出された五千円に釣られてしまったあたし。すべては金欠が悪い。


「えー、めんどくさいよ。あたしここで待ってるから、二人で行ってきなよ」

「お前も来なさい、里花。来ないなら、小遣いは返してもらうぞ」

「だって、五千円はおばあちゃんの説得代だもん。お参りに付き合わせるなら契約外だから、追加料金をいただきます」


 あたしは運転席の父に向かって身を乗り出すと、自分でも通らないだろうと思いつつも屁理屈をこねて右手を突き出した。

 すると案の定、助手席に座っていた母があたしの頭をはたく。


「あ、痛!」

「無職で無収入のくせに、なんでそんなに強気な態度なの。グズグズ言ってないで一緒に来なさい」

「ちぇっ……」


 あたしはこの春めでたく退社した。もちろん寿ではない。

 何しろ新卒で就職してたった一年、彼氏もいないのに結婚退社のはずがない。

 別に仕事がしたくないわけじゃない。ただ思っていたのと違ってただけ。

 誰がやっても同じに見えてしまう仕事内容に、『あたしじゃなくてもいいんじゃない?』と疑問を持ってしまったせいだ。


「せっかくだから、里花の再就職祈願もしておくか。よーし、お父さん奮発してお賽銭に万券入れちゃうぞぉ」

「あなた、そんな余裕があるなら、お小遣いはもうちょっと減らしても良さそうね」

「そんなぁ、勘弁してくれよ。母さん……」


 あたしの前を歩きながら、笑顔で冗談を言い合う両親。人っ子一人いない物寂しい参道に明るい声が響く。

 今でこそ、仲睦まじいおしどり夫婦と近所でも評判の両親だけど、昔からこうだったわけじゃない。


(まったく……。あの日あたしがここで彼と出会ってなければ、この一家団欒もなかったんだからね? それにしても、ここの境内ってこんなに狭かったっけ……?)


 ついさっき夢に出てきた情景と比べながら、あたしは参道を歩く。

 面倒でしかない祖母の説得旅行だけど、あたしには一つだけ楽しみがあった。それは、夢にも出てきた彼と再会できるかもしれないという淡い期待。

 今思えば、あの時のあたしは彼に一目惚れしていたのかもしれない。

 だって幼かったとはいえ、見ず知らずの男の人のアドバイスをホイホイと聞き入れて、言われるがままに従っちゃったんだから。


(確かにかっこよくて優しい人だったけど、当時のあたしは小学五年生だぞ。どれだけおませさんなの……。でもあれももう、十二年前の話か……)


 当時大学生ぐらいに見えたから、彼は今じゃ三十路のはず。

 もしも彼に会えたなら、絶対に感謝の言葉を伝えなくちゃ……。



 賽銭箱の前に立ち、一万円札を差し入れて鈴を鳴らす父。

 父と母の柏手の音が、さびれた境内にこだまする。

 母の素振りを慌てて真似て、あたしも心の中で願い事をつぶやいた。


(……彼にもう一度会えますように……)


 きっと父と母は、『祖母が説得に応じてくれますように』と願っているんだろう。

 でもあたしは父の賽銭にちゃっかり便乗して、自分の願を掛けた。やっぱりあたしにとっては、こっちの方が大事なことだから。


(だけど、もし偶然会えても気付けもしないかな……)


 あたしは自虐的に苦笑いを浮かべつつ、本殿に背を向ける。

 そして両親よりも先に、停車中の車へと向かった。


 ――その瞬間、心臓が停まってしまったかのように、あたしの身体は硬直する。


 柔らかそうな黒髪、スラリと伸びた背。

 大学生のような風貌は、当時の面影そのまま。

 記憶ではおぼろげだったはずなのに、目の前に立っているのは彼だと確信した。

 突然すぎる不意打ちに、あたしは言葉を失くす。いや、言葉を発しなければという思考すらも停止している。

 何もない空間で見つめ合う二人。さっきの夢から抜け出してきたかのような彼の微笑みに、あたしの胸の奥に温かいものが灯ったのを感じた。

 そんなスナップ写真の切り抜きのような情景を、両親の言葉がぶち壊す。


「里花、どうしたの? さぁ、おばあちゃんの家に行くわよ」

「お賽銭も奮発したし、気合を入れて説得しなきゃな。里花、お前も頼むぞ」


 こっちは運命の再会に涙があふれそうだっていうのに、背後からいつもの調子で話しかける両親。まるで何も見えていないかのよう。

 あたしはそのデリカシーのなさに、振り返って両親に声を荒げる。


「ちょっと、邪魔しないでよ!」

「邪魔って……なんの?」


 あたしの剣幕には両親も驚いたらしい。だけどその返答は苛立つほどに、すっとぼけた言葉だった。

 両親のあまりの無神経ぶりに、呆れ果ててため息が漏れる。

 まさかそこまで説明させられると思わなかったあたしは、後ろを向いたまま指をさしてその理由を示す。


「察してよ……。普通、言わなくてもわかるでしょ?」


 ――けれども振り返ったあたしの指の先には、どこから飛んできたのか桜の花びらが一つ、風に舞っているだけだった……。

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