空想トライアングル

猫柳蝉丸

本編

「姉ちゃん元気?」

 リビングで宿題をしていると、弘樹が背中から抱き着いてきた。

 久し振りの感触だったけど、わたしは手を回してそのおでこを軽く叩いてあげる。

「くっ付かないでよ、弘樹。今、宿題やってんの。見れば分かるでしょ?」

「分かってるけど姉ちゃんにひっ付きたかったんだよ」

「邪魔だって言ってんの。分かんない?」

「そんな事言わないでよ、姉ちゃん」

 可愛らしく弘樹が微笑む。

 正確には角度的に見えないけど、弘樹は絶対に可愛らしく微笑んでる。それが分かる。

 伊達に十四年間も弘樹のお姉ちゃんをやってないんだから。

「邪魔だけはしないでよね」

 それだけ言って、わたしは宿題に戻る。わたしはいい会社に就職するんだから、学校の宿題はちゃんとこなすし予習や復習もしとくんだもんね。

「分かったよ、姉ちゃん。姉ちゃんが宿題するかちゃんと見といてあげるね」

 駄々をこねないながら、自分のしたい事だけは通すのが弘樹らしいなって感じる。弘樹は昔からそうだった。何でもそつなくこなして気が利いて、近所の女の子達からも人気があった。外見だってわたしの弟のくせに悪くないどころかかなり良かった。多分、弘樹のクラスメイトの八割は弘樹に何らかの気を持ってるはず。

 わたしだって弘樹の事は嫌いじゃない。たまに比較されて嫌になる事もあったけど、それで弘樹の事を嫌いにはならなかった。自慢の弟にふさわしいように、お姉ちゃんのわたしも頑張らなきゃいけないって思ってたくらいだった。

 だけど……。

 わたしは小さく溜息を吐いた。あんなに自慢だった弘樹が今はすごくうざったい。

「分からない問題でもあるの、姉ちゃん?」

 わたしの溜息に気付いた優しい声色で訊ねる。

 こんなところでも気配りが出来る優しい弟なのが逆に嫌だ。

「抱き着いて来る弘樹が邪魔なだけよ」

「痛っ!」

 軽く肘を振り回しただけのつもりだったけど、ちょうど痛い場所に当たってしまったらしい。弘樹が本気で痛そうな悲鳴を上げた。ちょっと申し訳ない気分にはなったけれど、すっとした気分にもなっちゃったわたしは性格が悪いと思う。

「ちょっと……。二人とも仲良くしなさいよ、朋ちゃん、弘樹」

 わたしたちの様子を見かねたのか、ママが苦々しく笑った。

 そんなママの笑顔も癇に障る。わたしは頬を膨らませてママから目を逸らした。

「弘樹が宿題の邪魔するからでしょ」

「大丈夫だよ、ママ。姉ちゃん恥ずかしがってるだけだよ」

「誰が恥ずかしがってるってのよ」

 弘樹の頭をまた叩くと、ママがまたわざとらしく悲しそうな笑顔を見せる。

「もう……、最近どうしたのよ、朋ちゃん。弘樹とはちょっと前まであんなに仲良しだったじゃないの。休みの日には遊びに行ってたり、何処に行くにも一緒だったりしてたじゃない。急にどうしたの? 反抗期なの? 十四歳なの?」

「十四歳なのは確かだけど……」

 呟きながら、思う。わたしと弘樹は確かにちょっと前まで仲良しだった。二人で居ると楽しくていつも笑ってたし、四六時中一緒でも飽きなかったし、一緒にお風呂にも入ってたくらいだし、ファーストキスの相手だって弘樹だった。ファーストキスの相手が実の弟でも後悔なんて全然してなかった。

