第10話 少年騎士の過去

 その日の午後のお茶の時間は、ベロニカとクレト、ベルトランとテーブルを囲んでいた。王城の中にいれば、襲撃の可能性はほとんどないからと私が誘った。ベロニカとベルトランは固辞していたもののクレトが真っ先に席に着いたので、しぶしぶ椅子に座っている。


 クレトが持参していた書類鞄から、平らな箱を取り出した。

「王妃様! ヴァランデールで流行りのチョコレートを取り寄せましたっ!」

 これまで薬として飲まれていたチョコレートが甘いお菓子になったと貴婦人の中で噂になっている品だ。


「騎士クレト、私に気遣いは無用です。外国から品物を取り寄せるのは大変でしょう?」

 陸続きとはいえ、ヴァランデールは遠い。箱の中には艶やかで様々な形をしたチョコレートが並んでいる。飲み物としてしか見たことがないので、とても珍しいと思う。


「だーって、給金もらい過ぎて使いきれないしー」

「ならば救護院に寄付すれば良いのです」

 ベロニカが呆れた声で返す。救護院というのは、孤児と寡婦を収容し救済する為の施設のことだ。


「あー、それはやってます。でも、あんまり沢山渡すと、あいつら働かなくなっちゃうんで」

 他人からもらうことに慣れると、自分で稼ぐことを忘れてしまうとクレトは言う。小さな子供でも安全に出来る仕事があればいいのにと、珍しく溜息を吐いた。


「小さな子供も仕事をするのですね」

 私が視察している救護院では、小さな子供が働いているのを見たことがない。もしかしたら、体裁を整えているだけなのか。


「そうですよ。親を失った子供は、自分で稼がなきゃならない。まっとうに稼ぐ方法を知らないと騙されるんです。親の替わりに周囲の大人が教えてやらないと駄目なんですけど、その大人が騙すヤツだと最悪です。いろんな救護院に行ったけど、良い院長と悪い院長がいて……って、すいません。熱くなりすぎました」

 少年が頬を赤らめる。クレトの話の中には、私の知らない世界が隠されていることがある。


「騎士クレト、貴方はどの国の言葉を習得しているのですか?」

 クレトは複数の外国語を理解し、使うことができる。外国の使節が来た際にも相手と談笑する程だ。宰相が騎士ではなく文官になって欲しいと勧誘したこともある。


「一番得意なのはコダルカ語です。次にヴァランデール語、アズディーラ語、テルシナ語、ランディア語です」

「独学で習得したと聞きました。素晴らしい才能ですね」


「うーん。素晴らしいって言われる程じゃなくて、簡単なんですよ。もともと、この世界は一つの国だったじゃないですか。コダルカ語は、その国の統一言語だったんです。ヴァランデールも他の国の言葉も、統一言語から派生したものだから、文法も大きく変わりません。だから僕は最初にコダルカ語を勉強しました。それから他の言語を。レイメイ語みたいに、島国で独自進化した言語は全く違うので独学では難しいかなって思います」

 この少年は天才なのかもしれない。騎士として留め置くのは惜しいと思う。望むなら言語学者を呼び寄せると提案すると、不要と断られてしまった。


「騎士を引退しても、文官としても働けますね」 

「えー。文官とかって椅子に一日座ってるなんて無理です。僕は綺麗な王妃様を一日中見てる方がいいです」

 騎士クレトの子犬のような笑顔で褒められると悪い気はしない。


「あ! それよりも! 王妃様! ベルトランの話を聞いて下さい!」

「騎士ベルトラン、何かしら?」

 完全に不意打ちだったのか、ベルトランが飲んでいたお茶でむせた。


「いえ。完全に私事ですので、王妃様に報告する程のことでは……」

「えー! いいじゃん! 王妃様、ベルトランはベロニカと婚約したそうです!」

「クレト! お前っ!」

 ベルトランがクレトに拳を落とし、常に冷静なベロニカの頬が紅潮していく。


「それは素晴らしいことね。おめでとう。お祝いをしましょう」

 長年勤めてくれた侍女の慶事に、私は心からの喜びを感じていた。 


      ◆


「へえ。あの少年騎士は五カ国語を操るのか。凄いね。僕も一応は習得してるけど、冗談まで言えるかといえば危ういからね」

 そうは言いつつも、レジェスは王族として五カ国の言語を日常会話ができる程度まで習得し、十カ国以上の挨拶や簡単な会話を習得している。

「この前来たコダルカ国の使節の方も、発音も完璧だって驚いていらっしゃったの」


 夜の寝室でカウチで行われてきた雑談も、今はベッドの中だ。裸で抱き合いながら、お互いの毎日の報告をする。


 夫以外と抱き合っているという、当初の抵抗感は今はない。異常なことだと思いながらも仕方がないという諦めと、心の寂しさを温かく埋めてくれるレジェスに依存しきっている。


