破鏡を抱いて微睡む

ヴィルヘルミナ

第1話 拒絶の初夜

 戴冠式と結婚式を終え、初夜の為に整えられた寝室に入った途端、夫になった王は冷たく私の腕を振りほどいた。


「私は君を抱くことができない。私の弟と子を成してくれ」

 王の言葉が信じられなかった。貴婦人の作法も忘れて、まっすぐに王の目を見ると逸らされてしまう。


「そんな……私が何かお気に召さないことを致しましたか?」

 私たちは心からの信頼を寄せ、愛し合っていたはずだ。――三年前までは。


「いや。……君でなくても、私は抱けない」

「お体の問題なのですか?」

 若き王レアンドロ・ミラモンテスはまだ二十三歳。輝く金髪、緑柱石の瞳という王家特有の色を持ち、背が高く騎士にも劣らない立派な体格の持ち主だ。まさかと思いながらも問い掛ける。


「…………そう思ってくれて構わない」

 違うと直感した。常に冷静に、誰よりも優雅であれと厳しく教え込まれてきた私でも、愛する夫ではなく他の男性と子を成せという命令は許容できることではない。


「神力を持つ君なら、強い魔力を持つ弟と契っても問題ないだろう」

 三年前とは別人のような冷たい表情に、私の足下が崩れていくような絶望感が襲ってきた。


 この世界には魔法や精霊を使役する魔力と、無から有を生み出す奇跡を起こす神力が存在している。人はどちらかの力を持って生まれてくる。


 王族や貴族には力が強い者が多く生まれ、一般国民は力が弱い。魔力が強過ぎる者は、神力を持つ者か、同等の魔力を持つ者と結婚するのが一般的だ。


 公爵家に生まれた私は、この国では珍しい神力を有しており強い魔力を持つ王族との婚姻が決まっていた。


 貴族の女性は血を繋ぐ為の道具であり、自分の意思を認められることはないとわかってはいても悔しさがこみ上げる。女性は夫にも父にも異議を唱えることは許されない。黙って従うしかないのだと、頭では理解していても受け入れがたい。


「これは王命だ」

 王は私に背を向けて壁へ向かって歩き出す。


「たとえ王命でも、私は従うことはできません」

 王の命令に反論することは許されない。私一人のみならず、私が背負う公爵家の存続にも関わる。そう囁く理性よりも感情が溢れ出た。


 愛する貴方に抱いて欲しいという願いは、羞恥で口にすることはできなかった。


「それでも構わない」

 私の顔を見ることもなく、王は隠し扉から出て行った。


      ◆


 立ち尽くしていても、王……レアンドロが戻ってくる様子はない。初夜の為に整えられたベッドに入る気持ちにはなれなかった。


 壁に掛けられた大きな鏡には、ゆるやかに波打つ銀髪に紫色の瞳の顔色の悪い女が映っている。初夜の為に用意された豪華な夜着の白さが虚しく輝く。


 戴冠式と結婚式の間、ぎこちない距離に戸惑いながらも、ようやく夫婦になれたことに喜びを感じていた。幼い頃の約束が叶って、これから二人で幸せを取り戻していくのだと信じていた。


 レアンドロは、三年間行方不明になっていた。

 二十歳になる直前の視察旅行の途中、馬で数名の護衛と共に狩りに出て、戻ってこなかった。魔物が多数住む〝黒い森〟の近くで血塗れになった馬と護衛の死体が発見され、魔物に殺されたのではないかと言われていた。


 もちろんそれで諦めることはできない。レアンドロの父である当時の王は森での大規模な捜索を命じ、兵が投入された。半月が過ぎるまでに多数の兵が魔物に喰われ、指揮をとっていた騎士団長までが殺された時、王は捜索を断念するしかなかった。


 幼い頃から婚約していた私はレアンドロが死んだとは信じることができず、必ず戻ってくると他の縁談を断り、ただひたすらに待ち続けていた。


 そうして三年が経ち、貴族も国民も第一王子を忘れかけていた三カ月前、レアンドロは戻って来た。


『レアンドロ! 無事で良かったわ!』

 駆け寄った私をレアンドロは抱きしめようとはしなかった。以前なら、抱きしめて人目を気にもせずに口づけを交わしていたのに。


『……レアンドロ?』

 私を見つめる瞳に熱情が感じられない。緑柱石の瞳は静かな光を湛えている。


『皆に心配を掛けた。すまない』

『謝る必要はありません。無事に戻ってきてくださっただけで、心から嬉しいと思っております』


 私の名前ではなく、皆という言葉に戸惑いながらも私は微笑んだ。王になる教育を受けてきた彼が、謝罪の言葉を口にしたことにも驚く。 


 それからのレアンドロは、以前とは全く別人のようだと噂になった。すべて従僕任せだった身支度を自らこなし、苦手だと言っていた本を静かに読む。頻繁に訪れていた王立劇場に足を向けることもなく、賭け事や浪費も無くなった。


 ありがとうという感謝の言葉や謝罪の言葉を一日に何度も口にする王子の姿に、別人なのではないかと疑う者までが現れ、魔法による確認まで行われた。


 行方不明の間、〝黒い森〟に住む魔女に助けられ、魔物による傷の治療を受けていたと人づてには聞いた。その他の話は何故か私には教えてはくれなかった。誰もが口をつぐみ、憐れみの目を私に向ける。


 レアンドロは私を遠ざけ、何も語らない。そうした中でレアンドロの父が突然死んだ。慌ただしく国を挙げての葬儀が行われ、一月の喪に服した後に今日の戴冠式を迎えた。


 この国では王になる者が未婚の場合は、結婚式が同時に行われる。普通は一年を掛ける準備期間が一月しかなく、レアンドロと話す時間も取れなかった。


 王が出て行った隠し扉が静かに開いた。戻ってきてくれたという私の期待は破られ、姿を見せたのは長身で細身、腰まで伸ばした金髪に緑柱石の瞳を持つ王弟だった。


「……レジェス……」

 私より一つ年上の二十一歳。レアンドロと三人で幼い時期を過ごしたこともある。


「リカルダ……こうして話すのは久しぶり……だね」

 レジェスは苦笑して目を伏せた。レアンドロが行方不明になった三年前から、顔を合わせることはあっても会話をする機会はなかった。


 レジェスは随分痩せたように見える。何か言わなければと思いながらも、言葉が出てこない。愛するレアンドロではなく、レジェスに抱かれると考えただけで気が狂いそうだ。


「少し話をしようか」

 レジェスが指し示したのは、ベッドではなくカウチだった。動けずに立ち尽くす私の前にゆっくりとレジェスが近づいてくる。


「……近づかないで!」

 声を絞り出すと、ようやく私の脚が動いた。

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