第13話 生まれてきた命
私が連れ去られていたのは遠い外国の朽ちた城だった。レジェスは護り袋で場所を特定し、護り袋が消えたことで、他の騎士や魔術師に助けを求める間もなく独りで駆けつけた。
レジェスは王家の秘宝の一つである転移魔法の石を使って私を王城へと連れ帰り、魔力と神力による検査を受けて異常がないことが確認された。
ベロニカや侍女たちは無事だったものの、精霊に立ち向かった騎士やベルトランは重傷だった。ベロニカは辞職し、ベルトランは護衛から外れて治療に専念することになった。
クレトの部屋には手記や日記類はなく、どこに隠しているのか毒も見つからない。あちこちの救護院への送金記録だけが残されていて、レジェスが送金を引き継ぐと言っていた。
本当は優しい少年だったのだと思う。魔物を食べてしまったことで少年のまま時が止まり、独りで放浪するしかなくなったのだろう。魔物と人を食べるしかない境遇を考えると、殺された被害者がいるとわかっていても胸が痛む。
レジェスは政務の合間に頻繁に私の様子を確認に訪れる。身籠ってから訪れなくなった夜の寝室にも姿を見せて、静かに共寝をするようになった。
「レアンドロは……」
私が王城に戻ってきても、一度も様子を見に来ない。寝室も別だ。
「王の政務は、僕以上に忙しいからね」
レジェスの優しい嘘に、私は目を伏せることしかできない。
レアンドロの望み通りにレジェスと子を成した。これ以上、私に何ができるのか。静かに溢れる涙に気付いたレジェスが、温かい腕で包んでくれた。
◆
湖畔での静養は取りやめになり、王城の近くにあるフォルテア公爵家――レジェスの屋敷に滞在することが決まった。
「リカルダ、この屋敷の中は自由に過ごしていいよ。魔法で結界を張ってあるから、精霊も賊も入れない」
レジェスは私の前ではさらに明るく振る舞うようになった。ベロニカもクレトもベルトランもいなくなった寂しさを埋めようとしてくれているのかもしれない。
白い石で出来た建物は、古いながらも良く手入れがされていて美しい。秋の庭園は寂しいものの、大きな温室には色とりどりの花が咲き乱れている。
使用人たちは他家で長く務めた者が多く、経験豊富で物静かだ。年齢の為に仕事を失った者を雇用し、手厚い待遇で迎えているので口が堅い。
「まぁまぁ、あの小さなお嬢様がお美しくなられて」
「トニア? どうしてここに?」
王城でレジェスの乳母を務めていたトニアとの再会に、私は喜んだ。王城務めを終えた後、夫婦で田舎の村で暮らしていたのを呼び出されたと笑う。
「坊ちゃん! お腹の中にいるお子は、もう耳が聞こえているんです! 話し掛けて大事にしてあげてくださいよ!」
トニアには何も言っていないのに、お腹の子の父がレジェスであるとわかってしまったらしい。私もレジェスも慌てて、秘密にするようにとお願いするしかなかった。
◆
この国の冬は雪が深くなる。暖炉に火が入った温かい部屋の中、レジェスの膝の上には毛布が敷かれ、綿入りの服を着た私が乗せられている。
「リカルダ、寒くないかい?」
「レジェス、私は大丈夫よ。政務は大丈夫なの?」
「頑張って早く終わらせてる。人に任せることも覚えたよ」
過保護なレジェスは政務を終えた後、必ず屋敷に戻ってくる。
「……あの……膝の上というのは……」
「あったかいだろ?」
レジェスは羽毛入りの布団を背に掛けて私を包み込む。
「……誰かに見られたら、そんなに寒いのかと思われてしまいそうよ」
「二人で巻きパンの中身になった気分だろ?」
塩漬け肉やソーセージがパンで幾重にも包まれたものだ。そう言われれば似ている気がする。
「……三人よ」
「そうか。でも四人かもしれないし、五人かもしれない」
「一人だと思うの。元気な子よ」
少しずつ変化していく体を、毎晩レジェスは労わってくれる。トニアに勧められて、レジェスは私のお腹を撫でながら子供向けの物語を語り聞かせる。
「音楽を聞かせてやりたいけど、僕は楽器も歌もさっぱりだからなぁ。リカルダみたいに真面目に習っておけばよかったよ」
そう言って笑うレジェスは遠い外国から
優しいレジェスとトニア、優しい人々と優しい音楽に包まれながら、お腹の子は順調に育っていった。
◆
この国では半年から二年で子供が生まれてくる。屋敷に来て半年近くが過ぎた頃、トニアがもうすぐ生まれるというので、私は王城へと戻った。
王城で生まれなければ男の子でも王位継承権は認められないと決められている。戻って三日後に私は女の子を産み落とした。
「リカルダに似ているね。きっととても美人になるよ」
銀髪に緑柱石色の瞳。私とレジェスの色を持つ女の子だ。レアンドロの瞳の色でもある。
「どちらに似ているかなんて、まだわからないわ」
「絶対リカルダ似だよ。ほら、こんなに可愛い」
生まれたばかりで顔も赤くてしわしわなのに、レジェスは可愛いと繰り返す。
「レジェス……」
「ん? ああ、リカルダも可愛いよ。この子は僕とトニアが見てるから、少し眠ろうか」
レジェスと大事に育ててきた子が産まれたという喜びの中、男の子ではなかったという落胆もある。レアンドロは喜んでくれるだろうか。
出産の疲れと喜びと不安と。複雑な気持ちを抱えながら、私は眠りについた。
◆
翌日、レジェスがいる最中に突然の先触れがあり、大きな手さげ籠を下げたレアンドロが寝室に姿を見せた。久しぶりに会うせいなのか、胸の鼓動が早くなる。ベッドから出ようとすると制止され、半身を起こした状態で話をすることになった。
「……レアンドロ……ごめんなさい。女の子だったの。それで、名前を……」
女の子が生まれたことはレアンドロに連絡が入っていると知っていても、自分の口から報告したかった。私が言い終わらないうちに、レアンドロは手さげ籠を私へと突き出す。
「その子の名前は君が自由に決めていい。この子を頼む。名はマウリシオだ」
「……どういうことなのですか?」
レアンドロから手渡された籠には、生まれたばかりの赤子が絹に包まれて眠っている。
「先程第二王妃が産んだ男子だ。王妃として世継ぎの王子を育ててくれ」
淡々としたレアンドロの様子を見て、怒りが体の底から湧き上がる。生まれたばかりの赤子を母から取り上げ、私に王妃としての務めを果たせと言うのか。
「この子は第二王妃がお育てになるべきではないでしょうか」
「最初から子は渡してもらうという話になっている」
そんな勝手な約束がされていたとしても、この子は第二王妃に返すべきだ。そう考えた時、二人の赤子が大きな声で泣き出した。我が子を胸に抱き、うろたえていると傍らで見ていたレジェスが籠から赤子を抱き上げて胸に抱く。
「兄上、少しだけでもリカルダを労わることはできないのですか」
「……私にその資格はない」
赤子の鳴き声が部屋に響く中で眉をひそめたレアンドロは冷たい声で返答し、すぐに出て行ってしまった。
「レジェス……」
私の胸に抱いた子は泣き止み、笑顔を見せた。レジェスが抱く男の子は泣き続けている。
「腹が空いているのかな」
レジェスが口元に指を寄せると、赤子は指先を口に含む。何も出ない指先を懸命に吸う赤子を見ていて涙が零れた。必死に生きようとする姿が愛おしい。
「……私が育てるわ」
双子を産んだつもりで育てよう。私は、そう心に決めた。
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