 レジェスは何故婚約を解消したのか。元婚約者のアデリタを護る理由は何なのか。疑問はあっても、この関係が壊れてしまうのが怖くて聞くことはできない。


 日中レアンドロに冷たく距離を取られながらも完璧な王妃を演じ、夜にその苦しさを癒してくれるレジェスに去られたら、私の心はきっと耐えられない。


「あの少年騎士はリカルダに随分懐いているって聞いてるよ」

「……子犬がじゃれてくるようで、怒りきれないのよ」

 騎士として逸脱した言動も、子供としか思えない。駄目だと思いながらも許してしまう。


「ベルトランに怒られて、毎朝城の周りを走らされてるそうだよ」

「それは仕方ないわね」

 レジェスの腕が私を優しく抱き寄せる。耳元に口付けられて期待に体が震える。私の夫はレアンドロなのに。


「……僕も犬みたいにリカルダに仕えてみようか」

「馬鹿なことはいわないで」

 レジェスの甘い囁きに、私は抗うことができなくなっていた。


      ◆


 華やかな舞踏会の裏では、大変な準備が必要になる。王妃として指示を求められることも多い。


「招待状は準備できている?」

「はい」

 もう何度も経験していても、招待状の準備は緊張を伴うものだ。失礼のないように失敗は許されない。


「各国の大使夫妻への招待状へは、私が直筆の署名と捺印を行います。準備をお願い」

「はい。宰相の確認を頂いておりましたので運んでまいります。リカルダ様、騎士クレトに運搬の手助けをお願いする許可を頂きたいのです」


 ベロニカの願いにクレトが即座に反応した。

「えー、ベルトランと行けばいいじゃん」

「……仕事と私事は別です。……誤解されたくありません」

 ベロニカの頬が赤くなっている。許可を出すと、クレトは肩をすくめながら扉の外へと出て行った。


「王妃様、お耳に入れておきたい件があります」

「聞きましょう。何ですか、騎士ベルトラン」

 ベルトランがまとっていた空気が変わった。これは真剣に聞かなければならない話だ。


「昨夜、静養中の騎士アルムニアに面会した所、王妃様に極秘でお伝えしたいことがあると。結論から申し上げますと、クレトに注意せよと」

「注意? 何をですか?」

 予想もしていなかった話に驚くしかない。アルムニアはこれまで面会謝絶と医術師に指示されていた。


「クレトの髪色は〝魔物喰い〟特有のものではないかと。クレトの剣捌きは少年のものではなく、老獪な熟練したものであり、その豊富な知識量は書物や伝聞によるものではなく、実体験なのではと疑う余地があると」

 〝魔物喰い〟とは、聖別していない魔物の肉を食べた者のことだ。一度口にしてしまった者は魔物の肉しか食べられなくなると言われている。


「赤色の髪は、我が国にも存在しています。確かに騎士クレトのような血赤色は見たことはありませんが、共にお茶と軽食を楽しんだことも何度かあります。覚えているでしょう?」

「はい。ですが騎士アルムニアは経験豊富な方です。全く無視するという訳には参りません」


「〝魔物喰い〟には何か特別な力があるのですか?」

「いいえ。単に不幸な者というだけです」


 物語の中では〝魔物喰い〟になることは不幸の象徴だ。主人公が騙されて〝魔物喰い〟になり復讐する話や、贅沢をしてきた悪人が〝魔物喰い〟になって魔物の肉しか食べられなくなる話が有名だ。どれも特別な力は描写されていなかった。


「〝魔物喰い〟と熟練した剣捌きと豊富な知識ということに何か関連はあるのでしょうか」

「わかりません。今、クレトの過去を調べるように指示しています」

「そうですか。ありがとう、騎士ベルトラン。調査結果を待って、対処方法を考えましょう」


 いつも明るく振る舞う少年騎士に何か裏があるとは信じられない。とはいえ、長年騎士を務めた者の忠告は無視できない。


 もし〝魔物喰い〟だったとしても、何か不幸な事情があるのだろう。災害で家族を亡くした少年の更なる不幸に、憐れみを感じることしかできなかった。

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