第12話 精霊喰いと魔物

 自信に満ちた表情で立ち上がったクレトの紅い騎士服には、いつも下げている剣はない。武器がない状況で何ができるというのだろう。


『眠らせていたはずだ』

 精霊は不機嫌な表情を見せ、手を軽く振ると床が沸騰した湯のように沸き立ち始める。


「土の精霊リスティラットールに命ずる、動くな!」

 クレトの命令で精霊の動きが止まり、床も元に戻った。


『何だと!?』

「精霊って馬鹿が多いよね。気に入った人間の前では簡単に名を名乗る。目の前の人間が、名で縛る術を心得た者かもしれないのに」


 これはクレトなのだろうか。いつもの子犬のような笑顔ではなく、禍々しく口の片端を上げて笑っている。


「精霊ってさ、本当は人間が大好きなんだよ。いつでも人間と関わりたいって思ってる。気に入らない人間とは魔法契約を結ばないと言う事は聞かないが、気に入った人間には無償でその力を貸してしまう」

 クレトは壁に複雑な模様――おそらくは魔法陣を白墨で描く。


「結界完成っと。これで誰も入ってこれないよ。さーって、お楽しみの時間かな」

 そう言って、クレトは左目の眼帯を取り去った。初めて見る瞳は白目がなく、赤く輝いている。右目は人間、左目は精霊と同じ。


『……その髪色で〝魔物喰い〟かと思っていたが〝精霊喰い〟か』

「その通り。というより、両方だよ。元々俺は〝精霊喰い〟だった。ちょっとした気まぐれで魔物を食べたら髪色が変わってびっくりしたよ」


「〝精霊喰い〟?」

『……〝精霊喰い〟というのは、その瞳に精霊を封印する力を持った者だ。封印できるのは精霊一体のみだが……この男は複数の精霊を封印したようだ』


「そこまでは正解。……それ以上は知らないか。たしかに封印できるのは一体だけだよ。でも、そこにもう一体を放り込むと殺し合いが始まるんだ。強い方が生き残る。閉鎖空間での死闘を見物するのは面白いよ」

 

「で、俺は遊びで三百年程前に魔物を封印してみた。そうしたら成長が止まった上に、死ななくなった。それ以来、どんなに強い精霊を封印しても魔物が勝つ。この瞳は魔物の目の色だ」


「こうしてわざわざ説明するのは何故かって思うでしょ? 殺すまでの時間を掛ければ掛ける程、絶望は濃くなる。騙されていたという自分の愚かさを知る瞬間の表情は甘美で堪らないよ」

 クレトは私を殺すつもりなのか。あまりにも唐突過ぎて現実味がない。


「王妃様は綺麗だから、どんな顔をするのかなって思ってたけど、あまり変わらないね」

 クレトの手が座り込んだままの私の頬を撫でる。手袋を着けていない手は、とても冷たい。


「国中の誰もが知る大災害。それは俺のように長く生きる者にとっては好都合だ。魔力を使って人の記憶を操作するよりも簡単に出自を塗り替えることができる。災害で親を失った、妹を失った。そう口にすれば誰もが可哀想だと思考停止して、少々の齟齬や嘘も見逃してしまう」


「騎士アルムニアだけが、俺の経歴に疑問を持った。俺の剣捌きが少年のものではないこと、俺の知識が経験に基づくものであること、小さな疑問を集めて証拠を探そうとしていた。調べても無駄なんだけどね。面倒だから排除した」


「〝精霊の毒〟なんて嘘だよ。そんなものは存在しない。この国の貴族は呑気なものだね。他国では、新しい毒物が日々開発されてる。毒見の薬に反応しない毒なんて数え切れない程あるのに、何十年も同じ薬を使い続けてる」


「……先代の王を殺したのは貴方なの?」

「いや。あれは俺じゃない。五年くらい前から毒を少しずつ盛ってたヤツがいる。その結果が現れたってだけ。俺はその結果に似た毒を選び、そいつが魔法契約した精霊の属性を装った。いざという時に、そいつに全部罪をかぶせて逃げる為に」

 土の精霊と魔法契約した誰かが先王に毒を盛っていたのか。


「でも、毒見がいるのよ?」

「王が気を許した者から手渡された物を密かに食べても不思議はないだろう?」

 五年前から先王の周辺に毒を仕込んでいた者がいるということに、私は混乱していた。レアンドロが行方不明になる直前からだ。誰が得をするのかと考えて、背筋に嫌な汗が流れていく。


「まぁ、俺の語った話の中にも真実はある。俺が生まれた村で高位の精霊を怒らせた者がいたっていうのは本当だ。村長の娘が嫁いで怒りを鎮めたっていうのは嘘。村長の娘は精霊を喰ったんだ。それが俺のご先祖様であり、人間と魔性の間に生まれた者。〝精霊喰い〟はその時に誕生した」


