凸凹ハネムーン

無月弟(無月蒼)

前編

 やらかしてしまった。そう後悔するのは、これでいったい何度目だろう?

 しかもこんな所に来てまで、また同じ失敗を繰り返すだなんて……。


 後悔の念に苛まれる私の目の前にそびえ立つのは、ノートルダム大聖堂。

 フランスのパリにある、世界遺産のアレね。


 全長百二十メートルを越える、白くて壮大な建物。その色合いから、白い貴婦人なんて呼ばれているそれを、私はため息をつきながら眺めていた。


 だけど何も、興味が無いからつまらないなんて理由で、ため息をついている訳じゃない。

 むしろさっきまではつい浮かれて、デジカメで写真を撮りまくっていたくらい。


 だってせっかくの世界遺産、歴史ある建物だもの。もう二度と来れないかもしれない貴重な場所を、できるだけ多く写真に残そうと、夢中になってシャッターを切っていた私。

 一緒に新婚旅行に来ていた、旦那の事をほったらかして……。


「何で私って、一つのことに夢中になるとどうしてそれ以外のことが見えなくなっちゃうかなあ」


 今この場にいない、愛しい人のことを思う。

 高校の頃、同級生だった彼から告白されて。それから進学して、就職して、席を入れたのが今から一年前。私が、25歳の頃。


 だけど私は、よく人から彼の事を蔑ろにしすぎだ、なんて言われている。そしてそれを否定できないと言うのが、辛いところ。


 出版社で作家の担当編集者として働く私は、自分でも仕事人間だって思っている。

 結婚したはいいけど、家よりも仕事場にいることが多くて、彼以上に担当作家さんと一緒に過ごすなんて日も、少なくない。


 たまにはそんなすれ違いがちな彼と一緒に楽しくすごそうと、こうしてパリまで来たというのに……。


「せっかく八雲やくもが、旅行をプレゼントしてくれたのになあ……」


 八雲と言うのは、現在大学に通っている、五つ年下の私の弟のこと。

 素直で優しい子で、目に入れても痛くないくらい可愛い、自慢の弟なんだけど。先月そんな弟が、こんなことを言ってきたのだ……。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



『姉さん、ここにペアの旅行券があるから、義兄さんと一緒に行ってきてよ』


 私達の住んでいるアパートにやって来きて、旅行券を差し出してきた八雲。

 話を聞くと、どこかの博物館の中学生館長並みのくじ運の良さを発揮して、商店街の福引きで当てたそうだけど……。


 当初私は、これを受けとることを渋った。

 だって福引きで当てたのは八雲なのに、それを盗っちゃうなんて、良い姉のすることじゃないもの。


 だけどそんな私に対し、八雲はお説教を始める。


『姉さん、最近帰りが遅くて、義兄さんとあんまり話せてないでしょ』

『それは……』

『それに忙しいから、お金がかかるからって言って、結婚式も挙げてないし、新婚旅行にだって行かなかったじゃない。だからちょっと遅いけど、これを新婚旅行だと思って行ってきてよ』

