クリスマスのその後

宝泉 壱果

第1話 クリスマスのその後♂

 正直、イラついていた。

 俺はクリスマスイブなんぞにうつつを抜かすような人間じゃないが、だからといってこのチカチカと煩わしい光と音を、ただやり過ごせるほどには達観できちゃいない。ただでさえ休日を潰され続けて、なお年末の忙しさに睡眠不足の毎日だ。いい加減、イラつきもする。

 まあ、三十を手前にして、隣に並ぶ女すらいないのもあるが。


 イブとはいえ、夜も十時をとうに過ぎた時間だ。寒さもいよいよ身を刺すようになり、人混みもまばらになった今、寸前で赤に変わった信号に足を止める。すると、空から白いものまで落ちてきやがった。いやに寒いと思ったんだ。

 軽い舌打ちとともに歩き出し、コンビニの扉をくぐった。


 誰も待つことのない薄暗い部屋の冷蔵庫の中には、ビールくらいだ。こんな冷えた夜は熱燗だろうと、カップの日本酒とつまみのイカを手に、再び深夜の街へと出た。

 歩いて十分か。あまりの冷え込みに、疲れた身体を叱咤してでも、走って帰りたくなる。まあ、やらないがな。

 ふとコンビニの駐車場の奥、植え込みの下に光るものが二つ。俺は気まぐれに近づいて、袋から出したイカのツマミを放り投げる。そういえば、昔、似たようなことをした覚えがある。

 小さな子猫は震えながら、俺が放ったイカをかっさらっていった。滅多にしないようなことをつい仕出かして、俺は誰に見られたわけでもないのに照れ臭くなり、足早に帰路についた。


 駅前の繁華街の喧騒を過ぎ、ボロアパートが見える。大通りから一歩入ってしまえぱ、いつも通りの静かな夜だ。クリスマスなんてものは、やりたい奴が決まっているんだろうさ。

 そんなことを考えながら、コートのポケットから鍵を取り出していると、背後に何かが落ちる音がした。

 安いアパートの、更に安い一階の玄関から後ろを振り向くと、そこには赤い物体が転がっている。

 また二階のオタク住民が、なにかやりやがったのかと、玄関脇から二階の通路を仰ぎ見る。だが、誰もいやしねえ。


「……っふう、いたたたた」


 赤い物体がもぞもぞと動いた。

 いや、それは赤い女だった。違う、赤いサンタの服を着た、若い女。

 女は腰を押さえながら立ち上がると、ようやく俺の存在に気づいたようで、大きな目と口ををおっぴろげて、こちらを指差した。

「み、みみみ、見た?」

 何をだ。ミニスカートならまだしも、くたくたのズボンのサンタ女に、用はない。

 目の前の女が、とてつもなく関わりたくない人間と判断した俺は、鍵を開けてさっさと帰宅することを選んだ。ドアノブに手をかけたところで、女が慌てたようにすがり付いてきて、俺はとっさに鍵を落とす。

 女が驚くほど素早い動きで鍵を拾い、俺に向けて、頬をアホみたいに膨らませて見せた。

「無視するなんて、ひどくない?」

「返せ」

「だから、無視しないでよ!」

 俺は大きくため息をつく。

 マジ忌々しいくらい、ついてねえ。

「なんなんだよ、おまえ」

「私? もちろん、見てわかるでしょう、サンタよ!」

「…………間に合ってる」

 自慢げに言いきった女の手から鍵を取上げて、俺はさっさと家に入った。

 あー、とかやー、とか叫んでいたが、無視だ。無視。頭の沸いた女に関わってる暇があるかっての。疲れてんだ、こっちは。


 俺は殺風景な部屋にコートを脱ぎ捨てると、ヒーターを入れ、コンビニ袋から冷えきった酒とつまみを出す。面倒だが、冷えた身体を温めるために、カップの酒をレンジで温める。

 その間に、愛用のPCに電源を入れる。

 散々仕事で弄っているのに、真っ先に触らずにいられないのはもう、職業病のようなものだ。メールのチェックから書きかけのプログラムを見直していると、軽い電子音に呼ばれて酒を取りに行く。