「ひょっとして朋ちゃん、弘樹に焼きもち妬いてるの?」

 ママの一言に、わたしの心臓が暴れそうになるのを感じる。

 そうかもしれない。わたしは弘樹が自分の手から離れるのが嫌なのは間違いない。

「美香ちゃんとは何でもないよ、姉ちゃん」

 弘樹がわたしの肩に回した腕に優しく力を込める。

「確かに美香ちゃんには告白されたけど断ったよ。まだ美香ちゃんとはそういうの考えられないからさ。だから姉ちゃん、安心して」

 そう言ってわたしの頬に唇を近付ける弘樹にデコピンをしてあげる。

 安心しなさい、弘樹。美香ちゃんの事はわたしも気にしてないんだから。

 おでこを擦りながら弘樹が唇を尖らせる。

「痛いなあ、姉ちゃん……」

「ちょっと……。弘樹の事もっと大事にしてあげてよ、朋ちゃん。朋ちゃん、弘樹のお姉ちゃんじゃないの。大事な弟でしょう?」

「大事じゃないよ。お姉ちゃんだけど、大事にしない。弘樹なんて、わたしの物じゃないから大事にしない」

 ママが悲しそうな視線をわたしに向けるけど、わたしはそれを無視してあげた。

 美香ちゃんの事は気にしてない。でも、弘樹がわたしの物じゃない事は実感してる。

 弘樹とは仲良しだった。世間一般の姉弟よりはちょっとだけ仲が良かった。具体的には週に三回はエッチする仲だった。別にそんなに珍しい話じゃない。わたしのクラスにもわたし以外に三人、きょうだいとエッチする間柄のクラスメイトが居たくらいなんだもん。そんなのは全然珍しくない。

 でも、わたしは弘樹とたまにエッチする関係になれた事が嬉しかったし誇らしかった。弘樹の初めてを貰えた事が自信でもあった。弘樹と違ってそんなに出来のいいお姉ちゃんじゃないわたしに初めてをくれた事が、わたしの心の拠り所だったとも思う。

 それでも、実際にはそうじゃなかった。

 弘樹の初めての相手はわたしじゃなかったんだって、弘樹はわたしの物じゃなかったんだって、ついこの間、気付いたんだよね。弘樹の初めての相手が美香ちゃんならまだよかった。妬いちゃうけど、相手が美香ちゃんならまだどうにか平静で居られた。他人の美香ちゃん相手なら、家族のわたしの方がずっと側に居られるもんね。

 だけど……、わたしはこの前、家に忘れ物を取りに戻った時に見たんだ。

 弘樹とママが弘樹の部屋でエッチしちゃってるのを。ううん、エッチしてるだけならよかった。それだけならまだ我慢出来た。お姉ちゃんのわたしがエッチしたくなるくらいなんだもん。ママが弘樹とエッチしたくなったって不思議じゃない。弘樹はそれくらい魅力的で優しくて誰にでも好かれる子なんだから。

 わたしが我慢出来なかったのは弘樹の表情の方。

 弘樹はママとエッチしながらわたしの見た事がない顔をしてた。凄く幸せそうで、凄く気持ち良さそうで、わたしとエッチしてる時とは比べ物にならないくらいだった。ずっとずっと嬉しそうだった。

 血が近い方が身体の相性がいいなんてよく聞く話だけど、その理屈に従うなら二親等より一親等のママとのエッチの方が気持ち良いのは当たり前かもしれなかった。ママはまだ三十四歳の女盛りで、中学生のわたしに太刀打ち出来るはずもないしね。

 悲しくはなかった。ただ弘樹への気持ちが醒めたのは間違いなかった。弘樹はわたしの物じゃなかった。産まれてからこの方、ずっとママの物だった。そんな当たり前の事を分からされただけだった。

 だから、わたしはもう弘樹に優しくしない。エッチしない。大事にもしない。わたしの物じゃないんだから、そんな弘樹なんて大切な弟として扱ってあげる必要も無い。弘樹なんてママとずっと気持ち良いエッチに耽ってればいいんだ。

 それに……。

「あれっ、どうしたの、姉ちゃん? 何処か調子が悪いの?」

 わたしが軽くお腹を擦ったのを弘樹が目敏く見つけて言った。

 そんなところも女の子に人気の秘訣なんだろうけど、わたしにはもう関係無い事だった。

「関係無いでしょ」

 そう、関係無い。弘樹の優しさとあざとさはもうわたしとは関係無い。

 これからわたしが大事にするのは、わたしのお腹の中に芽吹いたこの子だけなんだから。

 弘樹がその子の父親だなんて事も絶対に教えてあげない。

 わたしはこの子を産んで、立派な企業に就職して、大事に大事に育ててみせる。今度こそ、わたしは本当の意味でのわたしの物を手に入れる。エッチだってママみたいに手取り足取り教えてあげるんだから。

 勿論、少しだけ不安はある。

 わたしと弘樹の子供なんだから、とても魅力的な男の子に育つはずだもん。

 そんな男の子を見て、ママは我慢出来るのかな。自分の息子とエッチしちゃうくらいなんだもん。自分の孫ともエッチしようと思っちゃうんじゃないかな。そんな不安はずっとわたしの中にある。

 でも、いいか、とも思う。

 それならそれで今度こそ受けて立ってあげればいいだけだ。

 だから、わたしはママを見据えて言ってあげた。

「負けないよ、ママ」

 わたしの物を奪った憎い女に対する宣戦布告だ。勿論、今のママには何の事だか分からないだろうけどね。

 今度こそ渡さない。わたしの大事な物は、わたしだけの物にしてみせる。

 覚悟しててね、ママ。

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