『けど、福引きを当てたのは八雲だし。それに、仕事を休めるかどうか……』


 行ってみたいという気持ちはあった。私達のことを思ってくれる気持ちは嬉しかったけど、それでもどうしても躊躇してしまう。

 すると八雲は呆れたように眉を細めて、少し怒ったように言ってくる。


『姉さん、僕と仕事と義兄さん、いったい何が一番大事なの? さすがに仕事は違うと思うけど、まさか僕だなんて言わないよね?』

『えっ!? ええと、ソンナコトイワナイヨー』


 危なかった。一瞬、旦那と八雲のどっちを答えようか迷った。

 けど何とか言い止まったものの、八雲は私の心の内を読んだみたいで、深いため息をついた。


『姉さんのいったいいつになったら弟離れできるの? 結婚してもまるで変わらないじゃない』

『いや、でも当てたのは八雲なんだし……』

『いいから、義兄さんと二人で行ってくる! あんまり義兄さんのこと蔑ろにしてたら、そのうち愛想つかされるよ! あと、行かなかったら僕も絶交だからね!』

『何よそれー!?』



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ……まあそんなわけで。

 旦那とも仲が良い、優しい優しい八雲が旅行をプレゼントしてくれて。

 結婚してからもう、一年が過ぎているから、果たしてこれが新婚旅行と言えるかどうかは分からないけど、とにかく私達はそんな気持ちで、今回の旅行に赴いた。

 だけど、ねえ……。その新婚旅行先で旦那そっちのけで写真を撮って、あまつさえはぐれちゃうだなんて、目も当てられない。


 しかも写真を撮っていた理由というのがね。いつか仕事の資料として役に立つんじゃないかって思って、張り切って撮影してたのよ。


 なんたってノートルダム大聖堂。世界遺産の建物なんだもの。もしかしたらここを舞台にした作品を、担当している作家さんが書かないとも限らないわけで。


 けどそれって、旦那より仕事のことを考えてたってことよね。せっかくここまで来たのに、本当に何をやっているのだか。


「はぁ……、今頃呆れてるかな、太陽たいよう……」


 歴史ある建造物を前にしながら、旦那の名前を口にしてため息をつく。

 思い出されるのは、旅行が決まった時に旦那が見せてくれた、幸せそうな顔。本当にとても喜んでくれていて、旅行をプレゼントしてくれた八雲にも、そのために休みをとることを決意した私にも、感謝の言葉をのべていた。


『ありがとう二人とも。素敵な家族を持てて、僕は幸せだよ』


 満面の笑顔で、そう言ってきた太陽。

 私は大袈裟ねと笑って返していたけど。もしかしたら普段冷い扱いを受けていたから、貴重な嬉しい出来事に胸を踊らせたのかもしれない。


 もちろん私は、冷たく接しているつもりなんてないんだけど、太陽がどう思っているかなんてわからない。八雲だって、私は太陽のことを蔑ろにしているなんて言っていたし。


 ……いけない、何だか不安になってきた。

 このままだと近い将来本当に、愛想つかされるかもしれない。

 どうしよう、一度ちゃんと謝った方がいいかなあ?


 けど生憎、今ははぐれちゃっているし。しかも、私はケータイを持っていない。太陽に預けてあるバッグの中に、大事にしまってあるからだ。


 しまった。こうなることもちゃんと考えて、自分で持っておくべきだった。だいたい、ケータイなんだからちゃんと携帯しておけと、自分に怒る。

 けどそうしていたって、事態が改善するわけでもなくて。


「……とりあえず、太陽を探してみよう。会わないと、謝ることもできないしね」


 そうと決まれば、モタモタしてはいられない。

 佇んでいるのを止めると、建物の周りや聖堂の中を歩いて回って、彼の姿を探していく。


 途中、立派なガーゴイルズの像や、綺麗なステンドグラスが目に入ってきたけど、足を止めて眺めたいと言う気持ちを押さえ込む。それよりも今は、太陽を探すことが大事だ。


 だけど中々見つからない。

 慣れないフランス語で、現地スタッフに日本人の男性を見ませんでしたかと聞いてみたけど、結果は空振り。


 幸い、ホテルの場所は覚えているし、太陽だっていつまでも合流できなかったら戻るだろうけど、できることならこのノートルダム大聖堂で、彼を見つけて謝りたかった。


 だけど見つからない以上、それも叶わぬ夢。探し疲れて、正面広場へと戻ってくる。

 さすが大聖堂広さが半端じゃないわ。


 さて、どうしよう? これだけ探しても見つからないってことは、もしかしてもう、ホテルに戻ってる?

 だったら私も、さっさと戻った方がいいけど。そんなことを考えていると……。


皐月さつきさん?」


 不意に私の名前を呼ぶ、聞き覚えのある声が背中に飛んでくる。

 その声は、さっきからずっと探していた人のもの。振り替えるとそこには、何だかホッとしたみたいな笑顔した日本人。私の旦那、基山太陽きやまたいようの姿があった。

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