 そして結局、酒とマウスを片手に、いつものように過ごしている。

「へえ、すごいねぇ。こんな数字の羅列、見てるだけで目が回りそう」

 はっとして振り返ると、目に飛び込んだのは、だぼだぼの赤の服。白い縁取りは雪のようだが、帽子はなく、真っ直ぐ伸びた長い茶色の髪の女。

 またか。

「不法侵入。鍵はかけたはずだが」

 俺はPCの横に立ててあった、携帯を手に取る。

「ケーサツは、不要だよ」

 女が笑いながら、俺の携帯に手をかけた。すると、まだ何も操作していなかったにも関わらず、電源が落ちた。

「何をした?」

 再起動しようとしても、何も反応がない。ばかな、さっきまで充電していたのに。

「ちょっとくらい、お話させてくれてもいいでしょ? 安心して、壊してはいないから」

 女は首をかしげてそう言うと、勝手にソファーに座る。

「そんなに警戒しなくても。私は怪しい者じゃないわよ」

「いや、怪しいだろ!」

「わお! すっごい、速ツッコミ!」

 そうじゃないだろう。俺のしかめ面をものともせず、女は長い髪を指に巻き付けながら、喋り出す。

「じつは、落ちちゃったんだよね、私。困ったことに」

「あ、そう。頭打ったんなら、病院行けよ」

 丁重にお帰りいただけるよう、安普請の扉を開けると、さっきより激しくなった雪が、室内に舞い上がる。

「頭打ってないし!」

 抵抗する女を押し出して、俺は容赦なく玄関の戸を閉めて鍵をかける。ったく、何だってんだよ。

 憮然としながら室内に戻れば、PCの前に座る赤い女。

「お酒、冷めちゃったね」

 俺の熱燗を飲み干したところだった。

「お、おまっ……」

 咄嗟に振り返った玄関の鍵は、閉まったままだ。

「あたしの特技はぁ、どんな家にも自在に入れること。凄いでしょう?」

「盗人か」

「サンタよ!」

 俺は頭を抱えた。

「俺に何の用だ、ここに金目のものはねぇぞ」

「だから、ドロホーじゃありません、罰当たりな。サンタクロースです、サ・ン・タ!」

 気の遠くなるような感覚に、ため息をつく。

「はいはい、で、そのサンタ様はどうしてここに? 今日はクリスマスイブだ。いい年した俺のとこじゃなく、ガキんとこ行けや」

「うん、だからね、相棒のトナカイから落ちちゃったの。で、人間に見られちゃったからさぁ、不味いわけ。ただでさえ安年俸なのに、減給だわ」

 年俸制なのかと、ツッコミ入れてもいいか。

 いやいや、そもそもこの女はどこかのコスプレ専門コンパニオンか? そんな設定いらんから、速く帰ってくれ。まさか間違えて来たうえに、派遣料金請求するつもりじゃあるまいな。

 だいたい、何だこの軽そうな女は。ろくなバイトじゃねえな。二十代前半の妙なノリに付き合ってやれるほど、俺は若くもねえ。

 呆れた俺の顔に気づいた女は、再び頬を膨らませてみせた。見知らぬ不法侵入者にときめくほど、盛ったオスでもねえし。

 …………だがよく見りゃ、黙ってたら可愛いタイプかもしれないが。

「でね、あいつ酷いのよ! 日付が変わったら、とっとと仕事上がって帰っちゃったのよ! あたしだって帰らないと報酬なしなのよ……ってことでね、悪いんだけど泊めてくれない?」

「…………は?」

 目の前でにっこりと微笑む女。

「タダじゃないわよ、勿論。これでもサンタですからね、願いをひとつプレゼントするからさぁ!」

「は? なに言って」

 女が右手をあげると、殺風景な部屋に電飾が灯る。小さなサイドテーブルには湯気のたつ料理と小さなケーキ。イチゴの赤がいやにチープだ。

 どこからともなく現れた小さなロウソクに、ポッと火がつきケーキに収まる。青い蛍光灯がふいに消え、赤い炎が部屋を別世界にしていた。

「うん、なかなかの出来」

 満足そうに言う女の首を、絞めたくなるのは俺だけだろうか。

「やだ、足りなかった?」

 俺の恨めしい顔をどう解釈したのか、女は再び手をかざす。すると、しゅるしゅると音をたてて部屋の飾りが増してゆく。どこか昭和チックなそれは、安っぽいビニールのモールだとか、折り紙で輪を繋げたチェーンだとか、薄紙でつくられた花だとか…………。

「……お前が何なのかはとりあえず置いても、これだけは言っておく」

「へ? なあに?」

「趣味悪いんだけど!」

 女は毛を逆立てるかのように、それは酷い顔をして言った。

 ヒドイ! と。


 結局女は、俺よりも食べ、そして飲み、酔いつぶれてベッドを占拠している。

 俺はそんな訳のわからない、自称サンタの女のイビキを聞きながら、再びPCの前に座る。

 引き出しの中から、二週間前にしまったままだった煙草の箱を取り出した。口にくわえて火をつけ、大きくため息を吐き出す。

 白煙を見つめながら、あるひとつの確証を得る。


 クリスマスなんか、糞喰らえだ。


 白む窓の外を見ながら、俺は身支度を整え家を出る。今日も朝から出勤だ。

 普通の企業が休む時ほど、俺の仕事は忙しくなる。今日中にこなさなければならないプログラムのことを考えながら、まだ人の少ない電車にかけ乗る。

 ふと、声もかけずに部屋に残してきた女のことを思い出す。

 だが、軽く鼻で笑って視線を外に移す。

 きっと、今夜も遅くなるだろう。帰ればいつも通りの殺風景な部屋が待っている。女は不思議な奴だったが、勝手に入ってきたときのように、勝手に帰るだろう。少々不用心だが、あのボロアパートにそうそう空き巣は来ないだろう。

 イラついた夜だったが、過ぎてしまえばまあ、悪くはなかったかもしれない。一宿の恩をもらったと思えばいい。そう考えれば、つまらない日常に少しだけ色がついたかのようだ。

 そんな風に思いながら、俺は電車に揺られたのだった。




 そして俺は再び深夜に帰宅する。

 何故か暖かく灯りの点った自分の部屋の戸を開け、そしてそのまますぐに閉じた。

 その部屋の中からドンドンと叩く音とともに、叫ぶ声。

「おかえりー! ねえ、なんで閉めるのよー!」


 来年まで帰れないって、どういう事だ。

 俺の問いに、女は満面の笑みで答えた。

「えー、だから帰れないんだもん。それに、願いを叶えてあげるって言ったじゃない。一石二鳥でしよ、これで彼女できたじゃん!」


 おいまて、俺の意思はどこにある?


 これが俺とサンタのムカつく出会い。そして俺にとっちゃ、最低最悪最強の鎖となった、最愛の女との出会い。


 言っておくが、俺はクリスマスもサンタも大っ嫌いだ。

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