「――魔性の血を引く俺に、お前ら精霊が敵う訳ないんだよ」

 クレトの挑発的な言葉で精霊の表情が変わった。怒りを感じているのだろう。


「さて。どっちを先に喰うかな」

「え?」


「〝魔物喰い〟になった者は魔物の肉しか食べられなくなるっていうのはさ、他の食い物の味が腐った泥とか砂みたいに感じるからなんだ。それを我慢すれば口に入れることはできる。味が変わらないのは水と酒ともう一つ。人間の肉だ」

 血の気が引いていく。人間を食べる? ようやく感じ始めた恐怖に体が震える。


「男は筋ばかりで硬いが、女は美味い。最高に美味いのは胎の子だ。柔らかくて臭みもない」


「だから王妃を殺せって依頼を受けた俺は子を孕むまで待ってた。依頼主は結構うるさいヤツで、早く殺せってうざかったけど、護り袋のせいで手が出せないって言えば黙った。もう少し胎の子が育ったら護り袋を取り上げるつもりだったけど、そいつが上手い事、壊してくれた」

 クレトが瞳を細めて笑い、私の頬から手が離れて行く。


「ちょうど腹も減ってるし、先に食事かな」

 クレトが部屋の隅に立て掛けられていた剣を手に取った。


「最初に胎の子。その綺麗な顔は最後に食べよう。大丈夫、終わりまで意識を保てるように上手く捌くからさ。……ここまで悲鳴を上げない女って初めてだよ。女は悲鳴がうるさいから最初に喉を切るんだけど、必要ないみたいだね」

 

