好きなもの

かしまからこ

第1話

あなたの一番好きなものは?

って聞かれたら、何て答える?


いちご、読書、カラオケ、とか。

叔父さんと一緒に行く釣り、家具屋さんの匂い、寝ること、とか。


それこそほんと、人の数だけあると思うんだ。


あたしの場合はね、誰にも秘密だったけどいいよ、特別にあなたにだけに教えてあげる。


パニック。


何て言えばいいんだろ、難しいんだけど…、空気っていうのかな。


一瞬でがらっと焦った空気になって、叫び声とか汗、走る音なんかが一斉に蠢きだして酸素が急に薄くなる、あの感じ。


え?いやだ?

まあ、大抵の人はそうだろうね。


自分も気持ち悪くなったり、吐き気を感じる人もいるしね。

ああ、あなたもそうなんだ。

え?腕を骨折した人を見てすごく気持ち悪くなった?

そうなんだ。

想像しちゃったんだね。


あたしはそういう、周りで気持ち悪くなってる人を見るのも好きなんだ。

え?趣味悪い?

あはは、あたしもそう思う。


ん?

今までで1番のパニック現場?


あれかな。

ホームに飛び降り自殺しようとしたおじさん

を見た時。

あれはすごかった。


なんかね、会社で失敗して自殺しようとして、おじさんが突然ホームに叫びながら飛び降りたの。

電車がもう少しで来るって時にね。

ホームにいた人、みんなパニックよ。


みんなオロオロしたり、慰めたり、説得したり、手を伸ばして引き上げようとしてる人もいたな。

結局、すれすれのところでおじさんが我に返って、自力で這い上がって助かったんだけどね。


でもね、そういう現場に絶対何人かはいるんだよね。


顔色一つ変えずに、真顔の人。


見てるか見てないかわかんない。


でもパニックになってることには気付いてるわけ。


え?何?どういう神経してんのって?


普通そう思うよね。

わたしもそう思うし。


でもさ、けっこうそういう人いるよ。

誰かがなんとかするだろって決め込んでるんだろうね。

そしてよっぽど他人に興味が無いんだろうね。


こういう人、絶対一人はいるの。

パニックの時。


ぞっとするって?

あはは、だよね。


その人たちがどういう原理で真顔になるのか、1回聞いてみたかったんだよね。


というわけで、さ。

あなたの旦那さんに聞いていてくれない?


そのホームで真顔で見てた人の中の一人だったからさ。



おわり

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好きなもの かしまからこ @karako

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