第9話 第二王妃の入城

 毎晩レジェスに抱かれても、一月では身籠るはずもない。結局は第二王妃が入城することになった。


 王妃は後から来る王妃たちが快適に過ごせるように環境を整えなければならないと教えられてきた。少女の頃、その話を聞いた時にはレアンドロが私以外に王妃を娶ることはないと信じていたのに。


 第二王妃の好みを調べ部屋を整える指示を出すのは、王妃がすべてを把握していると知らしめる目的がある。そう理解していても苦行としか思えない。一月という期限の中で完璧に整えるには一日も休めなかった。


 第二王妃に決まった子爵家令嬢は、控えめな女性だった。白金髪に青い瞳。幼い頃に馬車の事故で片足が不自由になったので舞踏会や園遊会には出てこない。月に一度の王妃の茶会でも、最初に挨拶をした後は片隅で微笑みながら座っているだけで印象は薄い。


 事故を起こした伯爵家に嫁ぐ予定だったのに、結婚前の属性検査で神力を持っていると判定された。生まれた直後の検査結果が間違っていたらしい。


 五歳年上の彼女が生まれた時の検査が正しければ、彼女はレアンドロの婚約者になっていた。そして私はレジェスと婚約になっただろう。


 もしも。過ぎ去った過去を仮定で振り返るのは無意味だ。そうは思っても繰り返し心に浮かぶ。


「リカルダ、少し休んだ方がいい。顔色が良くない」

 レジェスは優しく囁いて髪を撫でる。私は毎夜レジェスの温かい腕の中で密やかな溜息を吐く。レアンドロでなくレジェスが夫だったなら、この心の苦しみから解放されるのだろうか。


「休むことはできないの。もうすぐ第二王妃が来るのだし、すべて完璧に整えておきたいのよ」

 夫であるレアンドロが恥をかかないように。支えるのは妻の仕事だ。


「今日はこのまま眠ろうか」

「いいえ。私は大丈夫だから、抱いて」

 レアンドロの望み通りに世継ぎを産んで喜ばれたい。もう新しい王妃を探さなくて済むようにしたい。


「……わかった。……リカルダ、僕の前では完璧な王妃でなくていいよ。昔みたいに自由にしてくれた方が僕は嬉しい」

 レジェスの言葉はとても温かく、私の心にしみ込んでいく。完璧であることを求められないことが心を軽くしてくれた。


     ◆


 正式な入城前に第二王妃となる子爵家令嬢が王妃への挨拶に訪れた。控えめ過ぎる意匠デザインの灰水色のドレスを着用し、白金髪に青い瞳。身長が低く少女のような可愛らしさを漂わせている。王や王妃の前で杖は使用できないので、背が高く美しい侍女が寄り添ってその手を支えていた。


「オルネラス子爵家の娘、ロレンサでございます」

 名を名乗り、決まりきった季節の挨拶の後、ロレンサは微笑みで口を閉ざしてしまった。通常、貴族の娘ならば、ここで自らの経歴や能力を華々しく披露するものだ。


 その奥ゆかしい振る舞いが何故か私を苛立たせた。

「王妃リカルダです。今後は二人で王を支えていきましょう」

 私の感情が籠っていない冷え冷えとした言葉にも、ロレンサは動揺もせずに微笑み、深く貴族の礼を行う。その笑顔を見て私は羞恥を覚えた。これでは王妃失格だ。


 深く息を吸って心を整え、微笑みを作り問いかける。

「……貴女は……王の意思を聞いていますか?」

 ロレンサは王の弟に抱かれることを承知しているのだろうか。


「はい。王命に従うのは貴族の務めでございますから」

 微笑みは全く崩れない。王命に従い、どんな運命も優雅に微笑んで受け入れる。そう、これが貴族の娘の理想の姿だ。


「第二王妃として国に貢献できることは、わたくしの身に余る幸せでございます」

 ふわりと幸せそうな微笑みを浮かべたロレンサは、別れの挨拶の後、侍女に支えられながら退出していった。


 表向きだけであっても、王の子を産むことが幸せと微笑むことができる彼女がうらやましいと思う。私は王ではなく、夫の子を産みたい。ただそれだけの願いが遠い。


     ◆


 第二王妃の輿入れは静かに行われる。お祝いのパレードや祝宴はなく、中央神殿で静かに結婚式が行われるだけだ。


 式が進む中、レアンドロが親し気にロレンサに話し掛けているのが気になった。楽し気な笑顔を見せるレアンドロが、背の低いロレンサに屈み込むようにしながら言葉を交わしている。それは昔、私に対してよく行われた仕草だ。


 レアンドロに声を掛けられ、顔を赤らめるロレンサはとても可愛らしい。私には無い魅力を見せつけられているようで、心が波立つ。


 少女のような素直な可愛さが私にあれば、レアンドロは戻ってくるのだろうか。とはいえ、私は王妃という立場にいる。ただ可愛らしいというだけでは務まらない。


 普段通りの晩餐会が終わり、レアンドロは主寝室ではなく、第二王妃の待つ寝室へと向かう。そこにも隠し扉があるとレジェスに聞いてはいても、レアンドロがロレンサと閨を共にするのではないかという不安が心に渦巻く。


 独りでいると広い寝室が寒々しく思えるから不思議だ。ずっとレジェスと一緒に朝までぬくもりを分け合っていたのに。そう考えた所で、夫ではなく義弟と眠ることが当たり前になっている自分に苦笑する。


「……これも仕方のないことなのね」

 カウチに座り、慣れないお酒を口にして咳き込んだ時、隠し扉が開いた。


「レジェス? 今日は初夜なのでは?」

 朝まで過ごすのだと思っていた。

「何も聞かないでくれ」

 いつもより荒い言葉の後、私の手からグラスを取り上げて一気にお酒を流し込む。


「……すまない」

 そう言ってグラスを置いたレジェスは浴室へと向かう。一体何があったというのだろう。


 浴室からは激しいシャワーの音が漏れ、ガウンを羽織って出てきたレジェスは突然私を抱きしめた。口付けをされそうになって、反射的に顔を背ける。


「……第二王妃と口付けはしていない」

 搾り出すような声に驚いて見上げると、その緑柱石の瞳には悲しさが滲んでいた。


「一体、どうしたの?」

 何も聞くなと言われても、その悲し気な表情に心が痛む。私が何か出来ることがあるのなら、手を差し伸べたい。


「……これではまるで……家畜のようだ」

 レジェスは私を抱きしめたまま、それ以上の言葉を紡がない。何を言っているのか、言葉の意味が理解できない。第二王妃の寝室で、家畜のように扱われたということだろうか。


「リカルダ……僕は人間だと、一人の男だと言ってくれないか」

「え?」

 こんな時、何と答えればいいのかわからない。レジェスに求められるまま、肌を重ねることしかできなかった。

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