 手慣れている。そうとしか思えない。三百年以上を生きてきたクレトは、一体何人の人間を食べてきたのだろうか。


 抜き身の剣を持って私の方へ足を踏み出そうとしたクレトが何かに気が付いた。

「誰だ? 結界内だぞ?」

 床に水色の光で魔法陣が描かれていく。


『……君の夫が迎えが来たようだ』

 精霊の言葉に胸が高鳴る。レアンドロが助けに来てくれた。


 ガラスが割れるような音と共に水色の光が室内を暴れ回る。あまりの眩しさに目がくらむ。


 光が鎮まり魔法陣の上に立っているのは、剣を携えたレジェスだった。

「あ……」

 思わず落胆の声が漏れてしまった。慌てて口を手で抑えても、もう遅い。レジェスの瞳が一瞬伏せられる。


『王妃の夫ではないのか? 胎の子はお前の子だろう?』

 精霊に問われたレジェスは口を引き結ぶ。助けに来てくれたのに、私は何ていう酷いことをしてしまったのだろう。後悔が涙になって零れていく。


「……ごめんなさい。ごめんなさい」

 涙が止まらない。レアンドロが私を助けにくるはずはないのに、私は期待してしまった。


「ふーん。王様の子じゃないんだ。貞淑な女だと思ってたのに意外だなぁ」

 クレトの言葉に体が震える。私の罪深い行為が他者に知られてしまったことが恐ろしい。


「ま、どうせ王様の命令なんでしょ。国の為には役に立っても、家族の為には役立たない。よくいる仕事中毒ってヤツなのかな」

 政務に熱心なだけなら、私のこの心の苦しみはなかった。他の女を愛するが故に弟と子を作らせた夫。クレトの無邪気な誤解が私の心の傷を抉る。


「これは一体?」

 剣を構えたままのレジェスが眉をひそめた。不自然な体勢で動けない精霊と赤い瞳を輝かせ異質な気を放つクレトを見比べている。


「クレトは〝精霊喰い〟なの! 今、精霊は動けないわ!」

 私の言葉が終わらないうちに、クレトがレジェスに斬りかかった。レジェスは剣で受け流す。


「どちらでも構わない。リカルダを返してもらう」

 レジェスの剣が水色の魔力光に包まれた。


「ふん。じゃあ、俺も本気だすか」

 獰猛な肉食獣のような笑顔を見せるクレトの剣が赤い魔力光を帯び、激しい剣戟が始まった。


 レジェスとクレトの剣での戦いは互角。魔力がぶつかり合い火花を散らしながら、広くはない室内で激しく斬り合う。


「……流石は王族。魔力量も俺と互角か!」

 お互いに少しずつ傷を負っていく。赤い血が壁や天井、床に飛び散る。


 この戦いの中、私は何もできない。ただ、邪魔をしないようにと身を縮め、レジェスの勝利を祈るだけだ。


 レジェスの剣がクレトの右腕を深く傷つけた。

「ちっ!」

 舌打ちをしたクレトが壁際に跳んで、結界の魔法陣に手を着く。逃げようとしているのだろうか。


 踏み込んで近づいたレジェスの冷静な剣がクレトの首を狙い、避けたクレトの左目を傷つける。

「っ!」

 左目を手で押さえたクレトが剣を落とし、レジェスが落ちた剣を蹴り飛ばした。


 レジェスが勝った。安堵に心が緩みかけた時、クレトが胸をかきむしり人とは思えない声で絶叫を始めた。体を前に折ったクレトの背中が異様に膨らんでいく。

 何が起きようとしているのか。誰も動けない。


「!」

 悲鳴すら上げられない程の光景が目の前で繰り広げられ始めた。クレトの体が、見えない大きな手でこねられる粘土のように刻々と変化していく。


 ついにはクレトの膨らんだ背中が割れ、中から黒い狼に似た魔物――フェデストスが現れた。赤い瞳はぎらぎらと輝き、赤い舌と鋭い牙。よだれを飛ばしながら頭を振る。


『……封印していた魔物は、精霊を喰らって力を蓄えていたようだ。あの男を喰い破って外に出る機会をうかがっていたんだろう。魔物は知性がないと言っても、生存本能はある』


「……ク、クレトは?」

『見たままだ。魔性の血を引いていても、あれで生きている訳がない』


 クレトが死んでしまった。可哀想にと思う間もなく、魔物が恐ろしい咆哮を上げて私は震えあがる。


「安心してくれ。必ず護る」

 レジェスの剣がさらに光輝く。そうだ。レジェスは〝黒い森〟でのレアンドロの捜索に加わっている。魔物も仕留めたと聞いている。


 先程までの熱い戦いは無かった。ただ静かに息を整えて、水色の魔力光をまとったレジェスが魔物に走り寄り、脚を斬り首を落とした。


「穢れをすべて浄化せよ!」 

 魔物の頭を剣で貫き、レジェスが叫ぶと水色の炎が魔物とクレトの無残な遺体を焼き尽くしていった。


「レジェス! ありがとう!」

 剣を支えにして膝を着いたレジェスに駆け寄って抱きしめる。助けに来てくれるなんて思っていなかった。レジェスの傷は多く、破れた服の下から血が流れている。


『……私も助けられたということか……』

 振り向くと、精霊が溜息を吐いて宙に浮かんだ。


 私は精霊の前に立ちふさがった。

「お願い! やめて!」

  

『何もしないよ。王妃さまは返す。〝魔法契約〟は無効だし、契約なしに人殺しはしたくないからね』

 精霊は肩をすくめてから、唇を弧にして笑う。


『人間っていうのは本当に面白いね。私たちのように気ままに自由には生きられないから、複雑に絡み合うのかな』

 ぱちりと精霊が指を鳴らすと赤茶色の光がレジェスを包み、傷が塞がり癒えていく。

「ありがとう!」

 私が感謝の言葉を告げると精霊が苦笑する。


『そんな物騒な物を刻んでいなければ〝魔法契約〟でなく〝精霊契約〟を結んだのに。残念だよ』

 立ち上がったレジェスに精霊が声を掛けた。〝精霊契約〟は一生精霊の加護や協力を受けることができるものだ。望んでも簡単に結べるものではない。


『そうだ。あの護り袋の代償に、その胎の子に精霊の護りを授けてあげよう』

 機嫌よく笑う精霊は、ぱちりと指を鳴らし、レジェスと私にお礼を言って姿を消した。


 壮絶な戦いの跡が残る荒れた部屋には、レジェスと私の二人だけ。

 

 レジェスは上着を脱いで、私の肩に掛けた。その重さが温かい。

「……助けに来たのに、また助けられてしまった」

 苦笑しながら、レジェスは溜息を吐く。

「また?」


「昔、いつも兄の気まぐれな思い付きから助けてくれただろう?」

「そうだったかしら?」

 考えてみても全く思い浮かばない。三人で楽しく過ごした思い出しかない。


「リカルダは気が付かない程の些細な事が、僕にとってはとても重要だったってことだよ。……リカルダ……抱きしめてもいいかな?」

 

 抱きしめられると温かい。シャツの背に手を回すと、いつもの滑らかな肌とは違う引っ掛かりを指先で拾う。


「レジェス?」

「……精霊に対抗する魔力を得る為に、魔術紋様を刻んだ。必要なかったけどね」


 土の精霊が言っていた物騒な物とは、このことか。魔術紋様を体に刻むことは、体に大変な負担を掛けると聞いている。魔性の血を引くクレトと互角に戦えたのも、この魔術紋様の効果だったのかもしれない。


「ありがとう」

 私の為に髪を切り、体を傷つけてくれたレジェスに、私は何を返せるのだろう。……助けに来てくれたのに、私はレジェスの心を傷つけるような酷いことをしてしまった。


「……ごめんなさい……私……」

「何も言わないでくれ。これは僕の為にやったことだ。リカルダは気にしなくていい」

 そう言って微笑むレジェスの背中を、私は無言で抱きしめることしかできなかった。

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